1曲目、「悲しい歌」だけでもう大満足してしまった。満足といっても「お腹いっぱい」なのではなく、「胸がいっぱい」の方。別の言葉でいえば、「恋をした」に近い、かもしんない。便利で、甘美で、曖昧な言葉ではあるが。

 この歌はピチカート・ファイヴの中でも特に好きな歌。「とても悲しい歌が出来た 今朝目を醒ましたときに あんまり悲しい歌だから 君に聴かせたくないけど」と前置きしつつ、「悲しいこと」とは、ふたりの愛が終わったことだと歌われる。こんな風に書く小西康陽氏の詞やメロディに、僕は恋をしている。理屈ではないから、恋なのだろうと思っている。

 小西氏が創るピチカートの世界は、本当に気持ちよく身体に馴染む。初期のピチカート・ファイヴはボーカルが二転三転し、野宮真貴で3代目。「君を絶対にスーパースターにする」と小西氏がくどいたと言われているが、1990年の野宮真貴加入で、ピチカート・ファイヴの完成形ができたといえる。初代のファン、そして2代目、田島貴男時代こそベストというファンもいるが、僕が知っているピチカートは、小西氏と野宮真貴によるピチカート・ファイヴである(そういう意味では、ピチカート・ツーだけど)。僕が「その声」を初めて聴いたのは、カーラジオから流れてくる「万事快調」だった。1993年頃のことだと思う。曲より詞より、そのときは「その声」に一目惚れならぬ、一耳惚れしてしまった。すぐに調べて購入したのが、「万事快調」を含む6thアルバム「スウィート・ピチカート・ファイヴ」(92)。少々単調で眠くなる曲もあったが、その声にはすっかり魅了されてしまった。次の7thアルバム「BOSSA NOVA 2001」(93)以降、小西さんは爆発するがごとく名曲を量産しまくり、海外でも人気を博すなど、野宮真貴は約束通り「スーパースター」になっていく。

 ピチカート・ファイヴのチケットは絶対に取れない。そう、2001年3月に解散してしまったから。97、98年前後に2回ライブに行って以来10数年、行きたくても絶対に行けないのがピチカート・ライブだったのだ。今回もピチカート・ファイヴのライブではないが、「声」があるのでほぼそれに近い。野宮さんの生の声は健在どころか魅力が倍増し、歌の力には益々磨きがかかっていた。1曲ごとにMCを挟み、観客との距離を縮めるステージワークもこなれた感じだった。「初めてのビルボードは、大好きなお酒が飲めるし、美味しい食事もできて、ドレスアップもできて、私にはとっても嬉しいところ」と言っていたが、確かにビルボード東京のゴージャスな雰囲気に野宮さんはピッタリ合っていた。食事をしながら音楽を聴くというコンセプトなので、一人でテーブル席にいると全く落ち着きが悪いのだが、今回初めてカジュアル席にしたらとても居心地よかった(そこしか空いてなかったのだが…)。

 バンドメンバーは、サックス・クラリネット・フルート、ベース・ギター、ピアノ、ドラム、パーカッションと野宮さんの計6名。音楽監督を務めたピアノマンはまだ若いように見えたが、素晴らしい感性を感じた。野宮さんの30周年ライブ(2012.3.19)のときにも音楽監督を務めたらしく、そのときは「お祭り」をテーマに、そして今回は「エレガントな野宮真貴」を音楽で表現したいと考えたというコメントがあったが、まさにその通りだった。

 野宮さんがピチカートの歌の中で一番好きなラブ・ソングと紹介して歌った「マジック・カーペット・ライド」、お腹の中に赤ちゃんがいた96年の歌は「ベイビィ・ポータブル・ロック」。もしかして、赤ちゃんができたからこのタイトルだったのかな?「高1になる息子が今日も会場に来ています。そんなこと言われるのが一番嫌な年頃なんですよね」と言って、「うふっ」と笑っていた。「皆笑った」もあった。「ベイビィ・ポータブル・ロック」と「メッセージ・ソング」ともう1曲は「スーパースター」だったか忘れてしまったが、アコースティック・バージョンで歌われた3曲も素晴らしかった。どの歌のアレンジも演奏も勿論歌も素晴らしく、ライブCDにして売って欲しいくらいだったが、敢えて記録に残さないところに、ライブの刹那的な存在感があるのかもしれない。その辺は、お芝居と似ていて、映画とは違うところ。小西さんは大の映画ファンでもある(関係ないけど…)。

 アンコールの「東京は夜の7時」で会場は総立ちで盛り上がり終演となった。12曲で1時間半と少し短めではあるものの、十分な充足感、満足感があった。野宮さんやメンバーは2ステージ目だったわけだが、世界に通用する仕事を垣間見たような気もした。ピチカートのライブを聴くことはやはり叶わぬ夢だろうけど、野宮さんにはこれからもピチカート・ソングを類い希なる「その声」で歌ってほしい。


野宮真貴 30+
ビルボード東京
20120708 2ndステージ