Marcos Valle & Stacey Kent
featuring Jim Tomlinson
ブルーノート東京
2014/4/19 20:00-21:20
何がきっかけだったか忘れてしまったが、夜、寝る前にFMを聞くようになって久しい。20分間で切れるようにタイマーをセットして床に就くのだが、20分間丸々聞いてることはまずない。大抵は数分で、最短では数十秒のうちに落ちてるのだが、その数分間のまどろみタイムがちょっとしたお楽しみである。お気に入りの番組は、NHKFMでやっているラジオドラマ「青春アドベンチャー」。耳元で繰り広げられる音だけのドラマに想像力を刺激され、映像にはない面白さがあってオススメである。午前0時を過ぎたら東京FMである。中高生の頃によく聞いていた長寿番組「ジェット・ストリーム」は、今の年齢の方がしっくり馴染む。大沢たかおのナレーションはたどたどしくていまひとつなのだが、世界旅行への妄想をかきたてる感覚は健在である。その「ジェット・ストリーム」で、たまたま聞いたのが、マルコス・ヴァーリだった。例によってラジオを付けて早々に眠ってしまっていたのだが、珍しくもう一度目覚めて、まどろみながら聞いた曲にグッときてしまった。初めて聞くどことなく懐かしい曲調。翌日調べて、マルコス・ヴァーリの「FLAMENGO
ATE MORRER(死ぬまでフラメンゴ)」という歌だと知った。フラメンゴはリオにある地名で、オランダ人を意味するフランドルが由来だそうだ。フラミンゴもフラメンコも関係ない(笑)。CDを購入して聞くうち益々気に入り、何となくネット検索していて翌月の来日公演のことを知ったわけである。デビュー50周年記念、71歳である。
マスコス・ヴァーリは、ブラジル・リオの生まれ。15歳のときジョアン・ジルベルトが登場し、独学でボサノヴァ奏法を練習し、18歳のとき初めて訪れたレッスンで、「別に教えることはない。逆に君が教えたらいい」と言われた逸話が残っている。弁護士になるべく法科大学に進学していて、サーフィンもプロ級だったそうである。5歳からクラシック・ピアノを学んでおり、何でも極めてしまう人である。birdがカバーしていた「バトゥカーダ」はマルコスの作品だし、「サマー・サンバ」や「NAO
TEM NADA NAO(なんでもないよ)」など、街中でもよく耳にする曲が少なくない。 ブルーノート東京は、たぶん、2009年のセルジオ・メンデス以来である。ここは基本的にディナーを食べながら音楽を聴くところなので、チケット代の他にも費用が嵩むし、一人で行くとちょっと手持ちぶさたなので好んで行かない。受付順に通されたのはだいぶ後の方だったが、たまたま一つだけ空いていたステージ横の席に案内された。かなり近かったが、マルコスはピアノの向こう側だったので、よく見えなかった。代わりに、女性ジャズ・シンガーのステイシー・ケントがすぐ目の前だった。マルコスが惚れ込んだという美声の持ち主だが、美しすぎるというか、クセがない分、自分の好みではなかった。マルコスはスラッとした身体に長髪が似合っていて、とてもじゃないけど71歳の老人には見えない。ピアノを弾き語る声は若々しく、どんな遺伝子を受け継いだらこういう風になるんだと思いながら、聴き入っていた。「THE
WHITE PUMA」からの幕開けで、2012年にリオのライブハウス「ミランダ」で録音されたライブ版に似通った選曲だった。残念ながら、その中に「FLAMENGO
ATE MORRER」はなかったが、マルコスの情緒豊かな音楽世界を十二分に堪能することができた。ボサノヴァは好きなジャンルだが、どこかそよ風のような柔らかさが心地よい音楽である。難しい話はさておき、一緒に楽しもうよと誘いかけてくるような「遊び心」がある。
今、世界のあちこちで国の境界線を巡る小競り合いが熱を帯びている。政治は時に無力で、自国を守ろうと力めば力むほど争いを助長してきた歴史がある。誰も望まない殺し合いをいまだ制御しきれない現実。喜納昌吉の言葉を思い出す。「すべての武器を楽器に」。マルコス・ヴァーリを聴いていると、平和であることを実感する。心が休まり、感謝したくなる。そして、人を叩きのめそうなんて気持ちは泡沫のごとく消えていく。


