「イスラエルについて知っておきたい30のこと」

 

著者:早尾貴紀

 

 

 戦後80年になる今年(2025)、戦争を振り返るテレビ放送や映画、イベントが例年に比べて多い気がしている。つい先日(9月3日)も中国で、「抗日戦勝記念80周年」の軍事パレードがロシア・プーチン大統領や北朝鮮・金正恩(キム・ジョンウン)総書記など26か国の首脳を招いて盛大に開催された。そうか、戦争は終わっていても戦後は続いているのかと感じた。2022年2月24日に始まったロシアのウクライナ侵攻も2023年10月7日に始まったイスラエル・ガザ戦争も終わりが見えない。「なぜ、戦争はなくならないのか?」と誰もが思うが、要因が多く複雑過ぎて容易に説明も理解もできない。しかしながら、無から自然発生するわけはなく、必ず原因があるはず。たとえ突拍子もないおかしな理由だとしても何かあるはずで、それは知っておきたいと思い、本書を手に取った。日本から遠く離れた中東での争いであっても、色々な意味で、決して対岸の火事では済まされない気がしている。
 著者は、社会思想史の専門家としてシオニズムを研究し、ヘブライ大学客員研究員として東エルサレムに在住していた経歴をもつ。現在進行形のガザ侵攻のことだけでなく、1948年のイスラエル建国、さらに19世紀末のシオニズム誕生に至るまでの長い長い道のりを遡り、網羅的にわかりやすく解説されている。断片的に聞きかじった知識ではよくわからなかった複雑な事情を理解するうえで一読の価値ある良書だと思う。イラン出身の中東研究者、ハミッド・ダバシ氏の言葉が印象に残った。「ガザ攻撃にはヨーロッパ植民地主義の歴史全体が含まれている」。この言葉が意味するところは、イスラエルを知ることは、人類と戦争の生い立ちを知ることでもある、ということだと思える。
 本書を構成する30のテーマすべてが発見の連続だったが、その中でも特に衝撃を受けた内容に触れておきたい。いの一番は、「ホロコースト・サバイバー」のためのイスラエル建国という言説が建国から10年以上経って考えられた後付けの理由だったという事実。ドイツは元より、どの国もホロコーストの非人道的な残虐性を否定することはできない。そのことをイスラエルは巧みに政治利用しているのだが、多くの人はその事実を知らないし、知っている人でも反論は極めて難しい。2つ目は、シオニズムに登場する「離散と帰還」の物語。ローマ帝国に滅ぼされ世界各地に離散した古代ユダヤ王国の民を、ヘブライ語聖書にある「約束の地」へ帰還させようという話も歴史的事実とは違うことが明らかになっている。様々な研究により、エルサレム神殿の崩壊後も多くの住民はその地に住み続け、東欧や中欧にいるユダヤ教徒は元々のヨーロッパ人だったというのが事実である。では何故、ヨーロッパ諸国はユダヤ人によるパレスチナ国家を進めてきたのかが3つ目である。それは、アラブ地域の真ん中にヨーロッパにいるユダヤ人を入植させることで、アジア・アフリカからヨーロッパ文明を守る防壁とするためということである。根底には排外主義・人種主義的なキリスト教と西洋の植民地主義、さらに1つの民族が1つの国家を形成する国民国家主義が融合し、それがシオニズムという思想なのだそうだ。冒頭に紹介したハミッド・ダバシ氏の言葉は、この辺とつながってくる。
 2023年10月7日、ハマースがガザ地区からイスラエルにロケット弾を発射し、検問所を突破して領内に侵入して戦闘が始まった。イスラエルの諜報機関は、事前にこの一斉蜂起の動きを掴んでいたが、敢えて攻めさせた可能性が否定できない。イスラエル人の犠牲者が出たことで、「前代未聞のテロ」と謳い、「報復攻撃」という名目で一般市民を巻き込んだ大規模な攻撃に着手し、もはや報復の域を遙かに超えてジェノサイド(集団虐殺)の様相を呈している。建国からオスロ合意、ガザ侵攻までの歴史的経緯を読んでいくと、いかに巧妙にイスラエルが世界に正当性を訴え、パレスチナ人を周到に罠にかけ交渉を有利に進め、最終的には圧倒的な武力で制圧していったかがよくわかる。一言でいえば、頭が良すぎるという印象をもった。パレスチナ人は全く歯が立たず、いいように領土を奪われ、市民が犠牲になり、しかも「テロ組織の一掃のため」という口実まで与えてしまっている。そこにはイスラエルだけでなく、ヨーロッパ諸国やアメリカの利害も関係しており、実は日本も責任の一端を負っている。非常に残念なことに、対岸の火事どころではない。
 

(平凡社)