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コミンテルンの謀略と日本の敗戦
著者:江崎道朗
今年(2022)2月24日に始まったロシアのウクライナ軍事侵攻から半年が経過した。短期間での首都陥落というロシアの思惑は外れ、ウクライナの激しい抵抗と欧米の支援により長期戦となっている。長期になればなるほど、犠牲者が増え、とりわけ民間人の犠牲をウクライナだけが負う現実は理不尽極まりない。なぜ、人類はこういう悲劇を繰り返してしまうのか。自国の平和を護るために侵略戦争するという矛盾をどう理解すればよいのか。そんな疑問にモヤモヤしていたら、コミンテルンという言葉に出くわした。聞いたこともなかったが、この本に書かれていることが事実だとすれば、誰も望まない戦争が起きてしまうのは、水面下で仕掛けている人たちがいるからということになる。なぜ、仕掛けるのか?軍事産業で金儲けするためという話を耳にすることもあるが、それは周辺の理由であって、もっと核心に如何ともし難い根本原因があるように思えてならない。本書を読み、その一端が少しわかった。77年前、日本が敗戦に至る詳細をみていくと、そこには共産主義の世界制覇という目論見がみえる。1917年のロシア革命で共産主義国家をつくったレーニンは、1919年にコミンテルン(共産主義インターナショナル)を結成し、こう述べている。「解決不能の矛盾をはらんだ資本主義が滅ぼされない限り、ヨーロッパ文化一般の崩壊をも意味するであろう」。100年前の革命が先の戦争に影響していたこと、そして、77年前の敗戦が今につながっていることを知って腑に落ちると同時に、連綿と受け継がれる因果に恐ろしさを感じてしまった。
本書は、1995年に公開された「ヴェノナ文書」から始まる。戦中戦後、アメリカに潜入していたソ連スパイの交信記録を解読した文書である。欧米ではこうしたスパイ工作の実態が明らかにされつつあるが、日本ではほとんど研究されてないらしい。著者が述べているように、日本が戦った相手のことを知らずに「あの戦争」の真実はわからないし、過去の歴史と現在直面している政治課題は密接に連動しているのは間違いないだろう。名前くらいしか知らなかったが、「ゾルゲ事件」で有名なソ連スパイのリヒャルト・ゾルゲと深いつながりをもっていたのが、朝日新聞記者の尾崎秀実である。彼もソ連スパイとして、戦前の近衛政権に潜入し、巧妙に政局を誘導していた。1940年、近衛総理大臣を総裁として「大政翼賛会」が結成され、既成政党は解党され、議会制民主主義は事実上、否定されてしまう。内閣情報部が発行した「週報」(昭和15年10月7日発行)には、大政翼賛会の目的が全体主義の実現、英仏米の自由主義、資本主義陣営との戦いだと書かれているという。これは文字通り、レーニンの世界戦略そのものである。著者曰く、「近衛首相が打ち出した新体制運動は、国家が国民動員の組織をつくり、社会の末端まで統制を行き渡らせ、国家の総力を結集して高度国防国家をつくりあげるというもの」だという。この理論的支柱となったのが昭和研究会であり、ここに尾崎が深く関わっている。大東亜戦争開戦直前の1941年11月15日に大本営政府連絡会議が決定した腹案文書がある。日本の基本戦略であり、唯一の戦争計画とされるこの文書に、ソ連と融和関係を結び、米英と戦う、中東やインドはソ連の支配下においてもよいという主旨が記録されている。当時、日本が北進ではなく南進という決断を下し、ソ連と融和し、米英と戦う大東亜戦争に突入していくように暗躍していたゾルゲや尾崎の思惑どおりになっていったのだ。1941年9月6日の御前会議で「帝国国策遂行要領」が決定され、10月上旬までに日米交渉の目途が立たなければ開戦するとされたが、昭和天皇は対米開戦に反対の意思を示していた。期限までに日米交渉をまとめられなかった近衛内閣は総辞職し、代って陸軍大臣だった東條英機が組閣することとなる。この東條内閣に対しても昭和天皇は、「9月6日の国策遂行要領を白紙にせよ」との御諚を出している。この東條内閣は、大東亜戦争と命名したこの戦争の目的を明確に設定する機関を持ってなかったという。開戦からの日本軍は破竹の勢いで快進撃をしていた。祖国防衛が目的であれば、戦争終結の機会はあったはずだが、アジアの解放を目的にするとすべてのアジア諸国が独立するまで戦争が終わらなくなってしまう。それは現実のものとなり、結果として、後述するレーニンの「敗戦革命論」のとおりになってしまう。読んでいてとても残念に思うのは、英米との開戦に反対していた人が少なからずいたこと、また、早期の戦争終結を主張していた人がいたにも関わらず、東條内閣が盲進してしまったことである。当時の記録を読むと、合理的、客観的に判断したというより、何かの思想に洗脳されていたかのような印象を受けてしまう。
産業革命という言葉が初めて使われたのが1837年。カール・マルクスの「資本論」の第1部が発行されたのが1867年。その1800年代、産業発展とともに工場労働者が増え、貧富の差が広がる中で、生産手段の国有化により格差社会を是正し、貧民救済をしようという社会主義への世界的潮流があって、1918年、世界初の共産主義国家・ソ連が誕生する。1914年に始まる第一次世界大戦を経験したレーニンは、資本主義による利益の追求によりマーケットの奪い合いから帝国主義戦争になるのだから、プロレタリア独裁を樹立することでしか平和にならないと考えた。戦争を徹底的に拒否し、自国を敗戦の危機に陥れて革命を起こそうとする「敗戦革命論」という考えをとっている。また、ブルジョアジーを滅ぼさない限り戦争が起こり続けるのだから、戦争を抑止するために武器を持って闘争し、革命を起こせという「反戦平和」の思想が根底にあり、今日に至るようだ。
コミンテルンの謀略については、あまりに複雑なので要点をまとめることすら困難だが、以上のようにざっと俯瞰してみると、プーチンがやっていることは、いかにもレーニンが説いた「敗戦革命論」であり、「反戦平和」そのものに思えてくる。世界を共産主義化する以外に平等も平和も訪れないし、そのために武力の行使も絶対に必要という思想なのだ。平和のために戦争するという一見矛盾しているような思想だが、窮鼠猫を噛むの例えのように、恐怖心や危機感に敏感な人ほど攻撃的になる道理があるように思える。裏で戦争を煽った尾崎も開戦に踏み切った東條も愛国者だったと、著者は述べている。恐らくレーニンやプーチンにしても同様だろう。愛こそが、恐ろしい。自己愛、家族愛、愛国心が強くなればなるほど、周囲が敵にみえ、恐怖の対象になるのかもしれない。
本書の最後の方で、戦前の政府や官僚や大学を巻き込んだコミンテルンの謀略を見抜いていた人物たちが紹介されている。その一人、小田村寅二カ(吉田松陰の妹の曾孫)は、聖徳太子の十七条憲法や歴代天皇の政治思想を研究しながら思想的鍛錬を積み重ねていたという。第10条にある「共に是れ凡夫のみ」とは、国民同胞一人のこらず、欠点だらけの人間同士であり、人間はそれ以外の何物でもないという表現だという。人は自分を磨けば磨くほど自分の未熟さをより一層知るようになり、修行を積めば積むほど自分がいかに欠点だらけか判るようになる。学問に励むとは、万人の苦しみ悲しみを人一倍敏感に受けとめ得るように自分の心を鍛えていくことを意味することであるべきと小田村は述べている。いかなる人間も不完全であるという前提に立てば、戦争は本来短期終結をめざすべきものとなり、「神のみえざる手」を活用する自由主義経済や独裁ではなく様々な意見を持ち寄って衆議を尽くす議会制民主主義がよいと著者は結んでいる。その点は、大いに同感である。怖いのは、案外、美しい言葉だと常々感じている。真実を確かめることなく、断片情報を鵜呑みにすること、みんなが言っているからと思考停止になることが一番恐ろしい。それは77年前の昔話なのではなく、今、まさに起きている現実に思えてならない。
(PHP新書)
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