



90年代半ば、《渋谷系》と呼ばれる音楽が流行していた。特に意識してなかったが、好んで聴いていた音楽の中にピチカート・ファイヴやオリジナル・ラブがあって、たまたまそれが《渋谷系》と呼ばれるジャンルの代表者だった。しかしながら、《渋谷系》の定義は曖昧で、当初はネガティブな意味合いがあったこともあってか、田島貴男(オリジナル・ラブ)が《渋谷系》という括りにかなり拒絶感をもっていることはよく知られている。《渋谷系》といえば、バート・バカラックである。僕がバカラックを知ったのは、高校の頃だった。当時、好きな映画ベスト10のようなことを友人と語り合っていたときに、常に上位に挙げていたのがジョージ・ロイ・ヒル監督の「明日に向かって撃て!」(69)で、その挿入歌がB.J.トーマスが歌う「雨にぬれても」だった。バカラックの代表作である。後に《渋谷系》に傾倒していったのも、この辺から繋がっていたのかもしれない。こんな風に好きな音楽の源流をどんどん遡っていって一体どこに辿り着くかというと、僕の場合、小学校1〜2年時に学校で習った「紅葉」と「ふるさと」辺りかなという気がする。懐かしくて、牧歌的で、どこか喪失感にも似た儚さを感じる歌を聴いていると、素の自分に還れるような気がする。人間の根本って、案外、変わらないのかなと思う。ダーウィンの言葉(ダーウィンは言ってないって説もあるらしい)、「最も強い者が生き残るのではなく、最も賢い者が生き延びるのでもない。唯一生き残ることができるのは、変化できる者である」からすると、僕などは生き残れないタイプかもしれないが、人間社会の何が変わって何が変わってないのか、興味の尽きないテーマである。
前置きが長くなったが、ライブはピチカート・ファイヴの「東京は夜の七時」で幕を開けた。ドラム、ベース、ピアノ、キーボードがみな30代という若いメンバーに囲まれて、相変わらずオシャレな野宮さんだった。2曲目からはカバーが続いた。コーネリアスの「The
Love Parade」や小沢健二の「ぼくらが旅に出る理由」といった90年代のヒット曲から、「或る日突然」(トワ・エ・モア)、「チャンスが欲しいの」(越路吹雪)、「Hong
Kong Night Sight」(松任谷由実)、「マイ・ピュア・レディ」(尾崎亜美)といった古いものもあった。「田島くんに怒られちゃうかな」と言いながらの選曲だったのが、オリジナル・ラブの「月の裏で会いましょう」。野宮さんも歌を自分に引き付けてしまう人とは思うが、しかし、こうしてカバーを聴くと、田島貴男の歌唱力が並大抵ではないことがわかる。田島貴男がピチカートのボーカルだった頃、野宮さんはバックコーラスをやっていたのだから、実に贅沢なバンドだったのである。さて、この日のマイベストは、「生きがい」だった。由紀さおりは一昨年、ピンク・マルティーニのカバーが大ヒットした「夜明けのスキャット」が有名だが、個人的には「生きがい」の方が好きだ。昭和の薫りがぷんぷんするとても美しい歌である。
あっという間に最後の曲になった。アンコールは「トゥイギー・トゥイギー」からピチカート・メドレーだった。観客総立ちで、この夜一番の盛り上がりとなった。「プレイボーイ・プレイガール」や「ハッピー・サッド」、「陽の当たる大通り」、そして珍しく「万事快調」を歌った。この歌をFMラジオでたまたま聴いたのがピチカートとの出会いだった。曲よりも何よりも、「その声」に魅せられ、すぐに「SWEET
PIZZICATO FIVE」を買って、以来ファンである。ビルボード・ライブは2ステージ制なので、演奏時間が短めなのが残念なところ。それでも1時間20分、2回の衣装替え付きの濃密なライブで、大いに楽しめた。今度はやはり、ピチカートの歌をたくさ〜ん聴きたい!