SCNE 22
 
 
 
 
「旅のはじまり」
 
 翌日も京都工繊大の人と一緒に、市内見物をした。高さ443m110階建てのシアーズタワーは世界一高い。高すぎて、高所恐怖症にもならないほど高い。シカゴのチャイナタウンは淋しいところだったが、二人で4皿頼み、食べ過ぎて苦しくなった。この日の最高気温は、−1〜−2℃。日焼けしているのが馬鹿みたいである。
 翌3月20日も晴れ。オヘア空港からLA空港まで約4時間、気さくな英国人と農業のことなどを話して楽しんだ。ロサンゼルスでは「ザ・ブロードウェイ」で買い物などをし、それが「最後のアメリカ」となった。あと一晩眠ったら、この旅も終わる。
 3月22日、僕は無事に横浜の自宅に帰ってきた。終わった安堵感よりも、いろいろなことが想い出されて、すでに淋しさが込み上げてきた…。
 最後の夜、僕は緊張して、2時間おきに目を覚ましていた。旅行中はずっと、あのシカゴの晩でさえよく眠っていたというのに。帰国便は日本人ばかりだった。隣の席も日本人。一人でメキシコへ行って来たという女性で、かなりの冒険をしてきたらしく、話が面白かった。成田からYCATまでも隣は女性だった。国生さゆり似の美女で戸塚に住んでいるという。話すことに飢えていたせいか、2時間ずっとしゃべり続けていた。やはり言葉は大事である。簡単な英語力でも、旅はできる。ホテルの予約、地下鉄に乗る、食事をとる、一通りのことはできる。しかし、それだけでは、本当の旅にはならない。やはり人との交流が必要なのだ。キーウェストでのカートやルーキスとの交流は、特に想い出深い。ルーキスは言った。「ポルトガルは銃や医学など多くを日本に伝えたのに、のんびりしているから、今は日本に抜かれてしまった」と。ロサンゼルスの空港でKと会えなかったときの恐怖やNYで黒人にからまれたときの恐怖も、一つには言葉が理解できなかったせいだった。わからないから怖い。わかるためには知りたいという気持ちがまず必要だ。世界を見たい、知りたい、それが旅のはじまりである。その気持ちを忘れないでいようと思う。
 生きている、そのことが旅であるなら、僕の旅は、まだ終わっていない。