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「ヴィヨンの妻〜桜桃とタンポポ〜」
新潮文庫の歴代売れ行きベスト1は夏目漱石の「こころ」、
次ぐ第2位が太宰治「人間失格」だそうだ。
高校時代に初めて読んだときは、途中で読むのを止めて、壁に投げつけた覚えがある。
とにかく、腹が立った。
大学3年の時、太宰の大ファンという後輩からどうしてもと頼まれて、
もう一度「人間失格」に挑戦したことがあった。
どうにか最後まで読んだものの、やはり、嫌な印象は変わらなかった。
さらに30のとき、仲のよかった同僚と文学談義をしているうちに太宰の話になり、
「『走れメロス』はいいけど、『人間失格』はどうにも好きになれない」と過去の経緯を話したら、
後日、1冊の文庫本を買ってきてくれた。
それが、「ヴィヨンの妻」を含む短編集だった。
これには確かに違った印象をもった。
弱気で情けない相変わらずの主人公ではあるが、どこかにユーモアと明るさが感じられたし、
何よりも人間心理の描写力たるや、ぐいぐいと引き込まれてしまった。
それからしばらく、太宰を読んでいた。
この太宰治(1909-1948)の特異な世界観を生誕100年の記念として映画化したのが本作である。
脚本の田中陽造氏は、主人公の佐知を松たか子をイメージして書いたという。
佐知は、小説家として大きな成功を収めながら、破滅的な生き方しかできない大谷(浅野忠信)を
陰で支え続ける健気な妻である。
既婚者でありながら、弁護士として成功している辻(堤真一)や
マジメな好青年、岡田(妻夫木聡)から言い寄られるエピソードにはドキドキしてしまう。
佐知役の松たか子のコメントが興味深かった。
曰く、「大谷を選ぶのは、もちろん結婚しているとか、子どもがいるとか、理由付けはできるんですけど、
私が感じたのは、佐知にとって大谷は、自分の本性が出せる相手であり、
一番ドキドキする存在だったんじゃないかなって。
他の二人はきっと、生活の安定や愛されている実感も与えてくれただろうけれども、
自分の本能的な部分を動かされるのは大谷だったんじゃないかなって。
佐知は、自分の気持ちに正直な女性なんだと思います。」
まさに、キャスティングの妙だろう。
そんな松たか子について、根岸監督は次のように語っている。
「俳優さんは『なぜここで、こういう行動をするのか』と、気持ちのつながりを考えがちなんだけど、
この映画では動物的なしなやかさこそが重要で、松さんは理屈にとらわれることなく、
佐知になってくれました。素晴らしかったです。」
ふらっと家を出てしまった大谷が、佐知が働いている椿屋に飲みに来たりする。
散々飲んで勘定は佐知に払わせていなくなってしまうのだが、たまに、一緒に家路につくこともある。
兎にも角にも不思議な夫婦だが、そんな帰り道に佐知が、
「とっても私は幸福よ」とつぶやくシーンがなかなかいい。
すると大谷は、「女には、幸福も不幸も無いものです」という。
「そうなの?そう言われると、そんな気もして来るけど、それじゃ、男の人は、どうなの?」
「男には、不幸だけがあるんです。いつも恐怖と、戦ってばかりいるのです」
変な話ではあるが、この二人でなければ共有できない会話であろう。
松たか子が言うように、他の二人の男とは成立しない関係に違いない。
台詞は、小説のまんまである。
夫婦で敬語を使ってたりして、なんだか奇妙なのだが、それで太宰の世界観が表現できたのだろう。
エンディングもなかなかである。
桜桃をもった二人が手をつないで立っているストップモーションなのだが、
そのまま絵にして飾ってみたいような、いいシーンである。
「人非人でもいいじゃないの。私たちは、生きていさえすればいいのよ。」
これがこの映画、そして小説のメッセージである。
「人間失格」とは一線を画す、前向きな言葉でこの物語は終わる。
「愛と理解では、愛の方が大事だと一般には思われるでしょうが、
僕は、人間にとって、理解するということがとても大事なんだと思います。
理解というものが愛をささえている。」
と齋藤孝氏(明治大学文学部教授)の評論にあったが、納得である。
太宰の生家「斜陽館」
DATA
日本映画/2009年/114分/監督(根岸吉太郎)/製作(亀山千広、山田美千代、田島一昌、杉田成道)/
原作(太宰治)/脚本(田中陽造)/音楽(吉村隆)/美術監督(種田陽平)/衣装デザイン(黒澤和子)/
出演(松たか子、浅野忠信、広末涼子、妻夫木聡、堤真一、室井滋、伊武雅刀)
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