nikko solo touring
1.the begining

 どこかへ行きたいと、ふと思い立つとともに旅に出たという感じの今回のツーリング。どうして日光なのか、理由などない。すべては偶然の思いつきであった。思えば今回は、様々な偶然があった。たまたま写真を頼んだ人と話をしたり、たまたま道を尋ねたら観光案内してくれたり…。ソロっていいな〜と思った。人はそれを「孤独」といい、また親は「危険」という。しかし、他の一面には例えようもない素晴らしさがあるのだ。金はなかったが、ボクには暇とXLR250R、そして、行くべき場所があった。


2.goodbye,yokohama!
 「よし、明日行こう!」天気予報を見ながらそう決めたのは、10月2日の夜6時半だった。YHの予約をとるとすぐバイトに出かけた。その日は家庭教師の日だったのだ。全くボクみたいな奴が「先生!」と呼ばれているのだから、自分でも信じがたい。でも、教育というものに興味を持っていたのも事実なのだ。2時間が過ぎた。家に帰ると慌ててツーリングの支度に取りかかった。遠足前日のように心が弾んだ。やがて支度ができ、床についたのはもう3日の深夜だった。
 4時半、目覚ましが確かになり、ボクは起きた。外はまだ暗いが天気になるような気がした。朝飯を食い、地図を頭に入れ、家を出る頃にはもう東の空が白みかけていた。いつかは家を出るなり転倒し、買ったばかりのHUSLER50を壊してしまったことがあった。今回はそんなこともなく、ガラガラの国道16号線をクルージング。あ〜快適。ときどき奇声を発したい衝動にかられるほど、心地よいものだった。
 やがて夜が明けた。すでにボクとXLRは日光街道に入り、その快適な道をただただ一直線に走っていた。これがいけなかった!あまりの快適さに睡魔が襲ってきたのだ。ときどき目を閉じて考えた。「俺は今、何をしようとしているのだろう?」すでに脳みそが眠っていた。


3.hello,nikko!
 利根川有料道路は200円。「ものの5分とない橋を渡るのに200円。俺は金がないんだ!」今走っているのは群馬県の古河市、いや茨城県の古河市だろうか。まあ、どっちでもいいさっ。もう少し行くと、もうそこは栃木県小山市。左手にテレビCMでお馴染みの小山遊園地が見えた。とにかく道がいい。2〜3度ポリスの姿が見えたが、ネズミには出くわさずに済んだ。宇都宮から日光は、ほんとに近い。実に眺めの素晴らしい道が続く。今市市だ。そして、8年ぶりに日光へやってきた。ちょうど正午だった。


4.memories of my boyhood
 知らず知らずのうちに過ぎ去った年月。夢ばかりみていたあの頃、そして相変わらず夢を追い続けている今。一体、何が変わったのだろう。よくわからんが、とにかく俺は懐かしいはずの日光へやってきた。実際は、ほとんど記憶になかったのだが…。
 にぎやかな市内の商店街を走り抜けると、そこに神橋が架かっていた。ちょうどその頃、雨が降り始めた。雨に濡れた神橋。ボクの心境は、やや神妙。というのはつまらん冗談だ。「竜馬がゆく」にはすばらしい男たちが幾人か登場した。その一人に板垣退助がいた。彼は刺客に襲われたとき、「板垣死すとも、自由は死せず」と言ったという。
 さてこの日は、華厳の滝、竜頭の滝、湯滝をみて、夕暮れの戦場ヶ原を歩いた。再び天気はよく、辺り一面が黄金色に輝いて、本当に綺麗だった。この美しい戦場ヶ原が失われつつあるということをあとで聞いた。10数年前、戦場ヶ原の真ん中に立派な道路が作られ、そのときに排水溝も作られた。それが湿地帯から水を奪っているというのだ。これにより、2000年は遷移を早めたという。
 再びバイクにまたがり、戦場ヶ原をあとにしたのは、何時頃だったろう。美しく快適な道を日光YH目指して走った。ところが中禅寺湖まで来たとき、またまた雨と出くわした。レインウェアを着て、再出発。ヘルメットの隙間から入ってくる雨が針のようにチクチクする。陽が沈み、夜が訪れる。大谷川まで来たが、そこから迷った。迷っているうちに看板をみつけた。それに従って行くと、真っ暗な山の側に出た。未舗装の泥道を行くと通行止めになってしまった。「あ〜違った」と思ったが、少し向こうに灯りが見えて、もしかしてと思って行った先が、日光YHだった。身体は寒さでブルブル震えが止まらなかった。


5.on the first day at nikko YH
 外で軽く済ますつもりだったので、食事はつけてなかった。みんなが風呂に入る前に、ボクは一人で入った。ずいぶんと汚なかった。「明日はどっかの温泉に行こう」と思ったほど、かなり汚かった。風呂で温まると明日の予定をたてすぐ寝た。眠りにつく前、「今からミーティングを…」と聞こえたが、次の瞬間にはもう眠っていた。さすがに疲れたのだろうか。ボクが眠っているうちに、同じ部屋に泊まった人のことを書いておこう。はじめに断っておくと、名前は一人も知らない。A君、彼は、東京から原付スクーター(リード)でやってきた強者。日大の剣道部らしかった。その日はただ日光へ来るだけの1日だったそうだ(当たり前か)。B君は、千葉から自転車で来ていた。ボクもバイクの前は自転車でいろいろな所へ行ったものだ。自転車もまたいいものだという気がする。次のC君、彼とは偶然にも一度会っていた。彼は戦場ヶ原でMTX125Rを停めて、ボケーと景色を眺めていた。ボクがそこを通り過ぎるのに気付き、お互い手を挙げた。ボクもC君の顔は忘れていたが、駐車してあったMTXをみて、もしかしてと思って聞いてみるとそうだったのだ。二人して大笑いした。さて、Dさん。この人は、60歳になる男性で愛知から遙々来たそうだ。趣味はオリエンテーリング。誰もいない山中を、あらかじめ決められたチェック・ポイントを探して歩き回るらしい。熱心な人もいるものだ。朝6時、突然目が覚めた。まだイビキが聞こえる。誰も起きてないようだった。顔を洗うより先に外を見た。


6. the way to ”oze”
 It was rainy day.ボクは出発の支度をすると、レインウェアを着て、「行ってきま〜す」と叫んだ。しかし、それから30分もしないうちに、もう一度戻ってくることになった。実は、今日は尾瀬を歩くので運動靴を履いてバイクに乗ったのだが、雨降りであっという間に靴も靴下もびしょ濡れ。しかも、それが冷気にさらされて、とても寒い!というわけで再びYHに戻って、ブーツに履き替える羽目になった。まもなく雨は上がってしまったが…。ボクは、いろは坂の途中にある明智平のドライブ・インにバイクを停め、朝食にした。ここでも店のおじさんといろいろな話ができた。ついでに写真を撮ってもらった。例によって情けない面で写っているが、まっしょうがない。さて、天気も良くなり、身体も温まってきたので、またバイクのキックを踏み下ろした。
 昨日行った湯滝をさらに通り過ぎていくと、金精道路の料金所に出た。これがまたバカ高い!二輪車600円。往復1200円である。貧乏ツーリングの身には、非常に効いたな〜。だけど、この金精道路はこのうえなく快適だった。標高もさらに高く、少々寒かったものの、辺りはもう紅葉が実に綺麗。「これなら600円も惜しくないぞ!」と自分を励ました。明智平で訊いたら「尾瀬までは3時間くらいだろう」と言ってたが、実際はかなり早く着いてしまった。バイクは大清水まで。これから先がいよいよ歩きである。ボクの足には重いバイクのブーツが…。しかもあまりゆっくりしている時間もない。早速、歩き始めた。はじめはどうってことなかった。とても綺麗な所だった。ところがやがて見えるは石ばかりという状況になった。汗が流れる。それでもツカツカと歩いた。何十人の人を抜いた。ある人は、「バイクのブーツで来ている人は初めて見た」と言っていた。それはそうでしょう。ボクだった初めてです。帰りの人に会うと必ず「こんにちは。あとどのくらいでしょう?」と訊いた。いよいよ最後には足が上がらなくなってきた。それに昨日作った靴ズレも痛い。天気が曇ってきた。ようやく到着!しかし、それは思っていたほど綺麗な所ではなかった…。


7. at ”ozenuma”
 とにかく着いた。やはり満足感はあった。すぐ写真を撮ってもらおうと適当な人を探した。ちょうどそばに地図を見ている中年夫婦がいたので、お願いした。ボクの後方にかの有名な尾瀬沼が見える構図。天気さえ良ければ、その向こう岸に燧が岳が見えてとても綺麗なのだそうだが、この日はダメ。それどころか、帰りはとうとう雨になってしまったのだ。さて、この中年夫婦、その「婦」の方が「おせんべいでもどう?」というので、ちょっといただくことにした。蜜柑もいただいた。その蜜柑が大きなおばさんの手から出たときは、ほんとに小さく見えた。実際小さい蜜柑だったけど、味はとても美味しかった。ちなみに尾瀬のジュースは250円もした。それも仕方ないだろう。何せ、山の中なのだ。「尾瀬というとミズバショウってみんな言うけど、今が一番いいよ。春や夏に来ても人が蟻みたいにいて、何を見に来たかわからないし、温泉だって有名なところよりさびれたようなところの方がいいよ…」というようなことを「夫」の方が言った。なかなかいい夫婦だった。
 この前橋から来たというご夫婦と別れると、ボクは昼飯にした。例によって簡素なメシだったが、心が豊かだった。ボクは思う。これからの自分の人生もこうでなくてはいけないと。例え贅沢な暮らしはできなくても、いつも明るく、いつも夢をもち、心を豊かにしていなければと。メシを食っているとき、愉快な連中に写真を頼まれた。合言葉はコレだ。「ココを押すだけで結構ですから」本当にバカチョンは便利!などと考えていると、「バイク気をつけろ!」とか「よ〜色男!」とか「うまく撮ってくれヨ」とかいろいろ冷やかされた。考えてみるとボクの尾瀬の思い出は人との触れ合いだけだった。そして、それがかけがえのない素晴らしい想い出になっている。 
 さて、メシを食うと再び歩き始めた。いや、帰りは小走りだった。帰りのたくさんの人と会ったが、その都度「こんにちは!」と声をかけた。声をかけると必ず返事が返ってくる。こんな簡単なことも都会では失われている、とは、後でYHで会った外人さんが日記に書いていたことだ。外人さんは言った。「日光で会う人はみなfriendly。しかし、東京の人は道で会ってもただ通り過ぎるだけ」と。咄嗟に「東京の人はbusyなんですヨ」と多少弁解がましく答えた。都会の人は生きてゆくのに追われているのだ。心が閉ざされている。他人と心から触れ合うことを恐れている。表面的なものに囚われている。可哀想な人々。外人さんの言葉を聞いたとき、ボクはそんなことを思った。
 さて、行きよりもかなり早く大清水に着きそうだった。最後にある登山者と一緒に歩いた。その人、今日は朝の4時から来ていたそうだ。余程山が好きなのだろうと思って、「やっぱり山っていいですか?」って訊くと、意外に「うん、素晴らしいヨ」とは言わない。「山に登るような奴はみんな変わっているよ。実は女の人が目当てだったりして…」と言った。そのときはじめて、この人が独身なんだな〜と思った。それでも30は超えていただろう。しかし、山に女性を求めてくるというのだから、ますます変わった人だ…。ふたりで歩いているうち雨足が強まり、ボクは傘をさした。大清水に着くと、彼とは別れた。ボクは再びレインウェアを着た。するといきなりそこへ「おっさん」が現れた。これには驚いた。「酒飲んで寝て起きたら雨になってるし、驚いたよ」と言っていた。この人は、バスの運転手らしい。しばらく、色々な話をした。「ホントにホントにこれじゃあ、孤独どころじゃないぞ!」そんなことを考えながら、そのおじさん、そして尾瀬で会った人たちにさよならを言った。そして、ありがとうも。


8.the road’s name was ”kinsei”
 ボクは今度のツーリングで何よりも無事故で帰ることを目標にしていた。それが一人旅を許してくれた親に対する最小限の義務である。その気持ちが緩むときが必ずある。そして、事故も起きる。金精道路を下っているとき、ついに転倒した。レインウェアがやぶけたくらいで何事もなかったが、もしすぐ後ろに後続車が来ていたら、これはただの転倒では済んでなかっただろう。この転倒で、少なからずボクの緩んだ気持ちはひきしめられた。
 途中で雨は止んだ。しかし、またいつどこで降り出すとも限らない。案の定、日光市内に近づくと再び雨足が強くなってきた。ボクはこの日、是が非でも鬼怒川温泉に行くつもりだった。「もうあの汚い風呂には入りたくない」と思っていたからだ。雨が止んでくれたらなと思ったが、鬼怒川でも雨は降っていた。しかも着いた頃には日が暮れていた。仕方なく諦め、折り返し日光YHへ帰った。雨に濡れ、身体は芯から冷たくなっていた。とにかく風呂へ…。ところが、昨日の風呂の扉には「closed」と書かれていた。ふとみると、反対側にも風呂場があった。入ると3〜4人の先客があったが、こっちの風呂は広いし、綺麗だった。風呂の中で、北海道の菊田さんや他の人と知り合いになった。ただし、友達と来ているらしき人は、声をかけても知らんぷりだった。なぜ、そうしてまでハッキリと違うのか不思議に思った。心の窓というのは、なかなか開かないものらしい。風呂からあがるとすぐ寝た。今日もかなり歩いて疲れ切っていた。「8時15分からミーティングを行います…」というアナウンスが聞こえたような気がした。


9.meeting
 8時15分。「只今からミーティングを行います」ボクは起きた。「折角だから行ってみよう」と思った。行くと、北海道の菊田さん(名前はあとで知る)と浜松の人がいた。ペアレントさんが「今日は3人でやりましょう」と言ったが、すぐに大勢が集まってきた。そして、日光の説明が始まり、やがて終わった。「消灯までご自由に」ということだったが、ボクは明日の予定も決めてなかったので、すぐに退散するつもりでいた。そこへ外人Aが現れる。「こんにちは」「こんばんは」さて、何を話せばいいやら?まあ考えていても仕方ないので、思いつくまま質問をした。こんなとき、映画と音楽の知識は役に立つ。「○○という人、知ってますか?」とか「△△という人、好きですか?」とか興味本位な質問を連発で発射した。そのうち外人さんが「碁、知ってますか?」と言った。え〜、親父は強いのにな〜と思いながら「知りません」と答えた。しかし、待てよ!よく考えてみれば、ボクは以前、囲碁クラブに入っていたではないか。それにそのときも体験入学で来たNY在住の日本人(直之くん)に碁を教えたではないか。そのことを思い出すと慌てて「ボク、囲碁知ってます」と言った。急に反対のことを言ったせいか、外人さん、ちょっとビックリというか変な顔をしていたが、とにかく始めることにした。う〜ん、記憶が怪しい。それはともかく、いざとなると説明に困ったりした。そこへ、英語の上手な女の子が現れたのだった。名前はK.知恵子といってお茶大の4年生。E川区に住んでいるそうだ。無論、こんなことはあとになって知ったこと。しかも、それはとても不思議な偶然によって。夢のような偶然で、ボクと彼女は東京に戻ってから、デートすることになるのだが、それもあとの話である。
 さて、外人さんとの碁は、その女性の仲立ちもあって、うまくいった。ところがこの碁というゲームは、そうそう簡単には勝負がつかない。それでボクは、碁を止めて碁並べをやろうと言ってみた。「いいよ!」と言うので、石を片付けようとしたら、外人さんがとても驚いていた。どうも会話が通じてなかったようだ。なかなか一筋縄ではいかないが、それがまた楽しかった。さて、今度は碁並べ。また、英語の達者な女の子にお願いして、説明を終えた。すると、な、なんと外人さん、突然、碁を始めた!これには本当に笑ってしまったが、外人さんはとても真剣だったので、笑ったことを後悔した。これは碁クラブでならしたせいもあり、ボクが勝った。と同時に、10時の消灯時間になってしまった。本当は他の人とも1回ずつやってほしかったが…。すぐにみんな部屋に帰ってしまったが、ボクと外人さんは残って、少し話をしていた。ボクはアメリカにいるケンちゃんのことを思い出して、とてもしんみりした気分になってきた。最後にボクは「good night!」と言い、彼は「おやすみなさい」と言った。そしてボクは右手を前に出した。相手の右手がボクの右手を包み込んだ。男というのは、存外、照れ屋で口べたで心の中の気持ちを表現するのが下手だ。そんなときは何も言わずに右手を出すのだ。手のひらを通して相手の心が伝わってくるのだ。その翌朝、もう一度外人さんに会うことができるのだが、そのときは、彼の方からその大きな右手を差し出してきた。やはり人間の誠意というものは伝わるものだと思った。
 さて、その夜は、疲れているにもかかわらず、なかなか寝つけなかった。ふと目が覚めると夜中の12時だったりした。そんな夜はとりとめもなく誰かと話がしたいと思うのだが、YHではそうもいかない。通訳をしてくれたあの可愛いらしい彼女のことも気になっていたのだが、碁をしているうちにほとんど話もできなかったのだ。しばらく、ボケ〜としてから、また布団の中にもぐった。翌朝は、6時ちょうどに目が覚めた。例によってまず外をみた。すばらしい天気だった。


10.memories of ”nikko”
 朝7時過ぎ、XLRのエンジンを暖めていた。外人さんの手の温もりがまだ残っていた。千葉から来たGN125Eの人も支度していた。今日は中禅寺湖の方へ行くそうだ。とにかく天気でよかった。 「それではお気をつけて。さようなら。」ボクは2日泊まった日光YHに別れを告げた。どこ行くあてもなく、とにかくバイクのアクセルを回した。


11.my way back to ”nikko”
 海老屋で土産を買うと、いよいよ日光ともお別れとなった。今日は日曜日でマイカー客がかなり来ていた。天気は実によく、暑いほどだった。再び今市市の日光杉並木を通って、来た道を帰る。次の目的地は宇都宮の大谷。宇都宮まではすぐだった。ここから大谷までは15分ほど。大谷の土産屋の駐車場にXLRをおいて、大谷観音に行こうと思った。しかし、ここの詳しい地図は持ってなかった。ちょうど自転車に乗った少年が二人いたので道を尋ねてみた。「それじゃあ、案内してあげましょう」と言う。へ〜親切だね〜と思って、いろいろ聞いた。二人は兄弟で、上が中2、下が小5だった。中2の兄は学校で卓球部に入っているそうだ。ボクも中学時代は卓球部だったんだよ〜ってな話をした。観音までは結構あって、着く頃には汗だくになっていた。夏のような日だった。そこで一緒に記念撮影をして、兄弟とは別れた。兄弟の両親は幼稚園を開いているそうだ。ちょうど今日は運動会で、先程12時の花火があがった。とてもいい兄弟だった。いい両親なのだろうと思った。       
 観音の次には、日本最古の石仏、坂東十九番札所、それから大谷資料館へ行った。とにかく暑かった。再び土産屋の駐車場に戻ってくると、3人の少年が近づいてきて「かっこいいバイク!」とか何とか言った。5分ほどして少年達が行ってしまうと、今度はおばさんが話しかけてきた。この人は日光YHのあった大谷川のそばに住んでいるという。「日光はもっともっといい所ヨ」と言っていた。そのうち、今度はその旦那さんもやってきた。息子が今、日大の農学部にいるそうだ。二人にさよならを言うと、再びバイクにまたがった。あとは本当に帰るだけ。絶体に無事故で帰ってやる、と気を引き締めた。夕暮れ、東京都内に突入した。いきなり、すごい渋滞につかまった。荒れ狂ったような車の数。帰ってきたな〜という実感が湧いた。一度、友達の家に寄った。自宅に着いたのは、夜9時頃だった。無事だった。


 
 
data
’86.10.3−10.5
HONDA XLR250R
trip distance:759km
fuel expense:37.8km/L