Trip to Bali 2012
バリ島のすぐ隣は、ジャワ原人が住んでいたジャワ島である。まるで想像できないが、今から100万年ほど昔の話である。ジャワ原人は、北京原人と同種のホモ・エレクトス(直立するヒト)で、進化の途中で絶滅したという「アフリカ単一起源説」と、各地のホモ・エレクトスらがそれぞれ進化してホモ・サピエンスになったという「多地域進化説」があるらしい。ミトコンドリア・イブの発見などもあって、今は、「アフリカ単一起源説」の方が優勢のようだが、いずれの説にも共通しているのは、ホモ・サピエンスのルーツを辿れば、約180万年前にアフリカで生まれた原人に至り、約20万年前に新人に進化したという点である。137億年の宇宙史、46億年の地球史から見れば、人類の歴史なんて目にも留まらぬ瞬間芸のようである。そんなこんなを調べていたら、そもそも「人類は進化などしてない」と信じる女性と2日がけで論争したことを、ふと思い出した。何を信じようと、本人の自由ではあるが…。
続いてバリ人の歴史。紀元前2000年には台湾からきたオーストロネシア語族が住んでいたそうな。ざっくり端折って10世紀にはワルマデワ王朝が興り、それ以降、幾つもの王朝の支配を受けてきた。14世紀からはジャワ島を中心に栄えていたヒンドゥ王国=マジャバヒト王朝の遣いによってゲルゲル王国が築かれる。しかし16世紀になると、イスラム勢力により衰亡したマジャパヒト王朝の僧侶や貴族たちがバリ島に逃れてきて、ヒンドゥ・ジャワの文化が伝えられる。バリの人は、こうした王族、貴族らの末裔だと自負しているらしい(マハルディカ談)。現在、インドネシアの約8割がイスラム教徒という中にあって、バリ島の約9割がバリ・ヒンドゥ教徒なのは、こうした経緯に由来しているのだろう。
さて、19世紀は、西欧列強による植民地争奪戦の時代である。バリ島はオランダの植民地になり、観光開発や芸術振興が盛んになる。そして「戦争の世紀」といわれる20世紀になると、既存のパワーバランスが崩れ、新たな勢力争いや民族独立といった動きが活発化する。日本は大東亜共栄圏構想に基づき、欧米列強に宣戦布告し、1942年にはバリ島へも侵攻し、オランダ軍に勝利している。軍政下におき、教育制度の充実や軍事教練なども行い、将来的にはインドネシアを独立させる方針を発表していたが、その後、日本が敗戦したため、オランダの再植民地化が始まってしまう。これに強く抵抗したのがングラ・ライ中佐率いる義勇軍で、結果的に全滅してしまうのだが、その中に旧日本軍の残留兵士が加勢していたこともあって、バリにおける日本の印象は悪くない、らしい。
バリ島から受けた印象を、同じように「南国の楽園」的イメージをもったハワイと比較してみた。どちらも居心地のよい南の島に違いないが、個人的にはバリ島の方が馴染みやすく感じられた。その理由は何だろうと色々考えてみると、それは「オリエント」という言葉がもつニュアンスに行き着くように思えた。今回の旅行中にみたバロンダンスやバリ絵画などは、実はオランダ統治下で創られ、観光産業として発展してきたものだが、そういった中にも東洋的な魅力を感じ、親しみをもったのも事実である。「オリエント」とは元来、美術界などで用いられていたものだが、エドワード・ザイード(1935-2003)という批評家は、西洋の東洋支配という視点から「オリエンタリズム」を定義し、批判している。平たくいえば、ヨーロッパではない広大な国々すべてを「東洋」という風呂敷に包み込み、「東洋ではない西洋」というアイデンティティ確立のために創作されたもののようである。そこには、「東洋=後進社会」といった劣等的イメージがあり、西洋人の優越感が伴うものなのである。現代では、東洋人であるはずの日本人の多くが、「オリエンタリズム世界観」をもっているという指摘もある。確かにハワイでは劣等感を、バリでは優越感をほとんど無意識のうちに感じていたようにも思える。人類が歩んできた歴史が自分の体内にも取り込まれているようで、少し考えさせられる。
7 オリエンタル
photo:bali art



