「スタンリーのお弁当箱」
-Stanley Ka Dabba-
 
 
 
スタンリー(パルソー)は、歌と話の上手なクラスの人気者!
でも、事情があって、お弁当が持ってこられない。
 
この作品は、かなり特殊な方法で作られている。
出演者は、ごく普通の小学生たち。
映画の撮影ということは知らさず、演劇のワークショップを1年半かけて75回も行い、
子供らの自然な行動や表情を小さな一眼レフカメラで撮影。
このため、話のつながりがぎこちなく、ドキュメンタリーでもないため、突飛で荒削りな印象を受ける。
国語教師ヴァルマー(アモール・グプテ監督)が子供たちの弁当を執拗に横取りする設定にも違和感がある。
でも、子供たちのイキイキとした姿は、まるで宝石のように輝く。
国は違っても、子供は人類の宝だなと思えてくる。
意地悪な国語教師は実に憎たらしく、
優しい英語教師ロージー(ディヴィヤ・ダッタ)は女神様のように描かれる。
捨てる神あれば拾う神ありなのは、インドの神々でも同じようだ。
苦境の中でも明るく振る舞うスタンリー少年は、本当に健気で可愛らしい!
国語教師役のアモール監督とスタンリー役のパルソーが実の親子ということを見終えてから知って驚いたが、
似ても似つかぬ容姿は、やはり演技だったのか!(笑)
 
この作品が扱っているのは、実は、児童労働問題である。
人口12億人のインドは、好調な経済発展の一方で約3割もの貧困層を抱えている。
最近まで14歳以下の雇用が認められていて、児童労働者数は世界一といわれている。
貧困が児童労働を生み、子供の売買も増えているという。
日本でも格差が広がり、親のリストラや離婚を機に極貧の暮らしを強いられている子供が増え、
学費を稼ぐために身体を売る女性も少なくないという。
一体、世界はどこを目指しているのか、と思う。
評論家の渡辺京二氏の言葉を書き留めておきたい(新聞記事要約)。
「資本主義は一人一人を徹底的に切り離して消費者にする。
生きる上でのあらゆる必要を商品化し、依存させ、巨大なシステムに成長させる。
近代化で貧しさを克服したが、人間を幸せにすることには失敗した。
昔は想像もつかなかったほどの生産能力を持っているのに、まだ経済成長が必要なのだろうか?」
 
今月(2013年8月21日)、シリアのダマスカス郊外で化学兵器が使われ、
少なくとも子供426人を含む1429人の市民が犠牲になった、と米政府が発表した。
大人が子供を殺して、一体どんな言い訳ができるのだろうか?
命を下す人間は往々にして自らの手は汚さない。
その手の弁舌が、他人事のように白々しく聞こえるのと、無関係ではあるまい。
 
アモール監督の言葉。
「私の人生で、最も重要だと考えていることは、地べたにあぐらをかいて座り、
子供達と同じ目線で接すること。」
これは、大人が子供っぽくなることではない。
子供を守り、鍛え、導くために大人がすべきことだと思う。
 
「インドは二つある。きらびやかなインドと、多くを持たない人たちがいるインド。
スラムで暮らす子がいる。家の中で働く子もいれば、
ホテルやレストランで働く子もいる。
僕の国をわかってほしい。」
パルソー少年の言葉が胸を打つ。
 
 
銀座シネスイッチ
 
DATA
インド映画/2011年/96分/シネスコ/
製作・監督・脚本(アモール・グプテ)/編集(ディーバ・バティア)/音楽(ヒテーシュ・ソニック)/
出演(パルソー、ヌマーン、アビシェーク、モンティー、ディヴィヤ・ダッタ、アモール・グプテ)/