月岡・佐渡のたび
 毎年ゴールデンウィークと夏は、旅行に行くことに決めているが、今年のゴールデンウィークは仕事漬けでどこにも行けず、夏こそはと思っていたが、行き先が決まらないまま、休みの日が近づいてきていた。行きたいところがないのか?というと、そうではないが、「折角行くのなら」という気持ちが強すぎて、候補地はどこも決め手に欠いていた。最後に残ったのが、能登半島と佐渡島。半島と島の対決である。結局、「新潟のコシヒカリを食べたい」という息子の一言で、佐渡島に決めた。ちなみに去年は、「青森のリンゴが食べたい」だった。2年続きの食べ物目当ての旅行を計画し、慌てて旅行代理店に申し込みに行ったのが、7月16日。往復の新幹線、船便、宿泊地を予約して一段落だったが、帰宅してみると、新潟中越沖地震のニュースで大騒ぎになっていた。同じ16日の午前に起きた地震は、3年前に新潟中越地震が起きたばかりというのに、非常に甚大な被害を及ぼしていた。
 翌日以降、被害の実態が明らかになるにつれ、旅行はやめた方がいいような状況になっていた。ホテルや旅館のキャンセルが相次ぎ、直接被災してない観光地でも風評被害が深刻だった。また、被災した柏崎原発からは想定外の被害が日を追うにつれ明らかになり、放射能を帯びた水が海に流れ出ていたこともわかった。「新潟のコシヒカリを食べたい」といって、わざわざこんなときに行かなくてもいいような気がしてきた。やっぱり、能登にしておけばよかったのか?
 そのうち余震もおさまり、行き先の新潟県東部と佐渡はどちらも被災してなかったので、予定どおり行くことにした。8月1日、上越新幹線「とき」に乗って、旅の人となった。新潟まではわずか1時間40分ほどで、実にあっけなく着いてしまう。子供の頃は、日本はとても大きく思えたが、近頃は、どこへ行っても近く感じる。交通が発達したせい、ばかりとはいえない気もするが、真相はわからない。
 新潟での目的は、「コシヒカリ」である。とりあえず駅前でレンタサイクルを借りて食べる処を探し、信濃川にかかる萬代橋(重要文化財)を渡って、新潟グランドホテル内にある仏レストランに入った。最初、ホテル内とはわからず、しばらく川岸をうろうろしていたので、すっかり空腹である。しかも、猛烈な暑さで身体が火照っていた。なかなか梅雨明けしなかった今夏だが、明けてからは連日猛暑である。新潟の夏も
暑く、すでに酷暑という感じだった。冷え冷えのカボチャスープがとても美味しく、ホテル内のレストランにもかかわらず値段も手軽で、ご飯もとても美味しかった。
 さて、どこに行こうか?これという目的地もないので、とりあえず信濃川沿いを走り、途中から北上して日本海を目指した。ずっと平らな西堀通りを西から東へ走り、どっぺり坂を息切らして登りきると、日本海が一望できる丘に出た。遠くに佐渡島も見えるが、護岸工事中で景観はいまひとつだった。あとで知ったが、新潟市の中心街一帯は、「新潟島」と呼ばれていた。地図でみるとわかるが、信濃川と関屋分水と日本海に囲まれていて、確かに「島」なのだ。そんなこと、知らなかったな〜。楽しかったのは、「新潟みなとトンネル」だった。信濃川の真下を通る全長1.4kmのトンネルで、真夏なのにとても涼しい。遙か彼方までまっすぐに続く真四角の穴は、なんとも不思議な異空間だった。途中で息子が発見したのが、道路で断絶したレールと横向きの信号機。レールは廃線になったJR貨物のようだ。信号機が横向きになってる訳は、残念ながらわからなかった。
 新潟駅に戻ると、JR白新線で新発田駅へ、さらにJR羽越線に乗り継いで月岡駅まで行った。羽越線は運行本数がとても少なく、待ち時間が長かったが、電車好きの息子は、乗客がボタンで開閉するドアに大喜びだった。車中で地元の高校生等がいたが、見た感じは都会と変わらないんだな〜と思った。月岡温泉は古くからある温泉地のようだった。地震の影響で客は3組だけだったが、料理はとても美味、接客も丁寧で、とてもいい旅館だった。温泉も貸し切り風呂ような状態で、のんびりと日常の疲れを癒すことができた。月岡温泉はいいよって、職場に帰ってからずいぶん宣伝した。
 翌日、佐渡島へ。新潟港からは、ジェットフォイルという高速船で渡る。最高時速80kmで運行するこの船は、新潟−佐渡間を1時間で結ぶ。フェリーが2時間20分だから、かなり早い。ボーイング社が作っているせいか、乗ってる感じは飛行機のようだ。ジェットエンジンのような音とともに、洋上を飛ぶように走る。ただし、以前、クジラと衝突する事故があったため、全員シートベルト着用となっている。そのため、甲板に出て眺めを楽しんだりできないのが、ちょっと残念。大抵の客はすぐにうとうとし始めた。僕もまどろんでいて、危うく時速80kmの瞬間
を見逃すところだった。
 佐渡が近づいてくると、意外な大きさにびっくりした。日本で4番目に大きな島には、約7万人の島民が暮らしている。島に降り立つと、そこが島であるかはわからなくな
った。どことなく雰囲気が沖縄に似ているような気がした。
 今回、佐渡に行くことについては、実は大して期待はなかったのだが、その最大の理由は、佐渡をよく知らないせいだったと今は思う。佐渡おけさ、たらい舟などをちょっと知っているくらいで、ほとんど知らないのだ。一般的に考えてみても、沖縄に行く人はたくさんいても、佐渡へ行こうという人が少ないのは、知名度が低いせいかという気がする。ところが実際に佐渡に来てみると、なかなか魅力的な島だった。
 島内はレンタカーで移動することにしていて、最初に、西はずれにある宿根木集落へ行った。宿根木は、中世の頃より廻船業を営む者や千石船を造る船大工らが集まり、豊かな集落を形成した所。現在は重要伝統的建造物群保存地区に指定され、江戸時代
の雰囲気がただよっていた。宿根木で忘れられないのは、イカの味。どちらかといえば嫌いに近いイカなのに、とても美味しかった。山椒の風味と味噌だれの甘みが絶妙で、まさに感動的な味。しかも1皿300円ほどど安価で、思わず記念写真を撮ってしまうほど気に入ってしまった。
 宿根木の町並み散策も気持ちよかった。江戸後期(1850年頃)に建てられ、その後、復元された公開民家「清九郎家」を見学したのだが、地元のおばあちゃんガイドが家の隅々まで案内してくれた。話好きの息子と意気投合し、まるで孫に接するように優しく丁寧に案内してくれて、とても楽しかった。旅先のほんのちょっとした出会いが、旅を思い出深いものにしてくれた。千石船もみた。すごい迫力だ。これも後に復元されたものだが、見ていて美しい船だ。
 宿根木を後にすると、小木へ向かった。小木港は江戸幕府によって整備され、商業の中心として栄えた港である。ここでたらい舟に乗ることができる。たらい舟は、アワビやワカメ漁用として現在も使われているそうだ。わりと大きいので、乗っても不安はないが、うまく乗らないとバランスを崩しそうではある。カイを漕ぐのはすべて女性の船頭さんである。それほど速くはないが、しかし、わりとスムーズに進んでいく。実際に漕がせてもらうと、これが驚くほ
ど全く進まない。カイを左右に動かしながら、微妙に角度をつけて漕げばいいのだが、手の返し方が要領を得ず、ただただ左右に揺れるだけで終わってしまった。佐渡の1日目は、八幡温泉に泊まった。夕食をとった隣部屋にC・W・ニコルさんの名前があって、びっくりした。食後は、佐渡おけさショーを見た。普段はまず見ないと思うが、やはり旅先なので、地元の文化に触れるのは楽しい想い出になる。
 翌日も晴天に恵まれた。この日は、島の東端にある二ツ亀海水浴場で、のんびり泳ぐ予定だった。海岸線を走っていると、尖閣湾の案内があって、ちょっと立ち寄ることにした。驚いたことに、そこは「山椒大夫」の中で、厨子王とその母が再会する浜だった。たまたま僕は、去年、溝口健二監督の没後50年を記念して上映されていた「山椒大夫」をみて、その浜で再会するラストシーンを鮮明に覚えていたので、思わず思いだし泣きしそうになった。古くなった掲示板に気付く人もなく、ガイドにも出てなかったが、僕はとてもいい場所と出会えた喜びをかみしめていた。車は両津港で借りた新型ポルテだったが、ここではどれだけ走っても、ガソリンを給油せずに返却してよいことになっていた。なんとなく得した気分だが、実際には、そんなに走れるほど広くないわけである。とても高い岸壁の上にある海岸線を北上し、途中でキレイな場所があるといちいち停まりながら、1時間半もすると目的地に到着した。
 灼熱の太陽に照り焼きにされつつ、海岸に降りた。浜は黒っぽいのでいまひとつキレイではないが、しかし、水中は果てしなく透明だった。水中眼鏡をつけ海の中を覗くと、10m先がみえるほど澄みわたっていた。サヨリの稚魚の大群が水面を泳いでいく様子があちこちに見えたり、50cm以上はありそうな大きな魚がすぐ近くを泳いでいった。息子が本能のおもむくまま、魚を捕ろうとしていた。その捕り方は大胆で、大きめの石を魚にぶつけて採ろうという漁法だが、これが見ていて笑わないではいわれない。水中では水の抵抗が強いので、石を投げてもゆらゆらとしか飛ばないのだ。とてもじゃないが魚は捕れない。しかも、さらに可笑しいことに、そうやって石を投げている息子のそばに、不思議なくらい魚が集まってくるのだった。これはなんだろう?と様子をみていると、どうやら石を投げたときに、石の裏側についてる小さな虫が飛び散って、それに魚たちが群れてきているらしかった。ベラとかタナゴとかキレイな熱帯魚とか、
50匹くらいはいただろうか。それは可笑しいと同時に、感動的な光景だった。この日は、暑い暑いを連発しながら、ただただ海で過ごした。息子はいつまでも海で遊んでいたが、夕方になると海も満ちてきたのか、冷たい水がきて、身体も冷えてきた。簡易シャワー兼更衣室で着替えて、二ツ亀を後にした。
 夜は、佐渡金山にも近い相川のホテルに泊まった。瀬戸内寂聴さんが定宿にしてるらしく、日本海が一望できるなかなかの宿だった。夕食はもちろん「コシヒカリごはん」である。そして、デザートには必ず冷凍柿、というのが佐渡の定番のようだった。さらに、売店で売ってた「コシヒカリモナカ(アイス)」も食べた。味はふつうのモナカだったがヒンヤリと美味しかった。佐渡で何をすればいいの?という感じで始まった旅も、明日で終わりである。
 翌朝は、台風4号の影響で曇り空だった。ちょうど佐渡のすぐ上を通過する進路予想が北にそれ、夜のうちに通過してくれていたので、影響も少なく、ホッとした。この日は、まず佐渡西三川ゴールドパークに行った。佐渡では最古の砂金山の跡地で、砂金とり体験ができる。正直、全く期待もなく行ったが、意外に楽しかった。砂を水で流し落としながら、重く沈んだ砂金だけをとるのだが、なぜか面白い。本当は30分間なのに、どの客も止めようとせず、園の人もやりたいだけやってもいいよ!っていう様子だったので、結局、1時間ほどやった。自分は7粒ほどとれて十分満足だったが、息子はその倍もとって、「また来る!」と上機嫌だった。
 帰りのジェットフォイルまでの時間、トキの森公園で過ごした。すでに自然界にはいなくなったトキだが、公園内では100羽を越すトキがのんびりと暮らしていた。今まであまり気にしたことがなかったが、こうして見ると、とても絵になる鳥である。トキのお菓子やら人形やらいろいろ売ってたが、確かにマスコットにしやすい顔形をしている。
 台風も遠ざかり、また晴天になっていた。幸い海も穏やかで、帰りのジェットフォイルも快適だった。今回の旅の目的は「新潟のコシヒカリ」で、もう十分食べていたが、だめ押しで寿司を食べることにした。新潟も佐渡も寿司が名物だとはここに来るまで知らなかったが、海の幸とコシヒカリがあるので、考えてみれば納得である。ちょうど夕食時でお店は混み、40分くらい待たされたが、食べるのは5分で十分だった。美味しかった!
 旅行中の8月1日、阿久悠さんが70歳で亡くなった。ホテルでNHKの追悼番組を見た。すごい人、そしてロマンチストである。どん底の不幸ではなく、あと少し何か足りない、そういうものを歌にしたいと語っていた。つくづく、心に届く言葉をもってる人である。本当に人のことを大事にしているのだろう。阿久さんが作った5千曲を越える歌には、その時代に生きた人々の心が記録されているように思える。冥福を祈りつつ、歌を聴き続けていきたい。