犬を飼い始めた。わが家は留守がちだし、旅行好きだし、仕事も早朝、深夜と暇ではない。犬の世話どころか人間のお世話でいっぱいいっぱいという状態…、なのにである。きっかけは「じーじ」の死ともいえる。子供の情緒安定のためともいえる。何とでも実はいえる。要するに子供の希望なのである。犬種はコーギー犬。英国の牧羊犬がルーツらしいが、アニメでみて可愛かったというのが子供の理由。「そんなことで?」大人は兎角それっぽい「理由」が欲しくなるので、もっと何かないのかと「犬種図鑑ベスト185」という本の中からベスト5を選ばせてから選抜しようとしたが、1番コーギー、2番以下該当なしだという。僕個人は昔家にいたパグ犬がよかったのだけど、「飼い主」は子供なのだからと諦めた。で、栃木でコーギー犬のブリーディングをやっている酪農家から購入し、クリスマス・イブ前夜、「犬が家にいる生活」が始まった。タイミングよく「人とペットが幸せに暮らすために」というシンポジウムがあるというので行くことにした。実のところは、養老孟司氏の話を生で聞きたかったというのが大きな理由だったが…。

 ペットブームらしい。ペットとして飼われている犬猫は約2,168万頭と推定され、15歳未満の人口1,860万人より多いそうだ。その一方で、飼えなくなるなどして殺処分される犬猫が約28万頭に上る。行政やNPOの努力もあって年々減少しているようだが、殺処分される映像をみると、全くいたたまれない気分になる。しかしながら、自らなんとかしようという気持ちにもならない。そんなに暇じゃない。簡単にどうにかなるものでもないだろう。誰かがやってくれるとありがたい。それらの感情が自分の中にもある。欲しいものは手に入れたいが、面倒なことはゴメンなのだ。どこかで「無縁社会」とつながる感覚だろうか…。

 「なぜ、ペットブームなのか?」そこから養老氏の話は始まった。1955年の一次産業従事者は国民の40%、今や4%に過ぎない。近代化に伴う自然離れの中で忘れてきたことをペットは思い出させてくれる。ペットの中に自然をみつけるのだという。違いを見分ける「感覚」に対して、「言葉」はものを同じにするもの。この同じにする能力によって人間は、物の売り買いができ、経済的豊かさを手に入れてきたが、一方で感覚を失ってきた。生後1ヶ月の赤ちゃんは、自分の母親の母乳を嗅ぎ分ける感覚をもっているという。しかし、大人になるうちに、本来違うものの違いが分からなくなり、それを同じと認識しようとするところに無理があるのかもしれない。無理はストレスになり、不安を生み、病気を誘引する。

 パネラーとして登壇した三浦健太氏(NPO法人ワンワンパーティクラブ代表)は、とても懐の大きな人だった。ペットを理解し、この飼い主と暮らしたいと思わせれば、躾はいらないと言う。玄関を出るときに、7割は同じ足を先に出す。それで利き足がわかるそうだ。頭を撫でるときも、背中、お腹、手、足、いろいろ撫でながら犬の表情を見ていれば、その犬が好きな場所がわかる。そこを撫でてやれば、「この飼い主は自分をわかってくれてるな」と、信頼してくれるようになるそうだ。女優の柴田理恵さんは、心が優しく温かい人。ゴミ捨て場に捨てられていた、後ろ足に障害のある犬を拾って飼ってるそうである。切断手術をして3本足になった晴太郎を散歩させていると、街のあちこちにあるバリアに気付いたり、足の悪い高齢者などが犬に声をかけて、犬から勇気をもらったと喜んでもらえるそうで、「どんな命も大切な意味と役目がある」ということを晴太郎から教わったと熱っぽく語られた。

 養老氏の話に戻る。「努力、辛抱、根性」は、田んぼをやれば自然に身につく。田んぼは手入れしないと実らない。手入れをしなくなった現代人は、幼児虐待をしてしまう。世話になった親の老後を放っておくのも同じ感覚かもしれない。子供の生存率が低かった時代は、子供らしさを大切にした。不幸がなさすぎると冷たい社会になるんじゃないかという。養老氏は、いつも社会をみているなと思う。専門である解剖学を通じて、趣味の昆虫採取を通じて、そして、ペットを飼うことを通じて、現代社会の問題点を鋭くあぶりだす。いつの時代にもその時々の問題があったに違いない。今日的問題に目を向け、考え、対処していくことがまさしく「手入れ」することであろう。近頃、ガタがきている自身のことも含めて手入れをしていかねばと、改めて感じたシンポジウムだった。
2011年1月30日 有楽町朝日ホール