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「落日燃ゆ」
著者:城山三郎
各界で活躍している人の本との出会いやお薦めを紹介する新聞コラムをたまに読む。本の内容もさることながら、1冊の本で人生観が変わったり、座右の書としてその人の一生を支えている本があったり、本と人の間にあるそれぞれのドラマが興味深い。
コラムをキッカケに読んだ本の1つに「少しだけ、無理をして生きる」がある。まずタイトルに惹かれた。元の「逆境を生きる」から改題して正解だと思う。高度成長期やバブル時代と違って、グローバル競争下の格差社会を生き抜くには、少し肩の力を抜いて丁度いい。息切れしない程度のスピードで延々に走り続ける、そんな時代になっていくと思える。「少しだけ、無理をして生きる」は、著者の城山三郎氏が小説の題材にしてきた渋沢栄一や浜口雄幸らを取りあげ、人間の魅力を語り尽くすという内容である。「魅力は定義しにくいが、<魅力がない>の方はわかりやすい。平社員のうちは小さくなっていて、係長、課長、社長になるにつれふんぞり返ってる、そんな風に型にはまった人間は魅力がない」と著者は言い切る。
さて、その本にも登場した広田弘毅を主人公にしたのが「落日燃ゆ」である。戦前の外務官僚、外相、首相を務めた人で、吉田茂と同時代を生き、そして、東条英機らとともにA級戦犯7名のうち唯一の文官(軍人ではない人)として処刑されている。
福岡の貧しい石屋の長男として生まれ、一高、東京帝大を経て外交官になる。「自ら計らわず」を信条とし、生涯を貫く。関東軍が中国に攻め入り、南京大虐殺や志那事変(日中戦争)へと暴走していくのを必死で止めようと努めていたにも関わらず、戦争に荷担した罪、そして、文官が軍部をシビリアンコントロールすべき責任を負い、絞首刑が宣告される。多くの人が無罪と信じ、キーナン主席検事でさえ「何という莫迦げた判決か」と嘆いた判決だったが、広田氏は一切の弁解をせず淡々と死の宣告を受け入れている。弁解すれば、他の者に累が及ぶ。「自ら計らわず」を貫き通し、澄み切った気持ちで死んでいった様子が胸を打つ。
歴史を正確に知ることはもはや無理と思える。それを逆手にとれば、自らの主義主張に合わせて歴史を作文することも不可能ではない。今や戦争を知らない世代がリーダーとなり、軍隊の必要性、自衛隊の矛盾を主張し、手始めに憲法改正の手続き法である96条改正に向けて動き始めている。時の権力者が数の力で暴走しないようにと敢えて手続きを困難にしてあるのは歴史に学んだ教訓の筈だが、その歴史自体が様々に解釈されている。
「落日燃ゆ」は綿密な調査・取材に基づき書かれているが、あくまで小説である。仮に戦争体験者がいたとしても、その人の知らないことを別の誰かは体験しているだろう。それら1つ1つ形の異なるピースをかき集め、全体像を描いてみなければ本当の歴史は見えてこない。まるでジグゾーパズルのように、地道な作業を経なければわからないはずなのに、一足飛びに物事を断定し、人心を意のままに動かしてみたくなるのが、権力の魔力的なところかもしれない。
(新潮文庫)
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