

すみだトリフォニーホールの新企画の第1回目らしい。映画とシンフォニーオーケストラの競演企画に選ばれたのは、チャップリンの「モダン・タイムス」(36)。映画公開から80周年記念になるそうだ。古い映画ではあるが、今回は、デジタル修正されていて、高画質もウリである。成績書に追われて遊んでる場合ではないだろうなと思いつつ、息抜きも必要と自分にいい訳をして、友人を巻き込みチケットを購入した。
「モダン・タイムス」を初めて知ったのは、小学生時代の教科書である。大きな歯車の前でおどけるチョビ髭のおじさんの写真が印象に残っている。ほとんど興味を覚えなかったが、しかし、小学生時代の教科書の挿絵で鮮明に記憶しているのは、「モダン・タイムス」くらいかもしれない。そう考えると、写真でさえインパクトを与える力があったのだといえる。
初めて「モダン・タイムス」を観たのは、高校生の頃だったか?「名作と言われている割に、大して面白くないなぁ」というような感想だったと記憶している。チャップリンをより深く知るようになったのは、大学生の頃に読んだ「チャップリン自伝」からである。彼の不遇な幼少時代から映画の世界で活躍していくまでの波瀾万丈の人生に、映画以上に心を揺さぶられた。以降、チャップリンに関する本や作品を片っ端から観た。断トツで好きな作品は「街の灯」だけど、「キッド」も「独裁者」も「黄金狂時代」も好きだし、何度もみるうちに「モダン・タイムス」もすっかりお気に入りの作品になった。
羊の群れが人間の群衆に移り変わる冒頭から、この作品は始まる。資本主義や機械文明を風刺しているわけだ。チャップリン演ずる労働者がボルトを締める作業に追われている。ちょっとでも気を抜けば、機械のスピードに間に合わなくなる。休み時間になっても丸いものが並んでいると身体が勝手に締め付ける動作をしてしまうので、女性の上着のボタンをみただけでも追いかけていってしまう。食事をサポートする最新型の機械も大変である。スープもちゃんと飲ませてくれて、一口食べる毎に口を拭ってくれるが、機械のペースに人間が合わせなくてはならない。一見便利だが、非常に不便極まりない代物である。そのうち機械の調子が悪くなり、とんでもないことになるのだが、あまりの滑稽さに笑いどおしであるが、笑いながら涙が出そうにもなった。彼の作品には人間に対する深い愛が感じられる。貧しかったり、仕事がなかったりでうまく暮らしていけない人間を滑稽に描いて笑わせながら、果たしてそういう社会でいいのだろうかと問いかけてくる。もちろん、いいわけではないという強い思いが、伝わってくるわけである。
「モダン・タイムス」は、「街の灯」(31)に続く、トーキー第2作目になる。長年サイレントの名作を作ってきたチャップリンは、トーキーに対する抵抗感があったようだ。まだまだサイレントでいい作品が作れるはずだということだろう。今作も基本的にはサイレント仕立てになっている。ただ、初めてチャップリンが肉声を披露する場面が用意されている。彼がようやく給仕の仕事につき、キャバレーで歌を歌わされるシーンである。なかなか歌詞を覚えられないチャップリンが恋人(ポーレット・ゴダード)の発案により、袖にカンペの紙を巻いておくことにするのである。練習はバッチリうまくいくのだが、本番ではノリすぎたチャップリンが勢い余って、カンペを飛ばしてしまうというハプニングが起きる。本人がなかなか気付かないまま前奏が終わり、さて歌うという場面で慌てた彼はでたらめな歌詞で「ティティナ」を歌うのであるが、それがチャップリンが初めて映画で発した肉声なのである。この粋な演出に、彼のサイレントへの愛を感じないではいられない。彼が映画に注いだ膨大な時間と労力、知恵は、おそらくは人間への愛ゆえなのだろうと思う。今作のテーマ「スマイル」はあまりにも有名であるが、どんな苦境にあっても笑って生きていこうというメッセージが込められているのだろう。
今回の指揮者は、作曲家として映画音楽も手がけてきたカール・デイヴィスさんで、新日本フィルハーモニー管弦楽団の演奏である。映画が始まってしまうとほとんど生オケであることは忘れて映画に見入ってしまったが、映画にシンクロさせて演奏するのは、相当高度な技術がいるはずである。生オケならではの迫力があり、見事な演奏だった。終演後、鳴り止まぬ拍手を背にステージから立ち去り、再び登壇するということを計4回ほど繰り返していた。アンコール演奏でもあるのかと期待していたのだが、結局、出たり入ったりをしただけで、最後には団員も含めて退場して終わった。そういう慣例でもあるのだろうか、いまだに謎である。
♪新日本フィルの生オケ・シネマ「モダン・タイムス」
すみだトリフォニーホール
2016年5月7日(土)18:00-19:50/1F13列23番