翌日は、朝から猛暑だった。高速道路は面白くないので、日光街道(R119)を走った。田んぼがあったり、杉並木があったり、風景の変化を五感で感じながらトコトコ走る心地よさ。日光東照宮は帰りに寄るつもりだったが、入り口より遙か前から気が遠くなるほどの渋滞だったので、今回は行くのを諦めた。折しも大河ドラマ「どうする家康」の放送中だからだろう。先月24日、25日には、中禅寺湖の湖畔にあるリッツ・カールトンホテルでG7男女共同参画・女性活躍担当相会合が開催された関係で、モニュメントが設置されていた。日光産の杉で作られていて、設置費は350万円らしい。日光に来ると必ず滝巡りをしてしまうが、今回は竜頭の滝だけにして、英国大使館別荘とイタリア大使館別荘に行ってみた。どちらも湖畔に面していて、広々とした廊下に並んだ椅子に座ってゆっくりと眺望を楽しむことができる。英国の方はアーネスト・サトウ氏の別荘だったところである。サトウ氏は英国外交官で、日本には1862年から1900年の間、途中帰国を除いても25年間にわたり日本に滞在していた。日本名は佐藤愛之助だが、元々のサトウは、Satowというドイツ・スラブ系に由来をもつ名前で、佐藤とは関係ない。お昼に寄ったイタリアン「手づくりの味タロー」では、店のすぐ側で車とバイクの事故があった。僕が着いたときはお店の人が救急車を呼んだ後で、5分ほどして救急車が到着した。どうやら直進をしようとしたバイクと右折しようとした車が正面衝突したようだ。楽しい休日は台無しだし、車もバイクも壊れ、乗ってた人達も怪我をしたようで気の毒だった。本当に事故は一瞬ですべてを破壊するから怖い! 帰路も道を間違えてしまった。普通、高速道路は本線から横道に入って出口に行くのだが、そこは直進が出口になっていた。「え、どうなってんの?」と思っているうちに出てしまった。「ナビ脳」、恐るべし!そこから先は、ひたすら高速を走るだけだった。意外と早くて閉店の18時半までに戻ってきたが、慌てて事故になってもいけないので、レンタル期間は翌日までにしてあった。








Bike Touring in Utsunomiya-Nikko in July,15-17 2023.
久しぶりにバイク・ツーリングに行こうと思い立ったのは、出発の10日ほど前だった。梅雨明けしてるのは沖縄くらいで、関東エリアはまだ梅雨明け宣言してなかったが、土日、海の日の三連休も晴れが続く予報、行けそうだ!コロナもあって5年ほどバイクに乗ってなかった間に、近所のレンタル819店はなくなっていた。別の店は電車で1時間弱かかるが、そこは問題ない。問題なのは、乗りたい車種があるかどうか。SR400を狙っていたが、その店で取り扱いがなく、似た雰囲気のGB350にした。2021年製と新しかったが、その源流は1983年のGB250CLUBMANであった。確かクラスメイトが乗っていたヤツだ。クラシカルなスタイル、4サイクル単気筒の太いトルクと重低音のサウンドが心地いいぞ!乗った瞬間から身体に馴染んだ。
例によって週間予報は変わり、当日は薄曇りの空模様。ここ数日、北関東から北陸にかけて線状降水帯が発生し、雷雨や強風の被害がでていた。この日も日光方面では、所により一時雨という予報だったので、宇都宮周辺で留まることにした。出鼻をくじかれたのは、圏央道に入ってすぐの分岐点。中央道方面に行くところを東名方面に間違ってしまった(汗;)。ナビがないのに、道をちゃんと頭に入れてなかったせいだ(苦笑)。一般道なら一旦停止もできるが、高速道路の分岐点まで来てしまうと考えている時間は数秒しかない。今、「スマホ脳」というベストセラー本を読んでいるが、それと同じように、自分の頭が「ナビ脳」になっていると思えた。ナビを使ってないのに、脳はナビを頼ってしまっている。学生の頃は、棋士が何手先も読むように、地図を頭の中にインプットして分岐点をどっちへ行くのかしっかり記憶していたものだが、そんな準備もせず何とかなる気になっていた。結局、一旦高速を降りて、元の入り口に戻ってくるのに小一時間かかってしまった(汗;)。
圏央道の狭山PAで休憩。さすが連休、家族連れやカップル、ライダーなどで混雑していた。今のところ薄曇りだったが、走行中、「雨天 走行注意」の電光表示が出ていたので心配だった。北に行くほど雨になるリスクが高まるようだったが、宇都宮に近づく頃、路面に水溜まりがあったり、濡れているところがあった。一時的にザーときたのだろう。圏央道の分岐点を間違えて1時間近く遅れたことで、逆に雨の中を走らずに済んだらしかった。天任せ、運任せの気ままな旅である。
翌日、バイク返却までの間、海岸線を走りに行った。バイクに乗り始めた高校時代にもよく行った鎌倉や葉山は、海水浴や観光客などでごった返していた。目的地のカフェは予想どおりの混雑で、1時間待ちと言われたので断念した。今回のバイク・ツーリングは、30年前、あるいはもっと前に訪れた場所を再訪する旅でもあった。過去の記憶と現在が重なり合い、自分の中で反応する。未来への当てもない期待と漠然とした不安でいっぱいだったあの頃と、その大部分が現実となった歳月を照合してみる。過去の記憶にはきっと美化バイアスがかかっているから、現在は分が悪そうだ。もし、やれることがあるとしたら、残りの未来に目を向けることだろう。あの頃のようにたくさんの時間は残ってないけど、まだやりたいことがあるのなら幸いである。バイクを返却したあと、宮崎駿監督の新作を観た。宮崎監督が創造してきた13作品のエッセンスを総動員して、後進に問いかけてくる作品。「君たちはどう生きるか」。





学生時代、ろくに勉強もせず夢中になってたのが、バイク日本一周だった。中学生の頃から一周が好きだったようで、その頃は自転車で三浦半島一周、伊豆半島一周、房総半島一周って感じだった。バイクになって四国一周とか北海道一周となって、それらを合算して日本一周ということである。気に入った土地を「第二の故郷」と自分認定していて、近江八幡(滋賀)、安芸(高知)、萩(山口)などがある。生まれ故郷の京都や少年時代を過ごした福岡とどことなく似た雰囲気を感じたのかもしれない。日光は小学校の修学旅行が最初で、以来10回くらい行ってるだろうか。時々、ふと行きたくなる。大谷は久しぶりだった。大谷石の採掘跡を公開している大谷資料館がキレイに整備され、大きな駐車場が満車になるほどの人気スポットになっていた。その昔は古くさい鄙びた感じだったと記憶してるが、今はオシャレなカフェや土産物屋が併設されていて、カップルや家族連れや外国人らでにぎわっていた。大谷石というのは、火山灰が海中で固まったもので、軽くて加工しやすいのが特徴。なんと縄文人も利用してたらしい。昭和35年頃に機械化されるまでは手掘りである。1つの塊(18×30×90)を掘り出すのにツルハシを4000回も振るい、石切り職人はおよそ1日10本を採掘できたとのこと。これを連日やって過ごす一生を想像すると愕然としてしまう。エアコンのきいた事務室で「今日も暑いね〜」などと言っている現代人をみたら、どう思うだろうか?ちなみに採掘場所の気温は約10℃。天然クーラーで冷え冷えではある。大谷に来たら平和観音には行きたいと思っていた。30数年前、道に迷ってたまたまいた地元の子供に尋ねたら、わざわざ一緒に来て道案内をしてくれたことがあった。記念に一緒に撮った写真を自宅に帰ってプリントしてみたら、まるで仏様のような和やかな表情の兄弟が光線の加減でぼんやり輝いていて、「仏の使いだったのか…」と旅先の出会いに感動したことがあった。実は、今回もまた道に迷ってしまった。あの時の少年がオジサンになって現れたらと期待してみたけど…(笑)。平和観音も大谷石である。太平洋戦争の戦没者供養のために彫刻されたものだ。高さ27m(88尺8寸8分)にもなる。昭和23年から6年かけて作られている。これをみて思い出すのが、サウスダコタ州にあるラシュモア山だろう。白い花崗岩はとても硬く、高さ18m、4人の胸像を彫るのに14年(1927-1941)かかっている。ちなみにこの地はインディアンの聖地だったらしい。ヒッチコック監督の「北北西に進路を取れ」(59)でケーリー・グラント扮する主人公がこの像の上を逃げるシーンがあるが、あれはセットである。宇都宮といえば餃子。最近は、宮崎や静岡とトップ争いが激化しているようだが、「みんみん」で餃子3人前を食べた。駅ビルにある「ホテルメッツ店」は1時間半待ちというのでやめて、すぐ隣にある「ステーションバル店」に20分ほど待って入った。メニューはさほど変わらないみたいだった。その晩泊まったホテルには、全く同じ色のGB350が並んだ。旅先では、時々不思議な偶然がある。
