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「『上から目線』の時代」
著者:冷泉彰彦
「〜でよろしかったでしょうか?」「はい、大丈夫です」この不思議な違和感のあるやりとりが、ここ10年くらいで急速に浸透した。コンビニ敬語とも言われるそうだが、違和感の理由は「下から目線」にあるようだ。一種のフィクションであるこの「下から目線」は、謙譲語に似て非なるもの。相手を立てているような表現を遣いながら、実は防衛的な意図や計算が透けて見える。万が一文句をつけられた際には、「でも、確認したら大丈夫って言ってましたよね?」と言い返せるわけである。そもそも「大丈夫」という返事も珍回答なのだが、先に「よろしかったでしょうか?」と気遣ってくれてる風な問いかけがあるから、つい使ってしまうのかもしれない。しばらく前のことだが、ラーメン屋で注文を受けた店員が、「他にギョーザはいかがですか?」と勧めたのに対しても「大丈夫です」と言う若者がいたのには驚いた。「断ったんだよね?」と一瞬考えてしまったが、考えてみれば昔からある「結構です」と似た使い方がされているだけかもしれない。話が逸れたが、他にもやたらと連発される「〜させていただく」にも同様の違和感がつきまとう。へりくだった表現にも関わらず、受けとる側は押しつけに近い妙なニュアンスを感じてしまう。こうした過剰とも思える防衛的な低姿勢の裏に「上から目線」があるのだという。
昔はなかった「上から目線」なる言い方がいつ生まれたのか?著者の検証によると、養老孟氏の「バカの壁」(2003)に対して「上から目線」だと反発する予兆がみられ、小泉内閣(2001-2006)がもたらした「既得権をぶっ壊し、規制緩和によって経済成長と公平な社会をつくる」という熱狂的な「空気」が霧と消えた2008年頃に生まれたのだという。期待が幻想に変わり、格差批判があふれ、漠然とした「困難の感覚」が社会を覆いつつある中、「上から目線」が頻繁に使われ出したようだ。その決定的ともいえる出来事は、2008年9月1日の福田首相の退陣会見だった。総理の会見はどこか他人事のようだと質問した記者に対して福田氏が述べた「私は自分自身を客観的に見ることができるんです。あなたとは違うんです。」というコメントが「上から目線」として世間の凄まじい反発を招く象徴となった瞬間である。かくして、人々は「上から目線」と思われないよう過剰なほどの自己防衛を強いられることになったのである。
本書では、「上から目線」を切り口に、共通した価値観が失われた社会ならではのコミュニケーション不全について考察される。ご近所つき合い、タクシーの中、職場などで会話が盛り上がらなくなったのは、今の人が会話下手になったわけではなく、単に共通の会話の形式(テンプレート)がなくなったせいだという。レストランで若いカップルが別々にスマホをいじっている風景、ベビーカーを押しながらケータイの画面を注視している母親の姿には、少なからぬ違和感をもっていたが、それぞれに今の時代が投影されているのだろう。選択の自由と自己責任の時代に共通の価値観を分かち合うには、もっと意識的な努力が必要なのかもしれない。
(講談社現代新書)
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