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「父と暮せば」
登場人物は、福吉美津江(宮沢りえ)、福吉竹造(原田芳雄)、木下正(浅野忠信)の3人だけ。
でも、見終わってから、「あれっ、3人だけだったっけ?」と不思議な気分になった。
というのも、美津江の母や親友の福村昭子さんとその母、冨田写真館の人、女学校の先生、
「おはなし会」を聞く子供たちのことなどが、まるでそこにいたかのように印象に残っているのだ。
でも、よくよく思い返してみると、その人たちはみな美津江と竹造の会話の中だけに登場した人物で、
確かに実際には出てきてなかった…。
「でも、なぜ、それほど深い印象が残ったのだろう?」
この作品は、井上ひさし氏の戯曲「父と暮せば」を原作にしている。
1948年の広島。被爆後、自分ひとりだけが生き残ってしまった主人公の美津江が、
「父」、そして「自分」との語らいを通じて、生きる希望を取り戻す4日間の話である。
劇団こまつ座により、舞台でも繰り返し上演されてきた作品で、
映画でありながら劇中劇をみているような、ユーモラスで感動的で本当に素晴らしい出来映えである。
その語り部となるのが、宮沢りえ扮する「美津江」と原田芳雄扮する「竹造」である。
ふたりの演技は、まさに神業!
ふたりが語ることによって、「登場人物」たちは実際にそこで息をしているかのように再現されるのだ。
黒木監督は、昭和5年(1930年)の生まれ。
満州国の小学校に通い、15歳で敗戦を迎えるまで、少年期の多くを戦時下で過ごすことになる。
黒木監督の近著「私の戦争」(岩波ジュニア新書)の冒頭に、次のくだりがある。
「私たちの現在の日常の中に「戦時下」のあの日々の姿がかたちを変えて、
ふたたび透けて見えてくるような危機感を私はいだきます。(中略)
日本国憲法九条の制約を取り除こうという動きや「有事法制」という戦時法の復活、
教育基本法の改訂、人道復興支援を合言葉にした自衛隊のイラク派遣などに、
あの十五年戦争を生きた私はきな臭いものを感じないではおれないのです。」
ここに「TOMORROW/明日」、「美しい夏キリシマ」、「父と暮せば」と続く
「戦争レクイエム三部作」を作った理由がある。
この作品には、一般的な戦争映画にあるような戦闘シーンや人が死んでゆくシーンはない。
あるのは「ピカ」と呼ばれる原爆投下のシーンくらいである。
描かれるのは、「ピカ」で死んでいった14万人の人々、そして生き残った人々の心の中の戦争シーンなのである。
それが、「言葉」で語られるのが、この作品の大きな特徴だと私には思えた。
原作の井上ひさしさんは、5万にも及ぶ被爆者らの手記を読み、
この言葉の中から「ヒロシマの人たちのこころ」を書こうとしたという。
今も世界各地で起こっている紛争が衛星により瞬時に映像で見られても、
なかなか「真実の戦争」というものは伝わってこないし、戦争を知らない世代には理解する用意もできてない。
スピルバーグが最新のCGで戦争を再現した「プライベート・ライアン」が話題になったこともあるが、
それ以上に、生身の人間が「言葉」で伝える力強さが、今作品では見事に成功しているように思える。
「おとったん、ありがとありました。」
この映画は、美津江のこの言葉で結ばれる。
この言葉がいかに感動的で尊いものであるかは、作品を見るとわかるが、
この平易で優しく、美しい広島弁によって、死に別れた父と娘の絆も結ばれ、
その他大勢のご先祖と子孫とが繋がることで、
この劇中劇も終演となり、驚くべき場所が舞台になっていたという「種明かし」をしてエンドロールになる。
これは、見てのお楽しみだが、「う〜ん、スゴイ!」とうなってしまった。
上映終了後、さらにビックリなプレゼントが待っていた。
なんと黒木監督ご本人が来られ、舞台挨拶と著作のサイン会があったのだ!
そのスピーチの中で、「中国では、原爆は戦争を終結させたハッピー爆弾と呼ばれている」というエピソードが紹介された。
今回「父と暮せば」が中国でも上映されたことで、原爆の下で死んでいった人たちのことが少しは理解されたそうである。
「思いやり」という言葉がある。
いい言葉だが、1つ間違うと自分が思いやってもらうときにばかり使われてしまう。
家族を隣人を他国の人を思いやる、そういう余裕をもった人、社会、国でありたいと思った。
DATA
日本映画/2004年/監督(黒木和雄)/製作(石川富康ほか)/脚本(黒木和雄、池田眞也)
原作(井上ひさし)/美術監督(木村威夫)/出演(宮沢りえ、原田芳雄、浅野忠信)/
岩波ホール前 黒木監督にサインをもらう。
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