「にっぽんの知恵」
 
 
著者:高田公理
 
 
 ごく個人的に「和」の流行を実感したのは、21世紀に入ってからである。古い長屋を改築して住んだり、昔ながらのちゃぶ台が若者の間でちょっとしたブームになってるのを知って、驚いたものだ。そう思ってみれば、和食レストランのロゴはやたらと筆書きが目立つし、商品名にも日本風のものが増えたようにも思えたのだが、実際はもっと前からのことだったのだろう。ドリンク系でいえば、「お〜い お茶」の発売が1989年、「一番搾り」が1990年である。ちなみに1989年は、昭和が終わり元号が平成になった年である。その後のいわゆる「失われた10年」(1991-2002)を経て、2000年からは「プロジェクトX」が始まり、2005年には、「国家の品格」や「ALWAYS/三丁目の夕日」が大ブームを巻き起こしている。バブル崩壊で自信も行き先も見失った日本人が、古き日本のよさを見直して再出発しようという気持ちになったということなのだろう。
 以上、前置きが長くなってしまったが、この本もそういう世の流れの中で書かれ、自分も手に取った。戦後の経済成長の中で忘れてきた日本人の知恵に改めて光を当て再評価しようと、20あるテーマごとにその道に詳しい碩学、名人に話を聞いてまとめた本である。これがなかなかで、テーマの選び方、人選の妙で、期待以上に面白かった。
 例えば「銭湯」については、誰もが一度は口ずさんだであろう「あ〜、極楽ごくらく…」を切り口に、宗教的な側面からの解釈が興味深く書かれている。日本人にとって銭湯は、単に清潔のためだけでなく、湯浴みすることで肌に湯が染みて内外のけじめがなくなってくる皮膚感覚が無我の境地へと導いてくれる宗教的な体験なのではないか、銭湯の外観がお寺や神社のような唐破風のものが多かったのも、日常の極楽を演出するためだったのではないか、という具合に考察される。
 日本人の「お稽古好き」の話も面白かった。お稽古のルーツをたどると、平安末期の出家して歌を詠むような「数寄」(風流に没頭するの意)にはじまり、やがて室町時代には千利休の茶の湯にみられるような師弟関係をもつ「遊芸」となり、さらに明治以後「趣味」へと変遷してきたものらしい。そこで紹介される梅棹忠夫氏(国立民俗学博物館初代館長)の言葉が味わい深いので引用する。曰く、「教育は充電や。しかし、充電ばかりで、放電させないでおくと過充電になって、バッテリーなら故障する。人間も同じことで、知識や技能を詰め込んだら、適度に『放電』することが必要になる。これこそが『文化』の果たす役割なんやと思う」。
 ならば思い当たる節がある。今、こうして読んだ本の感想や紹介をあれこれ書いていることも「放電」なのである。誰かが感電してくれたら面白いのになぁ(ビリビリっと独り言)。
 
(講談社現代新書)