親鸞フォーラム

平成21年3月21日(土)13〜17時
東京国際フォーラムホールB7

 親鸞(1173-1263)は、法然を師と仰ぎ、浄土宗を継承した平安から鎌倉時代の僧侶である。没後に他派との相違から、浄土真宗として開宗された。
 親鸞を初めて知ったのは、大学のときに読んだ吉川英治の「親鸞」だった。「宮本武蔵」、「三国志」と読んで、吉川英治のイキイキとした文体とある種の求道的な世界観にすっかり魅了されるがまま読み、なんと自由で、人間らしい僧侶なんだろうと引き込まれたのを覚えている。今回のフォーラム開催を知ったとき、まずはこの吉川英治の小説を思い出し、そして、次に姜尚中さんが出演するというので興味をもった。数年前に読んだ「愛国の作法」にとても共感したのだ。戦後60余年が経過した今、ことあるごとに、靖国神社参拝や国歌斉唱の義務化などが問題になる背景に何があるのか?もっと愛国ということについて、感情論に走らず議論すべきではないか、という提起だったと思う。その少し前に出版されてベストセラーになっていた「国家の品格」と一線を画す内容だったが、僕はむしろ姜さんの考え方の方が理解しやすかった。親鸞と姜さん!これは、行くしかない!!
 フォーラムは2部構成になっていて、はじめに五木寛之さんの講演「人間親鸞のすがた」が1時間半あった。五木さんの著作は「蓮如」くらいしか読んだことがないし、話を聞くのも初めてだったが、これが本当に素晴らしかった。冒頭にご本人が話していたのは、「講演なのだから、下向いてメモばかりとるのではなく、話し手の身振り手振り、表情をみて、感じとることが大事」ということだった。それは、親鸞が書き物を何も残さず、すべて言葉を語ることで教えを広めていったことの意味を、五木さん自らが実践しながら教えてくれてることでもあった。音楽のライブにも通ずるが、人が語る言葉を生で聞くことには、もの凄い力がある。勿論、語り部がしっかりとしたものをもっていての話だが、五木さんのは、これぞ語りというくらい饒舌でリズミカルで描写が的確で内容的にもとても濃いものだった。なぜ、今、「蟹工船」が売れているのか?「カラマーゾフの兄弟」も売れ、次は、「歎異抄」ではないか?という切り口から、今の時代における親鸞の意味を話されていた。なぜ、年間3万人もの日本人が自殺しているのか?親鸞が生きた時代は末法の時代だったが、今またその時代なのではないか?北朝鮮に抑留され、何年も経ってから引き上げてきたという自らの戦争体験にも触れられ、罪の意識を生涯背負ってきた中で親鸞に出会ったことも紹介された。情(こころ)を大切にすること、それが今、一番必要なことだというメッセージだったと思う。とても心に染みてくるいいお話だった。

 第2部はシンポジウム。タイトル「悩む力・生きる力」は、姜尚中さんの著作「悩む力」からとったものである。僕も読んだが、「悩む力」は70万部を超えるベストセラーになっているという。なぜ、そんなに売れているのか?という質問に対し、「僕にもわかりません」と姜さんも笑っていたが、少なくとも時代が求めていることに引っ掛からなければ、ベストセラーにはなり得ないのは、確かである。今の時代における悩みは何かというと、何に悩んでいるかわからない悩みという話があって、思わず笑ってしまった。今の時代はゲップがでるくらいの情報に溢れているという例えがあったが、僕も同じ感触をもっていて、四六時中携帯から目が離せずにいる人達をみるとゾッとするし、一緒に食事をしている最中でも携帯をいじっている人を見ると、何となく腹が立ってくるのと同時に、大丈夫だろうかと心配になる。他者を求めながら自分しか鏡に映していないところから、秋葉原の通り魔事件(08)が起こったのではないかという話にも頷けた。作家の田口ランディさんのお話は、50代のおばさんから見ると、今の若者の悩みは全く理解不能というところから始まり、若者の間で肯定的な歌がヒットしている背景には、自己肯定観の欠如があるという指摘があった。ダメなものはダメでいいのではと思うのだが、それができるのは、ある程度の自己肯定ができていることが前提となるという。果たして自分はちゃんと自己批判ができてるだろうか、また、子供を育てる立場としても考えさせられる話だった。3人目のパネリスト、本多弘之さんは、親鸞仏教センター所長という立場での参加だった。印象的かつとても共感したのは、若い頃の本多さんが「歎異抄」を読んだとき、あまり理解できなかったというエピソードだった。自分からの視点で見よう、理解しようという気持ちが強いと、「歎異抄」の世界は理解できないという。自力と対照的なのが、阿弥陀さんの眼差しだという。自分の目だけでなく、阿弥陀さんの眼差しを感じるようになれば、自分のいる場が見えてくる。そうなって初めて、親鸞の言っていることが理解できたという。それと似た例えが、「人事を尽くして天命を待つ」が自力の発想だとすれば、親鸞の教えは、「天命に安じて、人事を尽くす」ということになるという。僕がまさに自力に頼ってきたので、これから学ぶことは、その辺にあるような気がした。まだまだ先は長そうであり、悩むことも多そうであり、できたらそれを楽しめたらと思いつつ、帰路についた。