「幸福途上国ニッポン」

 

著者:目崎雅昭

 

 

 日曜日の夜21時30分から、FM横浜「Baile Yokohama」でナビゲーターを務めている目崎雅昭氏(1969-)の著作があると知って読んでみた。目崎氏は、慶應義塾大学商学部を卒業後に入社したメリルリンチ証券のトレーダーとして、社内で世界一の収益をあげた実績の持ち主である。しかし、5年ほどで退社し、約10年かけて世界100か国以上を旅し、その間に英国ロンドン大学で社会人類学修士を取得している。ラジオで聴く穏やかな口調とは違い、その半生は非常にワイルドである!
 本書は2011年発行だから、情報はやや古いが、書かれている内容は現在にも通じる普遍的なものである。はじめに書かれてるのは、日本の幸福度が調査が始まった1958年から殆ど変わってないという事実である。調査方法の信憑性問題はあるとしても、ひとり当たり実質GDPが約6倍に上昇しても国民の満足度が変わらないのはとても興味深い。幸福度調査には様々あるが、大別すると、識字率や平均寿命、就学率などの条件から調査する「外面的幸福感」と本人の主観的な感覚を聞き取る「内面的幸福感」があり、日本の場合は、前者は高く、後者が低いという特徴があるそうだ。例えば、自殺率が低いから幸福度が高いとはいえないが(宗教上の戒律が厳しくて自殺率が低いなど)、自殺率が高い国で幸福度が高い国はなく、集団主義・権威主義の傾向が強い=自由度が低い。出生率については、幸福度が高い国で出生率が低い国はなく、逆に出生率が低い国で幸福度が高い国もないそうだ。というような様々な調査の結果、幸福度と非常に高い相関があったのは、寛容性だったそうだ。ワールド・バリュー・サーベイ所長のイングルハート教授の言葉、「人間はおびえずに生きていれば、それだけ他人にも寛容になれる」はとても重要な指摘と思える。具体的には、マイノリティの権利保障がその社会の寛容性の指標になる。例えば男尊女卑について、日本では賛成する人は3割未満と少ない一方で(3割近くもいる!)、反対も2割未満と少なく、多くの人が「どちらでもない」であり、結果的に過去から続く男尊女卑を黙認しているところに、集団主義の特徴がみてとれるようだ。ここら辺は、自分の肌感覚と近いものがある。自分で調べ考え意見をもつことより、みんなの意見に敏感に反応し、無自覚に同調するため、自身の差別的な言動に気付きにくい。子供が欲しいゲームを親に要求するとき、「みんなも持っているよ!」という殺し文句を使うように、大人になっても根本的な思考パターンは変わってない気がする(苦笑)。
 ノーベル経済学賞を受賞したアマルティア・セン教授は、「社会が発展する意義は、個人の選択の自由を広げることであり、豊かさはその次である」といっているそうだ。世界56カ国を対象に行われた調査で、日本は世界最低レベルの自由度だったそうである。世界192カ国を対象にした別の調査では、日本は政治的な制度としての自由度は高いが、人々が実感する自由度は低いという結果となっている。その理由として、日本人がもっている恥の意識、集団への同調や常識的かどうかという判断基準、世間体が自由の行使を抑圧している可能性を著者は指摘している。
 もう1つ、日本の特徴として、メディアの信用度が高いことがあり、メディアという大きな権力を信頼し、その報道を従順に受け入れることは、集団主義の発想と一致しているという。信頼しているキャスターの意見がそのまま自分の意見になったり、自身が情報操作されていることに気づかない状況すらあるという。
 他にも様々な観点から幸福に関する調査データが紹介されていて、例えばオリンピックでは、銀メダルより銅メダルを取得した人の幸福度が高いなど興味は尽きないのだが、第4章、第5章では、「どうしたら日本は幸せな国になれるのか」、「幸せへの手引き」が書かれている。実際に読む方がよいと思うので、ここでは自分のフックに引っかかった言葉をざざっと列挙してみる。「幸福の反対は不幸ではなく、退屈」、「好奇心のない人生に、幸福感が訪れることは難しい」、「幸福を感じる脳の状態(フロー)は、ひとつのことに集中している状態で、非常に大きな充足感を与えてくれる(快楽とは違う)」、「(フローを体験するために)根本的なことは、自分の『好き』と『嫌い』を明確にすることだろう」、「努力して習得したものであるからこそ、フローが生まれる」、「『なぜ』と疑問を持つことが、『考える』第一歩なのである」、「新しい提案や違った発想は歓迎すべきである」、「『常識外れな要求はするな』という風潮は、常識で人を縛る発想である」、「『失礼だ』という発言は、対話をする姿勢とはほど遠く、単なる権威主義でしかない」、「戦争などの争いの根本には、相手に対する偏見が強く関与することが多い」、「極端な思想に傾倒する人は、どこか途中で、疑問を持つことや質問することを止めている」、「日本で迷惑かという大きな判断基準は、『周囲の人と違う行動をしているか』が大きな分岐点となっている」、「迷惑と断定する前に、それが本当に公共の利益に反するのか、よく考えるべきだろう」、「幸せな人は、他人への気配りをする傾向がある」、「幸せな人は、不幸な人よりよく働く傾向がある」、「幸せは行為の結果である。自分の可能性を最大限に活用した人に与えられる」、「『利己主義』と『個人主義』は決定的に違う」、「『個性の多様化』が目的ではない。多様化は、あくまで個性化の副産物」、「個人の意識が変化することが圧倒的に重要なのは、日本社会の問題が、法律等の制度というよりむしろ、社会の慣習に根付いているからである」。「常識や世間体も大切だが、人生でもっとも大切なのは、自分自身の内なる声である」などで、著者が最後に提案するのが、「社会個人主義」という概念である。個人の能力が最大限に発揮された行動が大きな社会貢献をした時に、最高潮の充実感が得られることから、個人が幸福を追求する手段として社会貢献を勧めるもので、社会貢献が個人の目的ではない。個人の目的はあくまで幸福な人生を送ることである。長年のモヤモヤが晴れる読後感があった。


 

(アスペクト)