「『里』という思想」
 
 
著者:内山節
 
 
 「globe」とは地球のこと。そして、「globalization」、つまりグローバル化とは、世界各国が地球規模で繋がり合うことである。世界の人々が仲良く1つにまとまっていくのがグローバル化であるならばいいことに思えるが、過度の経済的競争や民族間の対立など、近年は利点よりも負の面が目につくように思う。グローバル化以前にはインターナショナル(国際化)がキーワードだったが、個人的にはその方が居心地がよい。元々が異なる背景をもった国なのだから、互いの交流はいいが、無理に1つに包み込むことはないのではないか。極端に云えば、鎖国して内需主体の経済にし、可能な限り自給自足の方向へ舵を切り直した方がよいようにさえ思える。そんなやや閉鎖的感想をもっていた矢先、この本に出会った。
 「二十世紀の終わりになると、私たちは『近代』的なものに急速に厭きてきたような気がする。」に始まる本書は、「世界に普遍性を求めるのではなく、それぞれの自然があり、歴史があり、関係性があるローカルな世界から思想を組み立てなおす」ことの重要性が述べられている。
 また、著者は、時間速度が商品になったことが私たちの生活感覚に影響を与えたようだと指摘する。その起源は二十世紀初頭のフォードに代表される工場生産方式の改革にあり、ファストフード、インターネット、学習塾でさえ「速さ」に価値がおかれ、速さを競い合うようになった。その結果、私たちは時間に支配され、時間が無言の重圧になってしまったのだという。
 昨日の朝日新聞朝刊(2010年10月28日)に、世論と輿論の差違について書かれていた。曰く、「輿論とは有権者が熟議を経て到達するもの、世論は集団的な感情の発露にすぎず、後者が優位になった現在の状況は『ファスト政治』である。」と。深く考えることよりも即時的に結果を求める傾向は、確かに時間に追われてる現代社会の特徴に思える。
 人々がどのようにすれば「手応えのある幸福感」を感じ得るのか、興味深い考察があった。それはコペルニクスの地動説をガリレオが証明し、現在では誰もが是認している事実に関して、本当にそれがすべてだろうかという問いかけである。「私たちが見ている大地は静かで動かないものであるし、毎朝、東から昇る太陽に感謝し、夜空を動く月や星に祈りをささげる日々をつくりだしているものは、天動説的な時間と空間の流れである。」科学的な視点では正しい地動説とともに、人間が体感している天動説的な視点も認めてよいのではないか、というのである。一笑に付するのも自由だが、再考してみるのも案外、面白いように思える。
 
(新潮選書)