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「再び女たちよ!」
著者:伊丹十三
今年(2013年)、伊丹十三に出会った。故人であるから、実際に会った訳ではなく、伊丹十三という「存在感」或いは「価値観」「世界観」に出会ったのである。好みのタイプだ!大体、宮本信子を妻にしている時点で、かなりシンパシーを感じる。それほど伊丹氏を知っているわけではないが、でも、ピーンときたんだから、間違いないと思う。
伊丹十三というと、「マルサの女」(87)や「あげまん」(90)など映画監督のイメージしかなかったが、元々は俳優であり、エッセイストである。他にも商業デザイナーだったり、雑誌の編集長だったり、TV番組の製作に携わったり、何事も厳密に極めてしまう才人だったようだ。
「伊丹十三の本」という本に、帽子についての文章がある。「人間っていうのは基本的に退屈してるんです。自分に死ぬほど飽き飽きしてるんです。つまり、人間はいつも自分じゃないものになりたいんですよ。」ってところから、伊丹氏がソフト(帽子)を被るのは、日常から非日常へ脱出を企てているせい。「つまり、僕にとって、帽子は一つの旅である」ってところに辿り着く。身近な事柄を平易な文体で語りながら、さり気なく思考を深める。うわ〜お洒落だなって、思いませんか?
昭和42年、伊丹氏は大島渚監督の映画「日本春歌考」で宮本信子と共演する。その年、芸名を一三から十三に改名。「マイナスをプラスに変える」という意味で!1つひとつやることにこだわっていて、いちいち面白い人だなと思う。
「再び女たちよ!」は46編からなるエッセイ集。タイトルから察せられるように、「女たちよ!」が先にある。刊行された昭和47年の3年前に、宮本信子と再婚している。「エッセイスト伊丹十三のピークに位置する傑作である」と「伊丹十三の本」に書かれていた。
例えば、「済んでしまった!」では、昔のフランス映画でみた「人間は生涯で3回恋をすることができる」という話から始まる。初恋、そして二十代の恋があって、あと1回できる、と多くの人が共感できるカラクリがつまびらかにされる。「辞書」の書き出しは、「笑うという字がいかにも笑ってるように見えるのを発見したのは、小学校三年の頃だったと思う。」という具合に、瞬時にして読み手を漢字の世界に連れ込んでしまう。「書斎の憂鬱」は、原稿依頼にくる編集者をタイプ別に解説したものだが、確かな洞察力と機知に富む表現力が相まって、思わず笑って、同時に納得もしてしまう。果てしなく広々と自由にして、深い人である。
子供時代には退屈も必要、というようなことを何かで読んだことがあるが、大人はどうなのか。日々退屈と思っている大人って案外少ないような気もする。次々と追われるように忙しく、退屈どころではないという人が大半ではないだろうか。しかし、せかせかと忙しなく過ごしていることと、充実した人生を送っていることとは少し違うのかもしれない。この本を読んでいるときの充足感を知ると、他が空っぽのように思えてしまった。空っぽの退屈になることも、必要かもしれないけど…。
(新潮文庫)
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