「1リットルの涙」
 
 
著者:木藤亜也
 
 
 いつもの通学路で、突然、ひざがガクッとなって転ぶ。アゴを2針縫うケガ、それが兆候だった。15歳で発病。それまで健康だったのに、突然、原因不明の病になる。今まさに青春がはじまろうとするそのときに、木藤亜也ちゃんの人生は、転んでしまったのだ。
 脊髄小脳変性症。この病気は、原因がわからず、治療法もない。足の筋肉が硬直し、少しずつ歩けなくなる。腹筋も弱くなり大きな声が出せなくなる。少しずつ言語障害が進み、やがて話せなくなり、筆談になり、指も硬くなって箸ももてなくなってゆく。5年から10年かけてゆっくりと症状が悪化したのち死に至るこの病は、あまりに残酷で悲しいだけの生活を強いる。
 亜也ちゃんは何度も転んで怪我をし、不安と恐怖に震え、泣きながら、それでも起きあがり、歯を食いしばって生きていく。その青春の大部分をただただ悪くなる一方の身体とともに過ごす。いずれ花咲くことなく終わる人生と知ってもなお、死にたくないという気持ちを抱えながら、辛い闘病生活を来る日も来る日も続けていく残酷さは想像を絶する。読んでいて、何度も心が震え、目頭が熱くなる。
 この本は、亜也ちゃんの日記である。文章からは、延々と続く闘病生活の苦しみと、その先にある死への恐怖とが伝わってくるが、同時にまた、亜也ちゃんの決して諦めない芯の強さと真っ直ぐで健気な性格が伝わってきて、読む者を強く励ましてくれる。献身的な母親の我が子を思う愛と苦悩にも心を打たれる。
 二十歳の頃の日記に、次のような文章がある。「人はそれぞれ言いしれぬ悩みがある。過去を思い出すと涙がでてきて困る。現実があまりにも残酷できびし過ぎて、夢さえ与えてくれない。将来を想像すると、また別の涙が流れる。」
 ちょうどその頃だろうか、主治医の山本\子先生に突然、亜也ちゃんが尋ねたことがあった。「先生、わたし…、結婚できる?」。自分の身の回りのことさえ十分にできず、病気は徐々に悪くなっていることを自覚している彼女がまさかそんな悩みをもっているとは思ってもなかった先生は、反射的に「できない」と答えた。次の瞬間、車椅子の彼女のびっくりした顔をみてドキッとしたという。「こんなに長くつき合っていたのに、亜也ちゃんを十分に理解してなかった。」そのときの衝撃を先生は忘れられないという。何とも切ない話である。
 命の尊さは知っている、と頭では思っていたが、この本を読むと自分もまだまだ理解などできてなかったと気付かされる。もう一人では生活できなくなった亜也ちゃんが、病室で母親に筆談したメモには、「わたしは、何のために生きているのか」と書かれていた。生きているうちに、自分もその答えを模索し続けていかなければと思う。
 
(幻冬舎文庫)