奥田民生がソロ・デビューしたのが1994年だから、僕のファン歴も19年になる。ユニコーン(86-93,09-)でその才能はすでに開花していたが、解散後の活躍は、予想どおりの期待以上という感じだった。本人の人気も根強いが、パフィーや木村カエラのプロデュースで大きな成功を収めたことも大きい。民生がいなければ、パフィーの「アジアの純真」も木村カエラの「Butterfly」もこの世に存在しなかったと考えると、その功績はやはり大きい、と個人的には思う。
ソロ・デビューの「息子」を聴いたとき、うまく言葉にできないがその「立ち位置」に強く惹かれ、それはこの19年間変わらなかった。孤高であってアウトローにあらず、主流と亜流の間を自在に行き来し、飄々然としながら次々と新たな道を切り拓いてきた。弾き語り武道館ライブだったり、ひとりで多重録音しながらレコーディングする様子を見せるライブだったり、誰も思いつかないような、思いついてもまずやらないような前人未踏の活動の数々。井上陽水とのユニットを始め、O.P.KINGや地球三兄弟などバンド活動も盛んにこなし、その中には世界的ドラマーのスティーヴ・ジョーダン率いるThe
Verbsなんかもある。いい意味での脱力感を醸しながら、圧倒的な才能により常に突き抜けた存在であり続けた。格好よすぎではないか!
民生ライブに行くと、必ずといっていいほど自分の仕事を顧みてしまう。民生は「いい仕事」をしているなぁと強く思うからである。MCで今回のツアータイトル「SPICE
BOYS」の話題になった。「俺たちがスパイス・ボーイズだってこと、すっかり忘れていた。スパイスを効かせるためには、風呂も入らず臭ってこないといけない?どこら辺が臭えばいい?」というようなくだらないやりとりを小原礼(b)とやっていて、「こんなんでいいんですか?君たちは?」と会場に尋ねるところが、民生らしい。そう、いつも彼はお客さんの反応と自分のやりたい音楽をすり合わせながら、お客さん側に歩み寄りすぎることもなく、自分の趣味に走りすぎることもなく、その間で微妙な距離感を保ちつつ、決して平凡に没することがない。その絶妙なバランス感覚に惚れ惚れしてしまう。自己主張の仕方も同様に巧妙である。出過ぎず出なさすぎず。こういう風に仕事するのが一番いいと思うのだが、これがかなり難しい。群を圧倒的に突き抜けた天才がさらに努力を続けて初めてできる技である。イチロー選手に少し似ている気がする。
バンドメンバーはソロ10年で変わってからお馴染みのMTR&Y、湊雅史(d)、民生(v,g)、小原礼(b)、斎藤有太(k)の4名である。数曲やったところでキーボードが壊れるというアクシデントがあったが、それで慌てることもなく、楽器のしくみなどの説明で却って会場との一体感が生まれたようだった。来月には久しぶりの新作が発売になるが、その中からは1曲のみで、過去10枚からまんべんなく選曲されていた。曲が始まると、その歌が作られた頃の世相と自身の生活の空気感が蘇る。くつろいだり、燃えたり、甘酢っぱかったり、19年間の色々な気持ちと再会する。「悩んで学んで」や「MILEN
BOX」はライブでも久しぶりな感じで古いアルバムを眺めるようだった。一番グッときたのは「スカイウォーカー」だった。その時々で違うのだが、今回はなぜかこれだ!本人が最高傑作という「Fantastic
OT9」からの選曲が目立って多く、「イナビカリ」「スルドクサイナラ」「3人はもりあがる」「いつもそう」「ちばしって」「なんでもっと」「明日はどうだ」が選ばれていた。
アンコールでは一番新しいシングル「風は西から」、そして原曲がわからないくらいアレンジした「マシマロ」で終わったのだが、照明がつき、会場アナウンスが流れても拍手が鳴り止まず、再登場して「さすらい」で締めた。98年シングルのこの歌は当時、本当によく聴いた。「まわりはさすらわぬ人ばっか 少し気になった さすらいもしないで このまま死なねえぞ」。最近のインタビューでも「詞に特にメッセージがある訳ではない。歌詞が音に勝つのが好きじゃないから、できれば歌詞は聞き流して欲しい。」なんてことを言っている。確かに訳のわからない歌詞もあるし、「何それ?」みたいなタイトルも少なくないのだが、作詞の才も際立っているのは周知のとおり。井上陽水がユニコーン時代に民生が書いた「雪の降る町」に感動して手紙を書いたという有名な話があるくらいである。2時間15分、まだまだ聴きたい歌がいっぱいあったが、それは次回以降のお楽しみにして、それまでに自分の仕事もちょっとはマシにしておかねば(汗;)。
