VTのシンデレラ
Scene 1
「この辺にガソリン・スタンドありますか?」
甲州街道23時。白いVTに乗った見知らぬ女の子が、信号待ちしている僕に、突然声をかけてきた。これには前ふりがあって、かなり前から僕の後方をバイクが追ってきていた。抜かしていくわけでなく、離れもせず、ただひたすら僕のバイクの後をピタッとついてくる。「ストーカー?」なわけはないのだが、困ったことに、ヘッドライトがひどく眩しかった。ハイビームにしたまま走っているに違いない。
「マナー違反だよ!」バックミラーに反射した光で、目がチカチカした。
「ちきしょう!まったく困った野郎だな!」
そう思って腹を立てながら信号待ちしているところに、バイクが近寄ってきて声をかけられたのだった。まさか女の子とは思ってもみなかったので、本当に拍子抜けしてしまった。
それにしても、バイクに乗っている人に声をかける人も珍しい。しかも、こんな夜中に見知らぬ人に声をかけるなんて、結構勇気のいることだ。
たぶん、少々変わった女の子なんだろう。
「ガソリン・スタンドなら、この先いくらでもあると思うけど、一体どうしたの?」
そう答えながら僕は、ヘルメットの中の彼女を興味深く覗き見た。フルフェイスのヘルメットに隠れて顔は見えなかったが、ヘルメットの奥からこちらを見ている瞳がキラキラと輝きとても澄んだ色をしていた。変な子でもなさそうだ。
「オーバーヒートぎみで、エンジンがすぐ止まっちゃうの!」
気後れも物怖じもしないハツラツとした口調は、近頃流行の「かわいこブリッコ」とは対照的に、天然系の健康的な雰囲気を漂わせていた。
信号待ちの間にVTのインパネ部分を見ると、確かにラジエター水温を指す針がレッドゾーンまできていた。原因はよくわからなかったが、普通の人は、取りあえずバイクを停めて、しばらくエンジンが冷えるのを待ったりするものだが、先を急いでいるのだろうか、その女の子はガソリン・スタンドへ行って、エンジンに水をかけて冷やすつもりでいた。女の子にしては実に大胆である。僕は、その大胆な発想が気に入って、彼女をスタンドまで案内することにした。それと、ハイビームの件も忘れずに付け加えた。本人は全く気が付いてなかった。相当慌てていたのだろうか。いや、元々そういうことにあまり頓着しないタイプなのかもしれない。僕は、彼女のそういう部分が少し面白くもあった。ともかく、素直にスイッチを直してくれたので、僕と対向車線を走るすべてのドライバーにとっては、「めでたし、めでたし」であった。
しばらく走って、mobilに入った。
彼女はすぐにホースを借りてきて、熱くなったエンジンに水をかけはじめた。僕は、そんな彼女を少し離れたところから眺めていた。
彼女は、かなり珍しいキャラクターの持ち主なんだろう。例えばそれは、彼女の乗っているバイク〜白に青のラインの入ったVT250U型〜を見ても想像できた。荷台には大きなボストンバッグが積まれ、その上にはむき出しのまま折りたたみ傘が置かれ、タンクの上には手さげ鞄がロープで縛り付けてある。こんなパッキングでは、ツーリング中に崩れてしまいそうだ。かといって友達の家に遊びに行くにしては、妙に大袈裟な装備である。こんな夜中に急いでいるところをみると、「まさか、家出だろうか?」
しかし、彼女の明朗快活な様子をみていると、それは考えられなかった。むしろ、彼女の場合は、ツーリングの場合でも友達の家の場合でもこのパッキングで行ってしまうような気がした。たぶん、そういうセンスなのだ。そして、不思議なことに、そのときから僕は、その奇妙なセンスに少しずつ惹かれはじめていた。
すっかりエンジンの冷めたVTを押しながら、彼女が近寄ってきた。そして、ヘルメットをとった彼女を初めて見て、僕は本当に驚いてしまった。
Scene 2
骨太でずんぐりとした体型。愛嬌のある丸顔に男勝りの気の強さ。そして珍妙なセンス。
そんなタイプを想像していたのに、今、目の前にいるのは、小柄でとてもチャーミングな本当に可愛らしい女の子。
「どうもありがとうございました。お陰で助かりました」
彼女は本当にキレイな瞳をキラキラさせながら、心底うれしそうにペコリと頭を下げた。
「直ってよかったですね。これから、どこまで行くんですか?」
「これから八王子まで行きます」と彼女。ツーリングではなく、目的地は取り合えず、友達の家だった。
彼女は、W大の3年生だった。それなのに、八王子にあるK学院大学のツーリング・クラブに入っていて、明日から合宿ということだった。合宿といっても、ツーリングのことだが。
それにしても、名門W大ならツーリング・クラブがいくつもありそうだが、なぜK学院まで行くのだろうか?何か特別な事情でもあるのだろうか?
彼女のことが知りたくなっていた僕は、ストレートに「なぜ?」と聞いてみた。
「全国レースで上位入賞の常連だから」というのが彼女の答えだった。
しかし、彼女がレースに出るわけではないし、そんなにバイクに夢中という風にも見えないし、その疑問はなんとなく疑問のまま残った。
時計の針は、午前0時少し前を指していた。さっき出逢ったばかりの見知らぬ女の子とガソリンスタンドで立ち話をしている。彼女の話は、とても魅力的で、時がたつのを忘れた。歯切れのよいテンポ、角の丸い言葉遣い、それに女性的な美しいしぐさが、月夜の下、とても魅惑的だった。ずっとこのまま話をしていたいと思ったが、そういう訳にもいかない。
「もう、出発しよう」
そう言って、僕がバイクにエンジンをかけようとしたとき、彼女が僕の背中を指さしながら言った。
「このジャンパーって、どこのチーム?」
僕の着ていた黒地のジャンパーには、白い刺繍で”RIDERS OF DHARMA”のロゴがあった。
大学の友達と作っているバイク・チーム。といっても、年に数回ツーリングへ行くだけのまとまりのない集まりだった。ただ、ジャンパーの仕上がりはなかなか好評で、ジャンパー目当てにメンバーに入った人も少なからずいたようだ。
僕はチームの活動や愉快な仲間のことや過去に行ったツーリングでの出来事などをとりとめもなく話した。ちょっと意外だったが、そんな僕の話を彼女は真剣に聞いてくれていた。
そして、もう少しで僕の話が終わろうというとき、彼女が言った。
「わたしも、RODに入る!」
この一言から僕たちの関係は始まり、そして後に、僕はずっと苦しむことになる。
いや、後悔は微塵もない。ただ、一生忘れることのない苦い想い出である。
mobilを出た僕たちは、再び甲州街道を西に向かい、一緒に走った。バックミラーの中には、VTのヘッドライト。もう眩しくはない。赤信号に停まるたび、僕たちは互いのことを話した。彼女の実家が米屋だと聞くと、僕は自分の子供の頃の夢が米屋になることだったと話した。彼女は驚いて、ヘルメットの中で目をパチパチさせていた。
彼女の将来の夢も聞いた。大学を卒業したら、中国語の通訳になるのが夢。そのために中国へ留学したい、と言う。彼女は夢を叶えるために、人一倍真剣に、一生懸命に生きている人だと思った。目的に向かって、ひたむきに走っている。だからこそ、その姿がとても美しい人だった。この人を好きだ、と僕は思った。
Scene 3
しばらく一緒に走って府中駅前まで来ると、僕は右へウインカーを出し、彼女に大きく手を振った。彼女も応えて警笛を2回鳴らし、そのまま甲州街道を直進した。VTのエンジン音が闇夜に響き、僕の心の中にもこだまして消えた。午前0時が近づいていた。
下宿に戻ってからしばらく、僕は呆然としていた。たった今一緒にいた彼女とのことが、すでに何か架空の出来事のように感じられた。狐に摘まれたとは、まさにこういう感じのことなんだろうと思った。それでも、現実に彼女とは出逢ったのだ。彼女にもらった電話番号のメモ、それだけが僕と彼女を結ぶたった一つの証として残った。
数日後、ツーリングの計画を立てて、彼女に電話をした。彼女とよく似た声の妹が出たが、本人は不在だった。伝言を頼んで数日が過ぎたが返事はなかった。
5日目の夜、僕からもう一度電話を入れたが、またも不在。合宿に行っていて、しばらくいないということがわかった。
しかし、その翌日、彼女から電話があった。あの晩の彼女より少し落ち着いた声をしていた。先日、電話に出た妹とは双子の姉妹だった。どうりで声が似ているわけである。彼女の通っている大学に中国から留学生が来ることになりそうで、すごく楽しみにしていると、彼女の声が弾んだ。そんな話を少しして、ツーリングは忙しいので行けるかわからないけど、行けたら行くということであった。別に無理しなくても次回があるからと、自分に言い聞かせるように僕は言った。そして、どうやらその通りになってしまうようだと、嫌な予感を感じながら、僕は受話器を置いた。
それから1ヶ月が過ぎて、次のツーリングを計画したときも、真っ先に彼女に電話をしたが、本人はいなかった。その後も彼女は不在のことが多く、運良く話ができたことも何度かあったが、ツーリングに来ることはなかった。僕の大学へも一度行きたいと言っていたが、実現しなかった。
僕は淡い夢を見ていたようだ。VTに乗ったシンデレラが突然僕の前に現れて、僕を誘惑し、そして午前0時が来る前に姿を消してしまった。神様の気まぐれか、それとも彼女の気まぐれか…。
彼女が気まぐれを言うとは思えなかったが、誘っては断られての連続で次第に連絡もしなくなってしまった。
Scene 4
何事もなく半年の歳月が過ぎていった。彼女に電話することも忘れ、彼女自身のことさえ、半ば諦めるようにして忘れていた。そんなある日、1枚のハガキが僕の下宿先に届いた。差出人は「N.N」。彼女からだった。そこにはピンク色の字で「憧れの中国へ留学することになったんだヨ!」と書かれていた。忘れていたはずの彼女のキラキラとした面影がまざまざと浮かんだ。
「よかった。彼女の夢が叶ったんだ!」
素直に僕はうれしかった。彼女くらいひたむきに努力しているんだから、きっと神様は、彼女の夢を叶えてくれると思った。きっと近い将来、立派な通訳になれるだろう。
「頑張れよっ!」って声をかけてやりたくなった。
「でも、それは僕が言うことではないのかもしれない。きっと、他の誰かが言っている…」
と、何故かこのときになって初めて、そんなことを思った。
ハガキの最後には、こう書かかれていた。
「ツーリングに行けなくてごめんなさい…。」
その言葉を読んだとき、心の中でずっとずっと堪えてきた堰が壊れて、自然と涙がつたった。彼女は悪くない。間違いなくそうなのだ。それでも、こういう結末になるのであれば、あんな風に出逢わなかった方がよかったと思った。やり場のない哀しさが、やはり涙となって流れた。
それから1年が何もなく過ぎた頃、また僕は彼女のことを思い出していた。
「中国から帰ってきたんだヨ!」
そんなハガキが来るんじゃないかとなぜか期待して、毎日空のポストを覗いていた。
結局、彼女のことを僕はほとんど知らなかった。もう顔も思い出せないし、彼女のことを想ってみても、大部分が想像でしかなくなっていた。悔しいけど、それはもう恋愛ではなかった。
次の春、僕は卒業を迎えた。
そして、下宿を引き払う前の晩になって、ついに奇跡が起きた。あの人から二年ぶりの手紙が来たのだ。数日前に帰国して、すぐに書いてくれたらしい。僕のことを忘れずにいてくれて、卒業までに連絡しようと思っていたそうだ。中国での楽しい想い出や将来の夢のことなど文面から彼女の変わらぬ情熱が伝わってきて、とてもうれしかった。彼女のVTは、中国へ行くときに売ってしまったらしいけど。
「工学院の彼氏」と、僕が想像していた人のことには一切書かれてなかった。本当はどういうことだったのか、結局僕にはわからなかった。
「残りの学生生活で本格的な勉強をし、私が通訳になれたとき、そのときこそあなたに逢いたい!」と手紙は結ばれていた。
追いかれば逃げ、忘れようとすれば追いかけてくる。男と女の関係は、とても不思議だ。
こうして、僕の4年間の大学生活は終わった。いろいろなことがあった。月並みな言葉だけど、卒業式の夜には、たくさんの想い出が走馬燈のように思い出され、どうしても泣けてきた。周りのすべてのものに感謝したくなって、部活の先輩後輩、研究室の仲間、日本を走り回ったバイクの仲間、みんなに「ありがとう」を言った。
4年前の春、一浪してこの大学に合格したときのうれしかったこと。僕はすぐに家で連絡を待っているおふくろに電話をかけた。「おめでとう!おめでとう!」と本当に喜んでくれたあの日から4年が過ぎたのだ。その門を、今日を最後に出て行かねばならない。過ぎてしまうと時間はいつも短かすぎる。今しかできないことが沢山あったはずなのに、いつも何か少しずつやり残してしまう。彼女が残していった最後の手紙のように、過ぎ去った時間はいつも美しく儚い。
目を閉じた途端、僕は声を出して泣いていた。
誰もいない下宿で、それが僕の大学生活最後の夜だった。
The end