台   所 
 
 僕が子供の頃は、家で食事をするのが日常で、ときどき外で食べるのがふつうだった。外で食べるのは特別な日だけで、例えば、家族で遊びに出かけたときや、お客さんが来たときなどだったが、そういう機会もそれほど多くはなかった。今でも覚えているのは、初めて不二家レストランへ行ったときのことだ。小学4年のときだったと思う。仲良しのK君の家に遊びに行った日のことだ。K君の家はなかなか金持ちなんだなって、いつも着ている服の新しさや種類の多さから子供心に感じていたのだが、あるとき、彼のお父さんがスカーフ卸業を営む会社の社長さんだと知って、納得していた。「社長の家」は一見ふつうに見えるが、置物や部屋の様子からやはりわが家とは違うなぁと思わせるものがあった。そして何より社長夫人が違っていた。とても美人で太ってないのだ!やはり自分の家とは違っていた…。K君の下の名前は「ひろし」なのだが、なんだか名前まで恰好いいような気がして、何でもかんでもすべてが羨ましくて仕方なかった。
 そして、その遊びにいった日のことだが、夕方になってそろそろ帰ろうかなという頃、例の「社長さん」が恰幅のいい体を揺らしながらどこからともなく現れ、折角だから一緒に食事へいこうということになったのだった。外食慣れしてない僕はずいぶん恐縮したのだが、とりあえずお家の人に連絡しなさいと言われて、母親に電話をした。遠慮しなさいよと言われた気もするが、結局、行ってもいいということになったのだと思う。それから「社長」の運転する外車に乗って、不二家レストランに連れていってもらった。もう嬉しさと緊張感で、何を食べたのか、美味しかったのか、みんな忘れてしまったが、すごく得した気分だけはハッキリと思えている。家に帰ってきてからも、外食へ行ったことを重大事件のように母親に話したように思う。
 しかし、「今」はどうだろう?ファミリーレストランは、全然特別な所ではなくなってしまった。誰もが気軽に行ける時代になったのだ。そして、むしろ思い出すのは、子供の頃、日が暮れて家に帰ってくると、台所から聞こえてくるトントン…という音といい薫りだ。何度食べても飽きることのない母親の家庭料理こそ、本当の贅沢だったのだと、今になって思うのだ。
 だから、今は、自分も台所に立っている。1日でも多く、子供に家庭の味を味わってもらいたくて、僕は台所に立っているのだ。