Olivia Newton-John
2010-11-26
Bunkamuraオーチャードホール 1階28列
「貴女に会えてよかった。」ライブ後の気分を一言でいえばそうなる。今晩会えたこと以上に、自分の人生の中においてという意味合いで、しみじみ嬉しかった。62歳になる彼女の容姿は自席からは遠すぎてぼんやりとしか見えなかったが、そのハリのある声や引き締まったシルエットやかわいげのあるしぐさは、30年前から何ら色褪せてなかった。洋楽を聴き始めたあの頃、特に熱心なファンではなかったとはいえ、好き嫌いの座標軸でいえば明らかに好きな位置にあったのは間違いない。若干、特別な想いがだぶってたりもするのだが、それは心の内にしまっておくとして…。
イントロに続く1曲目が、「そよ風の誘惑/Have you never been mellow」だった。1975年の全米no.1ヒットシングルである。オリビアの声が最大限に生かされた美しく、温かみのある名曲で、たちまち会場は幸せな空気に包まれた。ちなみに観客の大部分は自分よりちょい上世代だった。恐らくは70年代に思春期、青年期を過ごした人たちだろう。デビュー40周年を記念するこのライブに、オジサン、オバサンたちが急ぎの仕事を切り上げて、或いは月末残り僅かの小遣いをはたいて駆けつけてきたのだろうかと想像すると、何か運命共同体的な連帯感が感じられた。しかし、それを最も強く感じたのは、オリビア本人だったのかもしれない。曲毎にはさむMCの中で、何度も喜びと感謝の意を表し、本当にすばらしい観客だというコメントを繰り返していた。確かに観客の反応はすこぶるよかったのだ。
オリビア・ニュートン・ジョンはオーストラリアの人だと思い込んでいたが、実はイギリス生まれだった。ノーベル物理学賞の祖父をもつ彼女は、美人なうえに賢そうだ。5歳のときにメルボルンに移り住み、15歳からガールズユニットで音楽活動を始めている。アメリカでのデビュー曲「Let
Me Be There」(73)はカントリーナンバーでトップ10入りする大ヒットとなり、グラミー賞のベスト・カントリー・ボーカリスト賞を受賞した。その後もヒット曲が続き、1978年の映画「グリース」で一躍スーパースターになる。80年代にも映画「ザナドゥ」や「フィジカル」がヒットし、カセットテープに録音して何度も聴いていたことを思い出す。そのあとのことはほとんど知らなかったが、コンスタントにアルバムを発表する傍ら、数々の慈善事業にも参画あるいは主宰してきたようだ。その一つには、乳ガンの早期発見を支援する「Liv
Aid」というのがあるが、彼女自身が患った実体験を反映して設立されたもののようである。そういった社会的な活動ぶりを含めて、なんとなくアグネス・チャンと重なるものを感じる。知性とチャーミングな笑顔、懐の深さ、ボランティア精神、そういった豊かな人間性に共通点を感じるのだが、どうだろう。
ステージの彼女を見ていると、本当に幅の広い人だなと思えた。それは、声にも現れている。カントリーはもちろん、フォークでもポップでもロックでも、不思議と彼女の声はぴったり合ってしまうのだ。いとも簡単にやってのけるが、実際は、かなり難しいことだと思う。中盤だったか、曲調をスローバラードにアレンジした「フィジカル」が演奏された。還暦を過ぎて、それなりに落ちついた雰囲気を狙っていたのだろうが、何だかちょっと物足りない。と思いきや、演奏を途中で打ち切り、「やっぱ、こんなんじゃダメよ」と言わんばかりに、オリジナルでの演奏が始まった。さり気ない演出だったが、これで会場は総立ちになり、一気に盛り上がった。「Jolene」や「Countryroad」といった代表曲や新曲なども織り交ぜて、密度の濃いステージだった。鳴りやまぬアンコールに応えて、急遽歌ったのが「星に願いよ/When
you wish upon a star」だった。世界中に今、存在するありとあらゆる悲しみや憎しみ、苦しみを忘れてしまうくらい、とても感動的な歌だった。
オリビア・ライブに浸りながら、今が21世紀であることを忘れ、すっかり80年代の時代感覚に身をゆだねてしまっていた。「いい時代だったなぁ」としみじみ感じるのは、日本に住んでいたからなのかもしれない。あの頃のアメリカや日本は経済面で世界の頂点に立ち、輸出で外貨を獲得していたから俗にいうバブルにまみれて、刹那の豊かさに酔っていたのだ。中国に代表されるBricsの国々であれば、経済発展した今の方が豊かでイケイケなのかもしれない。確実にいえることは、常に時代は動いているということだろう。今が晴れても明日は豪雨かもしれないし、今が冷たい雨の中だとしても、明日は気持ちのよい好日に変わるかもしれない、と星に願っておこう!
