「東京タワー オカンとボクと、時々、オトン
 
 
著者:リリー・フランキー
 
 
 電車で小説を読むのは、実はあまり好きではない。折角のいいシーンでも、突如、電車を降りたり、乗り換えたり、そのたびに現実に引き戻されてしまうのがとても嫌なのだ。という理由で少し躊躇しながら、通勤電車の行き帰りに「東京タワー」を読み始めたのが、4、5日前である。残り100ページほどになって、あとは自宅で読まなければ、と思った。
 不思議なタイトルだと思った。タイトルよりもサブタイトルの方が目につく。内容は何も知らなかったが、たぶん、母と息子の話なのだろうと思いながら、読めば読むほど、たいへんな人生を歩んできたことに驚く。驚きつつ、どこにでもいそうな田舎のオカンのけなげな生き様に親しみと敬愛の念を深めていく。それも無意識のうちにさり気なくである。そういう文章である。知らず知らずのうちに、自分の少年時代や実家の親のことを思い出したり、今の生活を感じたりして読んでいたように思う。
 自宅で読んで正解だった。ページをめくる度に涙のシーンが続いた。それは、まぎれもなく著者の涙なのだ。オカンへの想いが、さまざまな思い出とともにあふれ出て、その思い出の一端を共有している僕たちもまたオカンとボクの境遇を想い、悲しみが込み上げてくるのだ。小説を読んでこんなに泣いたのも久しぶりかもしれない…。
 物語の合間に差し込まれるボクのコメントのようなものがある。たとえばp166、「オトンの人生は大きく見えるけど、オカンの人生は十八のボクから見ても、小さく見えてしまう。それは、ボクに自分の人生を切り分けてくれたからなのだ。」というようなフレーズに、著者が掴んだ真理をみる思いがする。そして最後の方にはこう書かれている。「ボクにはこの街全体、この東京の風景すべてが巨大な霊園に見えた。」と。
 そんな東京で、この本がベストセラーになっている。多くの人たちが、恐らく堰き止めきれないたくさんの涙を流していることだろう。そういう気持ちが、次の何かを生んでいくのかと思うと、ちょっとうれしくなった。
 
■今作は、「2006年本屋大賞」(第3回)を受賞しました。
 
 
(扶桑社)