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「『強さ』とは何か。」
監修:宗由貴、構成:鈴木義孝
「一緒に空手をやらないか?」
高校1年の時、クラスメイトの平田君に誘われた。特別親しいわけでもないのに、何故、僕に声をかけてきたのか不思議だったが、映画好きだった僕がブルース・リーやジャッキー・チェンに憧れていたのは間違いなかった。学校に空手部がなかったので、各々校外で探してくることになった。当時、どういう方法で道場を探したのか覚えてないが、自宅から電車で2駅のところにある極真空手道場を一人で見学に行った。ビルの地下にある薄暗い小さなジムでの激しい練習風景が今でも目に焼き付いている。どんより暗い印象だった。その近くに少林寺拳法の道院があることも調べてあったので、帰りに寄ってみた。ちょうど子供らの練習時間だったが、人数も多く、笑い声もする楽しそうな雰囲気にホッとしたのを覚えている。さて、平田君はというと、あっという間に熱が冷めてしまったようで、やっぱり止めると言い出した。一人だけで空手を始めることになったのだが、自分だけなら少林寺拳法の方が合っている気がして、例の道院に入門した。それから大学、社会人までの8年間ほど、僕は少林寺を通じて実に多くのことを教わることになる。自分の心身の3割は、少林寺で作られたように思っている。感謝しかない。
当時の僕は、とにかく強くなりたかった。性格も大人しいし、身体も小さい(当時はまだ150cm台)。でも、無抵抗で負けるのは嫌だった。弱い者をいじめる人間、強い者に迎合するタイプには特に強い反発心を持つ性格だったので、どうしても強くならねばと思っていた。
前置きが長くなったが、この本は、日本少林寺拳法を創始した宗道臣氏の言葉を借りて、その生き様、考え方を紹介するものである。「己れこそ己れの寄るべ 己れを措きて誰に寄るべぞ 良く整えし己れこそ まこと得がたき寄るべなり」。これは練習の度に唱えた聖句の冒頭だが、最近、この言葉が度々頭の中をグルグルと回って離れない。頼りになる人が意外にいないことで日々悶々としているうちに、この言葉が思い出されたような気がする。
宗道臣(1911-1980)の生い立ちはとても複雑で、貧しく、かなり厳しいものだった。暴力を振るう義父から母を守ろうにも、幼い妹たちにお腹いっぱい食べさせたくても自分に力がなくてできない、その苦い辛い体験が「力愛不二」の原点になっている。戦後の混乱期における大変厳しい頃の話ではあるが、この本の初版は2012年である。娘である宗由貴さんが冒頭に記している「人との比較競争社会の中で、大きく深いストレスを抱える現代人」へのメッセージなのである。自分の子供を虐待死させる事件が後を絶たない。全裸にして刃物で切りつけて殺害するいじめ事件もあったが、度が過ぎている。相手の痛みがわからないのだろうか?いじめを苦にした自殺、学校に馴染めず引きこもる子供たちも増えているようだ。大人社会も健全とは思えない。日本をリードする立場にある政治家の言動をみて、世の中の人は、馬鹿正直は損をする、うまく立ち回らないと干されると思い込み、平時であればキレイなことを言えていても、いざとなった時に自己保身を選んでしまう。全ては、弱さゆえだ。正義感や常識があったとしても、弱ければ簡単に崩れてしまうのだ。
宗道臣は、人づくりにその半生を捧げた。大変な偉業を為し得たと思うが、おそらく道半ばでこの世を去ったのだろうと思う。その遺志を継ぐのは、我々一人一人である。未来を生きる子供らのためにも、僕たちは、しっかりとした志をもつ人間であり続けねばならないと思う。そんなメッセージが込められた本である。合掌。
(文春新書)
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