T 北京へ
(一)休暇
「申し込みが一人もありませんので、出発はできませんね。」
僕は愕然とした。
「他の会社も探してもらえますか?」
「もう3社調べてみたんですが、どこも申し込みゼロです。残念ですが…」
2005年10月6日木曜日、僕はよく使う近ツリ(近畿日本ツーリスト)へ立ち寄り、ツアーの申し込みをする予定だった。行き先は中国。フリーで行く自信はなかったので、ガイド付きが希望だった。当然、2名より催行が基本なので、いくつか候補を用意して、すでに申し込みがあるツアーに決めるつもりでいた。ごくごく簡単に考えていた。ところが、11月に入ると中国はとても寒くなり、一般に旅行者は少ないという。しかも今年は、4月の反日デモ以来、中国へ行く観光客は極端に減っているそうだ。前日にパスポート申請もして、すっかり気分は中国へ飛んでいただけに、この状況はとてもショックだった。そうこうしているうちに近ツリも閉店時間になり、諦めて帰るしかなかった。
「中国、申し込んできたよ〜!」
とご機嫌で帰宅するつもりが、暗たんたる気分で家路につく羽目になった。
旅行日程は、仕事の都合もあって、11月2日出発を予定していた。すでにひと月をきっていて、時間的猶予もない。「どうしたものだろうか?」途方に暮れるしかなかった…。
ところで、今回の休暇は何かというと、勤続15年目に取れる「リフレッシュ休暇」というものだった。年度内に連続7日間の休みを取ることができる。といっても、職専免の2日以外は年休を消化するだけなので、なんとなく取らずに済ます人も少なくないようだ。僕は、夏の家族旅行(広島〜山口)が終わってから、ボチボチと旅の計画を考え始めた。折角の機会なのだから、ふだんできないことをやりたいと思っていた。最初に考えたのが、「東海道を歩く」だった。大学生の頃からいつかは歩こうと思っていたので、いい機会だと思った。しかし、具体的に考えてみると、7日間では、日本橋から歩き始めて箱根を越えるか、せいぜい静岡県の途中までしか歩けないので、中途半端な気がしてきて止めた。歩く代わりに自転車で走ることも考えてみた。「53次500キロ自転車の旅」もなかなかいいではないか!でも、自分の足でてくてく歩くのがいいのだし、それなら全国の古道を歩くのも面白そうかなと、今度は古道探しで日本地図とにらめっこをしていたが、結局、これという旅は見つからなかった。海外へという気持ちもなかったわけではないが、パスポートの期限が切れていることが、意外と腰を重くしていた。その時点で、「中国」という思いもあったが、やはり反日デモ以来、危険というイメージが強く、家族に心配かけるのもどうかと思い諦めかけていた。そんなこんなの9月中頃に、母から手紙が届いた。その中にさり気なく同封されていた海外旅行のパンフを見た瞬間、自分の本心がわかった。
「やっぱ、中国へ行こう!」
そんな経緯があって、ようやく中国行きの決心がついた矢先に、つまずいたのである。こうなると時間との戦いだった。旅行代理店は意外にも平日しかやってないところが多く、近ツリも日曜日は休みで、平日は18時でさっさと店を閉めてしまう。仕事や家の都合で、この先、近ツリに行ける日がほとんどなく、日程を先延ばしするにも、中国はますます寒くなって、とても旅行どころではなくなってしまう。そんな四面楚歌の状況ではあったが、行きたいという気持ちはむしろ強まり、「絶対に中国へ行こう!」と気持ちは盛り上がっていった。
この顛末は、意外な展開で結末を迎えた。
10月8日土曜日、僕はジャルパックの「思いたったらリン・リン・ダイヤル」に電話をかけてみた。通常、旅行代理店は土日休みだが、僕のような平日労働者向けのサービスもあったのである。実は「I'llアイル」のツアーパンフをよくよく見てみると、気になる記載があった。最少催行人数2名のあとにとても小さな文字で「おひとり様でご参加の場合はお問い合わせください」と書かれていたのである。問い合わせてみると、案の定、どのツアーも申し込みはなかったが、別料金を支払えば1名催行も可能ということだった。その言葉を聞いた瞬間、電話口の美人受付嬢(きっとそうだ!)が「拾う神」に思えた。が、その別料金の金額を聞くとまたちょっと凹んだ。1名催行の追加料金と一人部屋にするための追加料金だけで中国へ行ってこられそうな金額なのである。しかも、さらによく聞くと、毎月10日か20日出発に限っては追加料金なしで1名から催行するというのだ。「10日出発!」にしたかった。ところが自分の都合で12日に仕事を入れていたのだ。もし1週間早く知っていれば、10日出発にできたはずが…。「人生にifはない」というが、悔やまれた。電話口の「美女」も10日出発をもう一度検討されてはどうかと言ってくれたが、どうにもならない。僕は行く決心をした。お金もないけど、行く機会はもっとない。「時は金なり!」「思いたったら吉日!」ということで、その場で申し込みをしてしまった。
(二)旅の目的
11月5日土曜日、昨年完成したばかりの成田国際空港第2ターミナル。いきなり窓口で航空チケット引換券を忘れたのに気付き焦ったが、その場で書いて何とかなった。しかも、あとで鞄をみたら、ちゃんと用意して持ってきていたのがわかった。折れ曲がらないようにガイドブックに挟んでいたのをすっかり忘れていた。どっちにしろ、ちょっと慌てているんだなと思った。朝5時起きで朝食もまだだったので、搭乗手続きを終えると、空港内のカフェ”LA THEIERE”で軽い食事をとった。
店内には、夫婦のような男女や若い女性二人組み、年輩のご婦人グループなどがいて、なにやら静かに話している。一人旅の僕は、珈琲を飲みながら、旅の記録をつけていた。記録といえば、旅行に行って写真も撮らない人もいる。その方が記憶が鮮明に残ってよいということのようだが、僕のような記録好きには考えられないことだ。なぜ記録好きなのか自分でもわからないが、キッカケは小学校4年の気象観測だったのではないかと思っている。以来、日記や旅の記録、映画鑑賞の感想などを書き留めるのが習慣になっている。古い記録を読み返すと、自分の記憶とずいぶん違っていることに驚くこともある。記憶は、曖昧なものである…。
今回の旅行先を考えているとき、友人Kから「カナダでオーロラを見ないか」と誘われた。高校時代からつき合いのあるKには、アメリカ一人旅のときにも世話になっているので、一緒に行くのもいいかなと思った。ただ、Kと違ってなかなか海外に行く機会のない自分にとって、一番行きたいところかというと、そうでもなかった。
「オーロラだけ?」と聞くと、「街にも行けるけど、建物が見たいの?」とKが言うので、
「建物に興味があるわけじゃないけど、自然より人間が作ったものの方が…」
Kに言われて気がついたのだが、僕はどちらかというと自然より人工物に興味があるようである。学生時代は、オフロード・バイクで山奥に入り、テントで野宿もよくやっていたので、自分はアウトドア派だと思っていたが、今はそうでもないらしい。その辺の疑問については、今回の旅行中に改めて知ることになるので、その地を訪ねたところで触れようと思う。
さて、いよいよ中国へ行くことになってから、一番、気になったのが治安のことだった。4月の反日デモでは、今回行く北京や上海でもかなり激しかったと伝えられていた。また、尖閣諸島の問題もあるし、歴史教科書や常任理事国入りについては中国だけでなく韓国などからも強く反発されている。そして靖国参拝問題については、旅行直前の10月17日に小泉首相が参拝したため、どういう影響が出るのか、とても気がかりだった。中国では先の戦争を抗日戦争と呼び、今年がちょうど抗日戦争勝利60周年に当たるということで、9月には国の記念行事が北京で行われたりしている。こういった諸々の情勢について、新聞やニュースではたびたび見聞きしているが、本当のところはよく知らなかった。今回、中国へ行くことになって初めて、満州侵略や南京大虐殺、靖国神社などのことについて、もっと知っておきたいと思うようになった。わりと本屋でよく見かけるので、小林よしのり著「新ゴーマニズム宣言・靖國論」を読んでみたが、靖国神社の参拝は当然という立場ではあるが、自分の知らないことがたくさんあった。また、日中比較研究をしている王敏(ワン・ミン)さんの書いた「中国人の愛国心」には、中国と日本の似て非なる文化や国民性が詳細に分析してあって、日中双方の理解を深めるのにとても役立った。他にも帰国後だが、中国の歴史や日本史についての本を読んでいるところである。
「今度の旅行のテーマは何?」
10月のある日、友人Gがそんなことを訊いてきた。旅行にテーマがあると思うのは、たぶん長いつき合いで、僕の思考を知っているからだろう。その時点で、特にテーマを決めているわけではなかったが、ぼんやりと意識しているものがあった。
「戦争かな…」と、僕は答えた。
でも、よくわからない。テーマは自然に決まってくると思っていた。旅の目的は、ありのままの中国をありのまま素直に見て感じることだった。「百聞は一見に如かず」が旅に出る理由である。旅行前に気をつけたのは、何よりも体調管理だった。プールに行って、体力づくりに励んだ。東海道歩きの可能性もあったので、とにかくスタミナがなければ旅そのものが続けられなくなる。そして、精神面のリラクゼーションも大事だった。精神的なゆとりがないと、旅先で出会うものからのメッセージを十分に感じとることができないと思うのだ。心身が疲れていて人との交流が面倒になってしまったら、旅の味わいは半減してしまうに違いないのだから。
(三)富士山

10時52分、離陸した。少しモヤがかかっているが、天気は晴れて、下界がよく見える。畑と山と家が混在している。すべてが少しずつ小さくなってゆく。やはり人間にとって、空を飛ぶことは特別なことだと思えた。新幹線がいずれリニアになって、とても便利になっても、空を飛ぶという点で飛行機は永遠に人間を魅了し続けるだろう。地上1万M、−40℃の大気中を時速700kmで飛んでゆく。僕は高所恐怖症の傾向があるが、不思議と飛行機は好きである。あの騒音がなければもっといいのだが…。
10時55分。窓からの景色がとても綺麗になってきた。空の青と薄い雲の白がグラデーションになって、その彼方に地平線が伸びている。近ツリに行ったときの話では、飛行機の方はビジネス客で満席で、チケットが取りにくいと聞いていたが、この便については、ガラガラだった。まあ、今となってはどっちでもいい話だが…。窓から富士山が見えてきた。こうして上空から見ると、限りなく美しい山だと思う。周辺に山がなく、富士山だけがニョキッと地球から飛び出していて、その頂上だけが白く雪化粧している。この富士山を見られただけでも、今回の旅行に来た甲斐はあったと思えるくらい感動的だった。
(四)中国人ガイド

北京首都国際空港へ着いた。約4時間のフライトだが、時間は3時間しか過ぎていない。つまり時差がマイナス1時間。腕時計の針を巻き戻して、いよいよ中国に入る。空港はとても広く、日本語案内はないので、迷子になりそうである。入国カードと税関申告書と健康検疫申請書とパスポートをどのゲートで渡すのかよくわからなかったので、とりあえず全部出すと窓口で必要なものだけを取ってくれた。しかし、みんな無愛想である。ニコリともしない、というよりムッとしている。まあ検査する立場なのだから、当然か!
荷物も受け取り、外へ出たところで係員が迎えに来ているはずだったが、なんと30人くらいの出迎えがあった。一瞬迷ったが、「I'llアイル」のプラカードが見えたのですぐわかった。緊張のご対面!ガイドは若い中国人女性だった。とりあえず、「ニイハオ」と挨拶した。
「えっ、中国語できるんですか?」と驚いたようにガイドさんが言うので、全然話せないというと、ちょっとガッカリしていた。すぐに彼女の名前をきいた、というより名刺をもらって確認することになっていた。Eさん。発音が難しかった!中国の漢字は、日本と同じ字もあれば、微妙に違う字もある。あとでEさんに訊いたところでは、毛沢東の時代に難しい漢字は簡略化することになったそうだ。難しい字を使っていると時代のスピードに取り残されるから、というような理由だったそうである。
予定では、はじめに天安門登城となっていた。「半日でそれだけ?」と思ったので、もし時間が余れば、故同(フートン)にも行きたいと言った。すると、ガイドさんはドライバーと相談したり、携帯電話でどこかと相談をはじめた。なかなか決まらないようだったので、「調整が大変ならいいですよ」と言ったら、「どっちがいいんですか?」という顔で困っていた。そうか、日本人の曖昧さがわかりづらいのかもしれないと思って、「故同に行きたいですっ!」とハッキリ言ったら、ホッとした顔をしていた。
しばらく車で走るが、どこを走っているのか案内もなく、全くわからなかった。そのうち、急に停まった。「ここで降りて下さい」そう言われて車から降りると、待っていた中国人と何か相談を始めた。何だかよくわからないが、現地の中国人ガイドが案内してくれるようだった。あとでわかったのだが、それは、三輪自転車で故同を巡る「故同オプショナルツアー」で、ツアー代金として420元もとられてしまった…。

平日にもかかわらず、わりとたくさんの観光客が訪れていた。故同は「横町」を意味する言葉で、元から清の時代、今から400〜700年前の建物が残っている地域のことだ。2年ほど前、中国を旅行した友人Aのメールに添付されていた故同の写真を見て、少し興味をもっていたが詳しいことは何も知らなかった。
故同を案内してくれたのは、Mさんという女性ガイドだった。北京の空気は汚染されていて、遠くの景色が見えませんと言ったのが、印象に残った。とにかく、空港に着いたときから、この霧のようなものが気になっていた。100m先が霞むほど、ガスが濃い。春先になると黄砂で霞むというが、今の時期は黄砂ではない。人によっては霧というが、結局、汚染なのか霧なのか最後までわからなかった。
Mさんに、四合院という建築様式を説明してもらった。真ん中に中庭があり、その四方に部屋があって、北側、つまり南向きの部屋が長老や家長、東側が息子で、南側が奥さんというように、身分によって部屋の位置が決まっていたそうである。また、入口にある敷居の材質や家紋のような模様によって、その家の財力や地位がわかるのだという。都市開発が進む北京では、故同もだいぶ少なくなっているそうだが、こうして残っている地域もある。北京ではほとんど地震がないそうで、日本では毎月のように地震があるとMさんに話したら、とても怖がっていた。
それはそうと、Mさんが日本語で話していると、こっちを見る人がたくさんいるので、とても気になった。まだ中国初日の僕は「反日感情」のことが頭の片隅にあり、こっちを睨んでいるようにも見えてヒヤヒヤした。そうかと思えば、四合院に2人連れで来ていた女性たちが僕を見て笑っていたような気がした。あとで「あの人達は日本人です」とMさんが教えてくれた。僕にはまだ見分けがつかないが、中国人から見れば日本人だとすぐわかるようだった。
観光案内をしてもらいながら、今の中国の様子も聞いてみた。とても日本と似ていた。例えば、少し前までは25くらいで結婚する女性が多かったが、最近は晩婚化で、結婚しない女性も増えているという。また、結婚しても女性は姓を変えず、子供は父親の名を名乗るそうである。Eさんの話では、大学のクラスメートは全員一人っ子だったそうだ。ただ国の政策も少し変わってきて、一人っ子同士の結婚の場合、2人まで子供が認められることになったという。そこまで国が関与することに驚くが、日本も少子化で子供を増やそうと言っているから似たようなものかも。
故同ツアーが終わると、Mさんとは別れて、またEさんの案内になった。これで観光は終わりで、ホテルに行くという。日本のニューオータニが経営する「長富宮飯店」が北京での宿泊先である。地図で見ると北京駅からも歩ける距離で、日本大使館もすぐ近くだ。きっと4月には、このホテル周辺も反日デモの人で埋まったに違いない。ホテルに着くと、Eさんがチェックインをしてくれた。夕食は別のホテルだそうで、30分後にロビーで待ち合わせということになった。とても立派なホテルだった。部屋に入ると急に気が抜けて、もうこのまま外へ出ず、しばらくベッドに横たわっていたくなった。
夕食は、車で10分くらいいった四つ星ホテルだった。ガイドさんと運転手は一緒なのに、僕だけ離れた席で食べることになっていて、ちょっとつまらない。1杯だけ飲み物が付くというので、ビールを頼んだ。一口飲んで、「これは青島だ」と言ったら、「中国にはいろんな種類のビールがあります」とEさんに言われた。僕は、親父に似ず下戸だが、青島ビールの味は好みだった。苦みが弱く、甘みとコクがあって飲みやすい。ちなみにこの日のビールは青島だと、あとでEさんが教えてくれた。中国滞在中は1ドリンクがセットということもあって必ずビールを飲んだが、結果的には失敗だったと思う。とにかく食事の量が多く、わりと大食の方だが、それでも絶対に食べきれないのだ。朝はバイキングなのでいいが、昼と夜で全部食べられたのは1回だけだった。食前にビールを飲むとお腹が膨れて余計食べられなかったように思う。ここの夕食では、まずヒマワリの種が前菜として出てくる。Eさんに訊いたら瓜だというのだが、どう見てもヒマワリである。隣の席に来た中国人カップルが、席に着くなりバリバリ食べて、食べながら料理の注文をしていたのを見て、なるほどという気がした。とにかく中国人は大食漢らしいので、食事の前にヒマワリで胃袋にサインを送っているのだろう。「これから、どっさり食い物がいくぞ〜」と。
ここでの夕食は、北京料理の1つの山西料理で、刀削麺というのを目の前で実演してくれた。「Tさん、やってみますか?」とEさんに言われて、体験させてもらった。刀といっても薄い鉄板のようなものだが、巨大な生うどんの塊をもって削っていく。案外難しくて、コックさんのような麺にはならず、3cmくらいのブツ切ればっかりになってしまった。
有名な北京ダックは、巨大な餃子の皮のようなものにキュウリや味噌と一緒に巻いて食べる。美味しいが、すでに満腹であまり食べられなかった。試しに北京ダックをそのまま食べてみたら、あまりに脂っこくて一変に食欲がなくなってしまった。脂退治についついお茶を飲む。するとどこで見ているのか、ウェイレスがさっと来てお茶を入れてくれる。また一口飲むとその度にお茶を入れてくれる。そのたびにお礼を言っていたら、途中で言わなくするのもできず、10回くらい「謝謝」を繰り返した。お礼を言うと、ウェイトレスも何か言う。どういたしましてだとしたら、「不客起(ブゥカァーチ)」なのかな。「謝謝」と「不客起」の応酬で、お互いに気恥ずかしくなっていた。それにしても、ウェイトレスのはにかんだ笑顔はちょっと常盤貴子に似て、とても可愛かったなぁ…。
食事が終わる頃、Eさんが来て、「食事、美味しかったですか?」と訊くので、「美味しかったですよ」と言ったら、「本当に?」と訊くので、「本当ですよ。特にヒマワリが美味しかった」と言ったら、笑っていた。これだけいろいろな料理を食べて、ヒマワリが一番じゃあ問題だよ!翌朝、ヒマワリの種、中国では「瓜子」という名前で売っているものを、Eさんが2袋買ってきてくれて、プレゼントですとくれた。これは帰国してから、妹家族に1つあげて、もう1つを自宅でボリボリ食べた。昔、中国に住んだこともある義父が懐かしそうに食べてくれた。

夕食が終わり、ホテルに戻ってゆっくりした。広々としたツイン・ルームにひとり。ご飯の用意も洗濯も風呂の準備もなく、子供の宿題を見たり寝る支度をさせたり、そういった日常の家事から解放されるのは、本当に久しぶりのことだった。地上14階の窓辺に座って北京の夜景を眺めながら、気楽な一人旅風情を満喫することができた。時間がゆっくりと流れていく。「中国へ来てよかった」としみじみ思えてきた。旅の前は、不安も大きかったが、1日目が終わってホッとできた。
(五)VIP
11月6日、日曜日の朝5時、目覚ましがなる前に目が覚めた。日本時間なら6時。いつも起きている頃なので、まだ体内時計は日本時間なのかもしれない。夕べ、あれほど食べたが、もう腹ぺこになっていた。朝食は、ホテル内の珈琲ショップ「ORCHID TERRACE」で食べた。バイキングなので、好きな分だけとればよい。昼夜のことを考えて、少なめにした。レストランに面した中庭では、紅白の衣装を着た6名の男女が踊っていた。ゆっくりと、しかし足先から指先まで気合いの入った動きは、中国古来より伝わる太極拳である。姿勢がよく、足を水平以上に上げても全くぐらつかない。一瞬だけ素早い蹴りがあったが、もともと武術である。見ているこちらの方まで背筋が伸び、気の流れが全身に行き渡るようで、とても清々しい朝になった。
8時半にロビー集合!といっても、客は僕ひとりだけ。ロビーで待っていると、Eさんが迎えに来てくれた。このとき、例の「瓜子」をくれた。わざわざ買ってきてくれた気持ちがうれしかった。玄関に出ると、少しして運転手も到着した。今回の旅行中は、自分で車のドアを開けることも少なかった。まるでVIPの扱いである。行く先々ではすべて日本語でガイドしてもらえるし、気が向けばいつでもEさんに質問をして、何でも教えてもらうことができた。パック旅行のようであり、一人旅のようでもある。行く前は、どんな感じになるのか気になっていたが、実際にやってみると何ともユニークで楽しい旅のスタイルである。
車の中でEさんが旅行専門大学で習ったという日本語の文をメモしてくれた。
「貴社の記者は昨日汽車で帰社した」
なるほど、なかなか難解である。Eさんの日本語は、中国人独特のイントネーションはあるが、会話は8割方問題なかった。日本に行ったことがあるのかと訊いたら、ありませんと笑っていた。あとで知ったが、中国人が日本へ行くには、かなりの旅費がいるようである。日本人が中国へ行こうと思えば、僕のように平均的なサラリーでも簡単に行くことができるが、逆は相当難しいようだ。参考までに北京の平均年収を調べてみたら、46000元(2002)というデータがあった。中国は貧富の差が激しいので、あくまで平均値の話なのだが、今の為替レート(1元=約16円)で単純計算すると、およそ70万円になる。日本のサラリーマン平均が男女合わせて450万円程度とすると、その差は7倍近くになる。もちろん物価も違うし、正確に比較するにはそれなりの計算式があるのだろうが、今回の旅で「お金の力」を意識したのは確かである。日本のごく普通の庶民がここでVIP待遇を受けるのは、僕が相応のお金を払うからである。しかも、僕が特別よく働いて財産を築いたわけではなく、単に日本の経済力のお陰なのである。世界はかくも不平等にできているのだ。
最近、「下流社会」という本が日本で話題になっている。「総中流」だった日本もこれから格差が広がり、下流層が40%を占めるという。ここでいう下流とは、単に所得が少ないということではなく、働く意欲や学ぶ意欲、消費意欲など生活全般にわたって意欲が低いことを意味するそうである。お金はほどほどでいいので、あまりあくせくしたくないという価値観には大いに賛成だが、それは経済力のある日本にいるから思えることかもしれない。「金の力」を意識しなくても、すでにその恩恵にあずかって相応の生活ができているのだ。今の中国にはより切実な現実があって、改めて「お金の力」を考えさせられる。
(六)中国の風景
北京2日目は、まず土産物屋に連れていかれた。玉(ぎょく)の店である。玉とは、翡翠(ひすい)のことで、翡翠とは、カワセミの雄雌のことだとあとで調べて知った。カワセミと同じように、玉には緑の他に青や赤などいろいろな色がある。また硬玉と軟玉があって、宝石などに使われるのが硬玉、軟玉は彫刻などに使われるようだ。中国では4000年も前から玉を珍重してきたが、実は硬玉の生産はないそうだ。硬玉は世界でもミャンマーだけでしか産出されないので、とても貴重ということだ。
この店で印鑑とガラス玉と音楽CDを土産に買った。ガラス玉といっても水晶玉ではなく、中が空洞になった丸ガラスの内側から絵が描かれたもので、家族の干支に合わせて買った。以前中国へ行った人から、「土産物屋では追っかけてきて売ろうとするから、注意した方がいい」と聞いていたが、そうでもなかった。いらないものは「要らない!」で済んだ。わりと売り込みが激しかったのは、写真にもあるラッキーボールと白菜の彫刻だった。どちらも玉だが、ラッキーボールはサッカーボールのような玉の中に小さな玉が入っているもので、日本でも中華料理店なんかでよく目にするものだ。文字通り幸運を呼ぶ玉として、重宝されている。白菜の方は初めて見たが、今回の旅行中はよく見た。白菜=百財が中国語でも発音が似ているということから、商売繁盛などの意味で古くから使われてきたようだ。面白いから買おうかなとちょっと思ったが、値段が高かったのでやめた。いろいろ買ったが、郊外の店だったので、街中のお店や免税店よりずっと安かった。
土産物屋をでるとしばらく荒漠とした平原をみながら走った。どこまでも平でずっと遠くに山並みが見えた。途中、桃園があったくらいで農地もあまりなく、とにかく乾いていた。川らしきところにも水は流れてなかった。ただ前の晩に強い風が吹いていたお陰で、空気はとても澄んでいて、ガスのない北京を初めて見ることができた。
しばらくして、明の十三陵に着いた。明朝(1368−1644)の3代目の皇帝永楽帝が首都を南京から北京に移し、その3代目から16代目までの13人の陵墓が残っている。公開されているのは3つで、そのうちの1つ定陵の中へ入った。13代皇帝の万暦帝の墓は地下10mにあった。中は広々とした石の部屋になっていて、作るのはさぞ大変だったろうなぁと思ったが、まあそれだけだった。
Eさんはもちろん観光地の説明をしてくれるのだが、それとは別に、今の中国人の生活についても、あれこれ訊いてみた。
・中国人はルールを守らない。
・子供は土日も塾へ行って、数学、英語、ピアノの練習をしている。
・主食はご飯、ときどき中華まん。
・東北地方の女性は特に強い。日本語のK先生の奥さんは東北の人だったが、先生の腕に はたくさん傷があった。
・中国では今、ダイエットが流行している。
・中国人はたくさん食べてもお茶を一杯飲むので太らない。
・日本語は一番美しい言葉だと思う。
・EEのように女性の名は繰り返しが多いが、男性は少ない。
・北京には地震も台風もない。
・今、25才以下の人は一人っ子。
・毛沢東の時代の方が治安がよかった。
・日本人は働きバチ、中国人は残業しない。
・中国人の月給は、3000元くらい。
・日本に行くには、1万元くらい必要。
・マンション暮らしが普通。
・マクドナルドが約1元。
・コンビニは、北京にない。
・男の子の容姿と性格は母親に似る。
・日本人は年齢より若く見える。
他にも片手で1から10まで表す方法を教えてもらったり、ガイドブックに載っている中国語の発音を教わったりした。
「Tさんは、勉強熱心ですね」と言われたけど、勉強が好きというより、単に好奇心旺盛なだけですと言っておいた。
明の十三陵のあと、七宝焼き工場に連れていかれた。
「なんでこんなところに行くの?」と思っていたら、そこのレストランで昼食だった。とてもにぎやかなところで、世界各国の人が集まっているという感じだった。食事になると、また僕は一人になる。急に一人旅気分だ。そして食後はまたVIPツアーに戻る。考えてみると、とてもユニークな旅行である。なかなか面白い!ここでの昼食もあまり美味しいというものではなかった。特にご飯は古々米を食べているような感じ。それほどまずくもないが、相変わらず量は半端じゃなく多く、またしても食べきれずに残してしまった。
「残念ー!」
食事が終わると、いよいよ万里の長城へ向かった。乾いた平原を走り抜けていく。途中、沿道直売を何度も見かけた。スピードが速いのでよく見えないが、リンゴや柿のような果実とトウガラシみたいなものが売られているようだった。都市部の農家は裕福だと聞いた。それに対し、田舎の農家は本当に貧しく、農閑期には出稼ぎに来るのだという。街のあちこちで道路工事があったが、ツルハシとスコップで土を掘り返しているのを何度も見かけた。その労働者の多くは田舎の農家だという。
そして、万里の長城へ。全長6350kmにも及ぶ。どこを見てもいいようなものだが、実際には朽ち果てた場所があったりで、すべてが公開されているわけではない。有名なのは、発達嶺長城や慕田峪長城、司馬台長城などだが、今回はその中でも最もポピュラーな発達嶺長城へ行った。以前は延々と石畳の坂道を登っていったそうだが、今はロープウェイで頂上近くまで簡単に行けてしまう。そこからの眺望は、想像どおりというかそれ以上だった。山々の稜線沿いにどこまでも連なる城壁。一体何キロ先まで見えているのかわからないが、とにかくず〜と遙か彼方までが見渡せる。その大きさは、まさに「遙か」という言葉がピッタリの風景だった。アメリカへ行って、グランドキャニオンを見たときのことを思い出した。あのときは期待ハズレだったのだ。どんなにか大きく、感動するのだろうと楽しみにしていたが、実際に見てみるとあまりにも大きすぎて、「まるで絵のようだ」としか感じなかったのを覚えている。万里の長城にはとても感動した。万感の想いである。長城が中国各地に造られたのは紀元前である。その後、紀元前221年に中国を統一した秦の始皇帝がつなぎ合わせて完成させている。日本列島は沖縄や北方四島を除くとざっと2000kmあるので、その3倍ということになる。そう考えると、ますます大きくて想像できないが、とにかく長〜いのは確かである。
世界遺産ということでいろいろな国の観光客が来ていたが、中国人が多いのにビックリした。特に地方から来ている人が多いそうだ。みんな大きな声で話しているので、何を話しているのだろうとEさんに訊くと、彼女もわからないと言っていた。中国には50もの民族がいて、言葉も地方独特のいわゆる方言があるので、Eさんが聞いていても外国語のように聞こえるらしい。ちなみに北京語は標準語なので、Eさんの言葉は地方の人にもわかるという。
結構、老人もたくさん来ていた。みな引き締まっていて、まるで鋼のような感じだった。急傾斜でもしっかりとした足取りである。タフだと思った。手鼻をしている人も見た。こっちに飛んでこないか心配で見ていたが、うまいもんだ。ちょっと馴染めないが、便利な習慣かも…。民族が多いせいか、いろいろな顔立ちの人がいたが、美人も多かった。洋の東西を問わず、美人というのは同じような顔をしているものである(自分の好みもあるが…)。
万里の長城では、ずいぶんゆっくりした。何もなくて、ただただ雄大な風景を眺めているだけだったが、日本にはない風景だった。世界はなんと広いのだろう。もっともっといろいろな世界を見たいと思った。
帰りにまた土産物屋に寄った。断ってもよかったが、中国でお茶を外すわけにもいかないかと思って行った。
いきなり赤いチャイナドレスの女の前に座らされ、独りぼっちである。ただ彼女は日本語が少々できるので、会話はできた。慣れた手つきで、いろんなお茶を飲ませてくれる。勿論、商売なのだが、どういうわけか結構うまい!ウーロン茶、プーアル茶、ジャスミン茶、ライチ茶などどれも香りがよく、味もしっかりとして美味しかった。値段は安くもなかったが、品質がいいと確信していくつか買ってしまった。こういうときにグループであれば、誰かが買えばいいので気楽なのだが…。
ホテルに着く頃にはもう日が暮れていた。すぐにホテル内の中華レストラン「牡丹苑」で夕食にした。ここは美味しかった!最初のうち、量も適度でちょっと拍子抜けしていたが、段々と皿数が増えて、結局は自分の胃袋サイズを遙かに超える量が並んでしまった。北京ダッグもたっぷりと盛りつけてくれたが、あのギトギトした皮の照りを見ているだけでゲップが出てきそうだった。いや〜、勿体ない話である。できることなら2食に分けて、半分を日本に持ち帰りたいくらいだった。
部屋に戻ると、何ともいえぬ居心地よさを感じた。至福の時である。ツインルームに一人だけなので本当に広々としている(勿体ない話だが…)。この夜の時間に何をしていたかというと、まず日記を書いていた。旅先で日記をつける習慣は、もう中学生くらいのときからである。その場所にいて、その瞬間に書くのと、あとで思い出して書くのとは違うはずだから、殴り書きでもいいので、とにかく書くことにしている。あとはテレビを見た。言葉は全然わからないが、字幕が出るものが多かったので、中国語でも何となく雰囲気はつかめた。音楽番組もニュースもクイズ番組もたいして日本と変わらない感じだった。さすがにレイザーラモンHGみたいな妙な男は出てこなかったが…。日本の影響も強いようで、ファッションなども日本人とまるで同じだった。手紙も書いた。切手代は国際郵便で5.4元(約80円)と安いが、日本に届くまでに1週間かかるので、自分の帰国の方が先になってしまった。
中国ではいくつか気をつけることがある。その1つが水だ。中国人が飲んで平気な水でも日本人だとダメなのだ。泊まったホテルでは必ずミネラルウォーターが2本くらい無料で置かれていたので、外出先でも必ずそれを持ち歩いて飲んでいた。
(七)悠久の街
翌11月7日月曜日、北京3日目である。初日に行くはずだった天安門広場へ向かった。中国人の反日感情への恐怖心が完全にぬぐえたわけではなかったが、少しずつ慣れつつあった。日本にいるときに、車と自転車が一緒になって走っている様子をニュースで見ていて危ないなぁと思っていたが、実際に来てみるとその通りなのでビックリしてしまった。自転車は歩道を走ってはいけないらしい。それにしても車道の端ではなく、車と一緒になって走っているのだから本当に危ないし、圧倒されてしまう。車の走り方もすごかった。割り込みなんか当たり前で、寸止めみたいな感じで隙間に入ってくる。日本なら無理に入るなよ!と怒るのが普通だが、ここでは入られた方が譲るというのがマナーのようだ。中国で走っている車は、かなりの金持ちか営業車らしいが、それにしては高級車が少なくなかった。日本車は意外に少なく、VWが多かった。原付バイクも普通なら給料の半年分くらいするらしいが、結構、乗っている人は多かった。比較的平地が多いので、やはり自転車が便利な町だと思う。
すぐに天安門広場に着いた。運転手とは別れ、Eさんと広場を歩いた。東西に500m、南北に800mは、世界一の広場だという。ここにきて思い出されるのが、天安門事件である。1989年6月4日、民主化を求める学生デモ隊が中国の軍隊・人民解放軍に鎮圧され、数百人〜数千人規模の死者を出したといわれている。中国には古くから暴動や革命により民衆が皇帝を選ぶ伝統があるという。血の気の多い国民だな〜と思うが、50以上の民族から成る国ではどうしても自己主張が強くならざるを得ない。中国人と日本人は、顔も似ていて文字も同じ漢字を使うが、生きてきた背景は、実はかなり違うのである。似ているのに違うからややこしいともいえる。そういえば、日本人にはある赤ちゃんの蒙古斑も漢民族にはないと聞いたことがある。違うところがあったり、同じ所があったりするのが人間ではあるが、人づき合いは言葉でいうほど簡単ではないと思う。
さて、天安門である。これは何かというと、明代に造られた歴代皇帝が暮らした紫禁城の城門である。一度は戦火で消失し、現在の門は1651年に再建されている。1949年、蒋介石率いる国民党を破った共産党の毛沢東が中華人民共和国の成立をここで宣言した。
10数年前から一般人も登城できるようになり、登城すると証明書をもらうことができる(有料)。Eさんから受け取ってよくよく見ると名前がちょっと違っていた。似ているからいい、というわけにはいかないので、すぐに言ったら再発行してくれた。登城の際はボディチェックが空港並みに厳しく、門の上に行くと私服警官だか軍人だかが鋭い目つきで見張っていて、内部の撮影も禁止という具合だった。門の上は思いの外広々としていて、要人等が会合するようなスペースもあった。なかなか豪華絢爛である。
天安門から奥が紫禁城(故宮)である。「紫=高貴な人」以外の立ち入りを禁じるという意味だが、現在は故宮博物院として公開されていて、この日もたくさんの観光客でにぎわっていた。しかし、建物を見ていても、さほど面白くはない。でっかいなぁ、豪華だなぁでおしまいである。本当の面白さは、歴史にある。歴史は、自分の知識と語り部によって面白くも退屈にもなるが、この日は少々退屈だった。紫禁城には明と清の皇帝24代が暮らしたという。どんな皇帝がいたかというと、有名なところでは9代皇帝・咸豊帝(かんぽうてい)の第二夫人の西太后(皇后を東太后と呼ぶ)や、最後の皇帝として有名な溥儀(ふぎ)などがいる。秦の始皇帝から約2000年続いた王朝の歴史は、孫文の辛亥革命により終わるわけだが、映画「ラストエンペラー」に出てきたロケ地などもあって、「へー!へー!」って感じだった。
いくつか興味深いものもあった。たとえば重さ150tの石板があるのだが、「当時どのようにして運搬したのか?」答は、寒い冬に道に水をまいて凍らせた上を滑らせたというから驚く。そこまでするんだと。この石板には皇帝を表す竜の他に山と海が彫刻されている。その意味は、山のように偉大で海のように深い思いやりがある皇帝ということだそうだ。本当ならすばらしい人だが…。また、敷地のあちこちに巨大な水瓶が置いてあるのだが、これは火事のときの備えらしい。特徴的なのは水瓶の下部にある隙間の部分で、冬場はここに火を入れて水が凍らないようにしたのだという。皇帝の食器は純金製が多いが、キンキラキンが好きだというのもあるのだろうけど、毒をもられたときに金が変色する性質を利用する意味もあったそうだ。また地面の石は15層にもなっていて、地下からの侵入を防いでいたという。豪華絢爛なものに囲まれている一方で、敵にも囲まれている皇帝の生活は、いいようで大変なんだなと思えた。
歴史といえば、大事なのはこの先の辛亥革命後なのかもしれない。清を倒した孫文は国民党を結成し、共和制の中華民国を打ち立てるが、その後共産党の毛沢東と対立。その対立に乗じて、日本は傀儡政権「満州国」を建国するが、第二次世界大戦で日本が敗北すると、再び国民党の蒋介石と共産党の毛沢東の内戦が始まる。この内戦を制した毛沢東が1949年、中華人民共和国の成立を宣言し、ときを同じくして台湾に逃れた蒋介石は、中華民国の政府を台湾に移転したと明言。ここに2つの中国が生まれ、「台湾問題」として今に続いているわけである。「そうだったのか〜!」今回、帰国後に調べて知ったことが結構ある。日本でいう明治維新後、中国ではアヘン戦争後の「近代史」を僕はよく知らないのだ。日本はその間に軍国化し、幾度も戦争をしてきた。戦争はよくないって、その頃だって大半の人は思っていただろう。それでも戦争をしたのはどういう訳なのか?日本人としてというよりも人間として、「なぜ、戦争は起こるのか?」自分なりに考えていきたいテーマである。
故宮博物院を出ると、道を挟んですぐ北側にある景山公園へ行った。小高い山があって北京市内を一望できるというので登っていったが、生憎展望台が工事中で入れず、それに風がかなり強く砂埃が舞って見晴らしも今ひとつだった。公園の一角に、明朝の最後の皇帝・崇禎帝が人民に追われ首を吊ったというエンジュの木がある。今あるのは、のちに植え直した木らしいが、あまり興味が湧かなかった。広々とした園内を歩いているとき、マス目になった地面に薄く字が見えた。ほとんど消えて見えなかったが、Eさんに訊くと、地面に筆で字を書く習慣があるのだという。このときは「ふ〜ん」という感じであまり気に留めなかったが、あとでもう一度出会うことになる。景山公園に続いてすぐ隣にある北海公園へも行った。歴代皇帝の御苑だったところで1000年の歴史をもつ現存する最古の王宮庭園である。ここでも工事中が多かった。中国は今、2008年のオリンピック開催に向け、町全体が工事中なのである。日本もそうだったが、オリンピックを境に北京の町並みも新しく変わってゆくのだろう。中国の高度成長期が、今まさに始まろうとしていた。
(八)日中友好
景山〜北海公園散策のあと、昼食をとった。またしても北京ダック!コックさんには申し訳なかったが、もう一切れだけで御馳走様だった。これで用意されている北京観光はすべて終了だったが、夕方の航空便まではまだ時間があったので、頤和園(いわえん)に行ってもらうことにした。もちろん、オプション(別料金)ではあるが…。
頤和園は行った甲斐があった。もともと清代皇帝の離宮だったのを西太后が改修して、避暑地に使っていたところである。広大な昆明湖は人工の池で、デートにぴったりのロマンチックな場所だった。圧巻は、全長728mにもなる長〜い廊下「長廊」。その廊下の天井に描かれている絵は、8000枚以上にもなる。こうした出費が清朝の滅亡を早めたとさえいわれているほどで、無駄といえば無駄だが、今や世界遺産に登録され、世界中の人が見に来ることを思うと、無駄とも言い切れない気もするし、ものの善し悪しはわからないものである。
頤和園の一角には、「蘇州街」というのがある。本物の蘇州は上海の西にあって、町中を運河が張り巡り、東洋のベニスと云われるほど美しいところらしい。園内にある蘇州街は皇帝のために造られた「ニセ蘇州」である。行ってみると大したことはなく、やっぱり現物を見たいと思ったが、今回は行くことができない。
さて、その蘇州街へ行く途中である。突然、Eさんが「あ〜、Tさ〜ん!」と大きな声で叫ぶので慌てて見てみると、やっていたのである。そう、景山公園で薄く痕跡だけ見た地面に文字を書くアレである。人だかりができていて、何やらスラスラと書いている。そばに近づいて見ていると、難しい漢字が美しく並んでいた。そうこうしているうちに、うむむ?「中日友好歓迎万歳」と書いているではないか!僕が来て、すぐ日本人とわかったのだろう。左右の手で同時に違う字を書いている。そして、今度は、鏡文字だ。「中日人民友好」と書いている。突然のことで驚いたけれど、とてもうれしかった。「謝謝!」とお礼をいうと、その「筆の達人」もうれしそうに笑っている。挨拶をして帰ろうとすると、またEさんが僕を呼び止めるので何かと思ったら、その達人が何かをあげると言って、それを取りに行ったというのである。見るともう30mくらい向こうまで行ってしまっていた。彼が持ってきてくれたのは、赤い紙に書かれた中日友好の書だった。一緒に名刺もいただいた。彼は中華大地書法藝術研究員で、Kさんという人だった。とても人の良さそうな方で、見るからに善人だった。しかし、こうしている間も、僕は少し緊張していた。というのも、周囲に人だかりができていたので、この中にも日本に反感をもっている人がいるかもしれないなと思ったからである。中国でどれほど表現の自由が許されているのか知らないが、Kさんの勇気に敬意を感じた。少し話をしたところでは、Kさんの親戚が大阪に住んでいるそうで、そういうこともあって日本に親しみをもっているようであった。旅は道連れ、旅は出会いである。旅先の出会いが一生続くこともないわけではないが、大抵はその時限りである。前にも後ろにも、その人はいない。だからこそ、深い印象が残る。10年経っても20年経っても、旅先で出会った人を忘れることはない。Kさんのことは、きっと一生忘れないだろうと思う。
北京での旅が終わろうとしていた。この日の朝、僕はEさんにある質問をして、中国語で回答してほしいとお願いしておいた。Eさんは、中国語ではわからないからと、綺麗な日本語で僕の手帳に書いてくれた。
質問1「日本の印象は?」
高度経済成長の国です。私、ずっと憧れる国です。日本の桜が非常に有名で見たいんです。日本料理があまり好きじゃないですが、中国人と日本人と永遠に友好的に付き合えることを期待したいです。
質問2「私の印象は?」
Tさん親切な人で真面目な人です。性格がいいですし、よく笑っています。いつも冗談を言っておもしろい人です。日本で実際の年齢より歳と言われることに私が不賛成の意見を持っています。実際の38歳より若く見えることは全世界の人々が知っていますよ。これは本心からの話で、冗談じゃないよ。本度はいろいろな行き届かないところが多くてTさんのあたたかい協力のおかげで、私ははじめから嬉しい気持ちを保っています。ありがとう!
北京首都国際空港に着いて、そこで運転手と握手をしてお別れをした。ごっつい躰をしていたが、手もごっつく温っかい感じ。笑顔がパンダのような人だった。Eさんは、搭乗手続きをして、搭乗口までついてきてくれた。「そこのラインより先に、私は行けません」そう言われたとき、僕は用意していた手紙とお茶を渡した。本当は日本のお土産があればよかったが、用意がなかったので、ジャスミン茶をあげることにした。手紙にはお礼と好きな言葉「力愛不二」を書いておいた。「キレイな字ですね」と言われて、それならもっとちゃんと書いておけばよかったと後悔した。
「ここから先は、中国語だけになりますよ」と言われて、「大丈夫ですよ」とすっかり中国慣れした気分でいたが、このあと早速、大変な目に遭うことになる。もちろん、この時点では何も知らずに余裕たっぷりでいたのだが…。
いろんな不安混じりに始まった中国旅行は、こうしてエピソードTが終わり、すぐにまた次が始まろうとしていた。
西安へゆく