「風の谷のナウシカ」

 

著者:宮崎駿

 

 

 周知のとおり、歴史には大きな分岐点がある。近代であれば第二次世界大戦のような、日本における高度経済成長期もそうだろうし、インターネットの登場も世の中を変える重要な分岐点だった。そして、間違いなく2020年のコロナ禍も世界中を巻き込む大分岐点になっているのだろう。
 ところで僕は、同じ映画や本を繰り返し見たり読んだりしない。理由は2つあって、初見のインプレッションを上書きせず残しておきたいため、それと、繰り返す時間を新たな作品観賞に使いたいためである。最近認識したことだが、過去の作品について、繰り返し見ない代わりにかなり思い返してはいる。数えたこともないが、百回とか数百回というレベルだろう。実は、例外もある。映画「ガープの世界」や「ミッドナイト・エクスプレス」、「2001年宇宙の旅」、松下幸之助著「道をひらく」や下村湖人著「論語物語」などなど、繰り返しているものも少なくない。そして、映画「風の谷のナウシカ」
(84)も例外の1つである。たぶん5回くらい観ているが、一方の原作漫画は長らく未読だった。1982〜1994年にアニメージュに連載され、1995年に単行本全7巻が発行されている。僕も1995年の初版を買っているのだが、なぜか読めなかった。何度も読もうとはしていたのだが、いつも1巻の途中で挫折していた。そして、四半世紀も経って、ついに読めたのである!「何故、今だったのか?」
 読み始めると、作品で描かれていることが今の世界情勢と酷似していることに気付かされる。米国のトランプ大統領に代表されるように、自国ファーストの風潮が強まり、否応なく排他的な気分が高まり、支持政党や人種の違いで差別感情が高まっている。イギリスはついにEUを離脱した。大国になった中国は、巨大な人民を養うためか、海洋侵出に躍起になり、近隣国との衝突を繰り返している。そして、新型コロナが世界中に蔓延し、今夏開催予定だった東京オリンピックも延期され、来年の開催も危うい状況である。2008年のリーマンショックを遙かに超えるダメージが世界を先の見えない不安に陥れている。感染力の強いコロナウイルスのためマスクなしでは過ごせない図は、腐海が産出する毒素から肺を守るためマスクを付けている「ナウシカ」の世界とそっくりである。宮崎駿が描いた世界は、今まさに現実のものとなってしまったわけである。
 よく知られていることだが、映画は原作漫画の2巻までで作られている。しかも、登場人物やキャラクターも結構違っていて、読んだときのテイストもかなり違う。どちらが面白いかといえば、映画の方が圧倒的に面白い。ナウシカの魅力も十分に伝わってくるし、作品のメッセージもわかりやすい。原作は、難解である。登場人物がとても多く、その立ち位置も複雑で人物相関図が頭の中で整理しきれない。とりわけ、7巻の後半部分は、非常に抽象的な世界観が展開する。作者の言いたいことがナウシカの言葉として発露されていると思うのだが、その真意をしっかりと理解するのはなかなか難しい。
 「<ナウシカ>という主人公の最大の特徴は、何よりも責任を背負っているということです」と宮崎駿は語っている。父親が病に倒れ、王位を継承するだけの経験や準備もない中で否応なしに後を継ぐ抑圧された境遇を描いているところが、本作の出発点になっているという。風を読み、自在に空を飛ぶナウシカにははつらつとした自由を感じるが、その一方に計り知れない重圧がある。しかも、腐海が迫り、トルメキア王国が攻め込んでくるという八方塞がりな状況にある。
 主人公であるナウシカの魅力って何だろう?僕にとっては、共存共栄の思想にあるように思える。敵をも受け入れ、結果として味方につけてしまう圧倒的に大きな人物像。自然に対しても同様、あるがままの摂理を深く理解し、受け入れ、適応しようとする意思と実行力が極めて高い。残念ながら、今の世界のリーダーにこうした人物はなかなか見当たらない。
 「ナウシカ」の魅力について、ジブリの教科書1「風の谷のナウシカ」に多くの方の興味深い論考が紹介されている。例えば、作家・内田樹氏は、「宮崎駿はマンガから離れたかったけれど、マンガは宮崎駿を離してくれなかった。」という私見を述べている。そして、多くの映画作品を作りながら、寝る間もない多忙と疲労の中で何度も挫折しながら書き続けた10余年は、「最初の1行を書き始めた時にはもうできている。でも、最後の1行を書き終えるまでそれが何であるかはわからない。」という状態だったのだろうと。それは、モーツアルトがシンフォニーを書くときに、はじめに天啓として与えられていて、それを採譜作業していくのに似ているという。作曲家の脳内に楽譜はあるが、それを最終楽章まで書いてみないと完成しない。それゆえに、モーツアルトの楽譜には一カ所の書き直しもないのだそうだ。
 自分のような凡人にもそれに似た感覚がある。歴史的分岐点のようなこと、日常的な人間関係、様々な芸術作品、文学、或いは自然から何かしらの刺激を受けたとき、自分の脳内に様々な感情や考えが発生しているのがわかる。それを強く認識するかスルーしてしまうかは自分の選択であるし、今、こうして頭の中にあるものを文章に変換していく場合もある。その衝動は、作品の魅力如何によるものだが、どんなときにインスピレーションが湧き上がってくるか自分でも予測不能であり、一種冒険のようなワクワク感がある。僕にとって「風の谷のナウシカ」は、非常に多くの感情や考えを生じさせてくれる魅力的な作品である。そして、今、コロナ禍という歴史的分岐点において読む価値ある作品といっていいだろう。
 

 

(徳間書店)