「父と暮せば」
 
 
著者:井上ひさし
 
 
 黒木和雄監督の2004年の同名映画を見て以来、心に深く残っている作品だが、原作(戯曲)を読むのは初めてである。映画では、宮沢りえと原田芳雄が掛け替えのない父と娘の絆を魂のこもった名演技で見せてくれた。広島・原爆の話にも関わらず、不思議なほど陰湿な雰囲気がないのも好感がもてる。
 新藤兼人監督の「一枚のハガキ」(11)や降旗康夫監督の「ホタル」(01)にも共通しているのが、戦争を生き残った人の負い目である。経験のない者には理解しにくいのかもしれないが、本作の主人公、美津江もまた、「自分だけが生き残って申し訳ない」という後ろめたさで押しつぶされそうになりながら生きている。そんな美津江に想いを寄せる好青年・木下さんへの恋心が芽生えても、「恋はいけない。うちがしあわせになってはいけない」と自分を必死で戒めてしまう。こういう慎み深い感覚は、日本人ならではの美徳なのかと思いきや、フランス語に翻訳されて上演された舞台は大好評を博したそうだから、案外、万国で共感できる感覚なのかもしれない。
 この作品を創作した井上ひさし氏も映画化した黒木監督も、演じた原田さんもバタバタと鬼籍に入ってしまわれた。新藤監督も「一枚のハガキ」が遺作となった。淋しい限りである。死人に口なしとよく言うが、案外、そうでもないなと、近頃は思う。むしろ、生前にも増してダイレクトに心に響いてくることがある。日々をきちんと生きねばという気持ちに自然となる。「父と暮せば」のメッセージもそこにあり、丸山才一の批評を引用させてもらえば、「われわれはあの戦争の死者たちによって、怨念を聞かされるのではなく、自分たちの分まで元気に生きて、生きることを楽しんでくれと激励されるのである」のが、この「父と暮せば」という作品なのである。それほど肩肘張ることもないだろうけど、彼たちの無念を心の片隅に刻んでおこうと思う。
 
(新潮文庫)