|
「はだしのゲン わたしの遺書」
著者:中沢啓治
この本が出版されたのは、奇しくも著者・中沢啓治氏が亡くなる平成24年12月19日の翌日である。爆心地からわずか1.3キロの場所に自宅があった中沢さんは、6歳の時に被爆する。8時15分、国民学校に登校していた中沢少年は、学校の厚い塀と街路樹の狭間で偶然生き延びたが、自宅にいた父、姉、弟、妹を亡くす。6歳の少年が見たものはまさに地獄絵である。3千℃を越す熱線を浴びて垂れ下がった皮膚を引きずって逃げ惑う人、無数のガラス片が身体中に刺さり鮮血を流して苦しんでいる人、死体に群がるウジ、たちこめる腐臭…。
下駄の塗装業をしていた中沢さんの父は、絵心もあった人で、中沢少年もその血を受け継いだようだ。小学3年生のときに手塚治虫の「新宝島」に出会い、漫画家になると決める。しかし、夢が実現してからも原爆のことは忘れたい一心で、書こうとは決して思わなかったそうである。それが、母の死で変わる。火葬場で焼かれた遺体は骨のかけらと灰ばかりで、骨格が残ってなかったという。放射能が骨の髄まで破壊し尽くしていたことへの強い憤りが原爆漫画を描くきっかけになったのだという。
最初に書いた「黒い雨にうたれて」という作品は大手出版社には受け入れられず、なぜか、成人向けコミック誌の「漫画パンチ」に掲載してもらえることになる。ただし、原爆を露骨に批判しているため、CIAから捕まるかもしれないという覚悟の上での出版だったそうだ。とにかく中沢さんという人は反骨精神の塊のような人である。
中沢さんは色紙を頼まれたら、「人類にとって最高の宝は平和」と書いたそうだが、その意味を本当に大切にし続けられるのか、甚だ危うい昨今である。「戦争はきっと、忘れたころにまたやってきます」という言葉もあった。幸いにも「はだしのゲン」は、子供たちに人気があるそうだ。10数カ国の言語にも翻訳され、世界中で読まれている。中沢さんの遺志は、次世代に読み継がれていくだろう。
中沢氏は、被爆の後遺症と常に戦って生きてきた。白内障で筆を折り、肺がんを患ってからも講演活動で原爆の悲惨さを伝え続けてきた。本作は「わたしの遺書」とあるとおり、一人の被爆者が命がけで伝えたかったことが書かれている。漫画「はだしのゲン」の中に、「ふまれても ふまれても たくましい芽を出す麦のようになれ」という父親の台詞が何度も出てくるのは、実際に中沢少年の父がよく言っていた言葉だそうだ。6歳で突然死に別れた父の言葉を生涯をかけて全うした生き様にも心を打たれる。心からご冥福をお祈りしたい。
(朝日学生新聞社)
|