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「舟を編む」
著者:三浦しをん
先日、話題のサイレント映画「アーティスト」をみた。今年(2012年)の米アカデミー賞では作品賞を含む5部門を受賞し、日本での観客の反応も上々のようだが、個人的にはそれほど楽しめなかった(残念!)。「サイレントなのに凄いじゃないか!」もしそんな視点で評価されたのだとしたら、僕には疑問である。だって、チャップリンの数々の名作は、もっと面白い。物語自体が奇想天外だし、目で見ていて楽しいシーンの連続なのだ。「街の灯」(31)で、花売娘と浮浪者チャーリーが出会うシーンには300テイクを要したというくらいこだわっているので、見ているだけでも頭の中では「会話」が聞こえているようなのだ。そして、サイレントではあっても「言葉」が活かされている。エンディングの「you」の字幕が今も目に焼き付いているほど、言葉が効果的に使われている。
「アーティスト」を観て、改めて「言葉」の面白さに興味を感じていた頃、「舟を編む」を読んだ。辞書の編纂にかかわる人々の物語。近頃はネットで検索という便利ツールが普及して辞書の存在感は薄れる一方だが、誰もが多かれ少なかれ辞書で「言葉の海」を彷徨った経験があるんじゃないだろうか。1つの言葉を引くとそこにわらかない言葉があって、また引いて、また引く。辞書は言葉の大海原を渡るための舟に例えられ、この物語は語られていく。
言葉はまるで生き物のように、変化していく。先に使った「こだわる」という言葉も元々悪い意味で使われていたそうだが、現代ではむしろプラス評価の際によく使われている。言葉の説明に用いる用例も時代によりニュアンスが変わるため、数多くの学生を使って細かくチェックしていく。死語であっても、辞書には掲載しておくべきものもある。辞書づくりの過程は地味そのもので、大変な労力と時間がかかる仕事なのである。
高度成長期は働くことが経済的豊かさに直結し、わかりやすく幸せを感じられた時代だったのだろう。経済的成長が見込めなくなったバブル崩壊後は、別の角度から価値観を見出そうとしてきた感があるが、リーマンショック辺りを境に拡大した格差社会では、価値観云々以前に生活の基盤となる仕事がないという状況さえ生まれ、再び「お金」の地位が高まっているような気がしてしまう。要は、のんびりとはしてられない風潮である。
そんな風にぼんやりとした居心地悪さを感じているせいか、日の当たらぬ辞書編集部であっても一心不乱、迷うことなく熱い情熱を傾け続ける主人公・馬締光也の姿には、大いに励まされた。「働く」ことの歓びや敬意があってこそ、この社会に希望は生まれ育つと信じている。
(光文社)
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