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「ソーシャル・ネットワーク」
−the social network−
インターネットが世界を大きく変えていくだろう。
と、90年代後半、よく耳にするようになった。
そして、今や、現実のものになっている。
メールやケータイは日常不可欠なものになり、ブログやツイッターやユーチューブで、
個人の発言や映像が一瞬で地球を駆けめぐる。
しかし、そろそろ過剰だなと個人的には感じる。
食事に例えれば、腹八分を超えて、満腹なのにまだ食べている感じ。
心底食べたいわけじゃないけど惰性で食べちゃってる。
もしくは、食べてないと不安さえ感じる、という領域に足を踏み入れてやしないだろうか。
この映画は、5億人の会員をもつという世界最大のソーシャル・ネットワーク・サービス(SNS)、
「フェイスブック」を作った若者の話である。
ハーバード大学の学生だったマーク・ザッカーバーグ(ジェシー・アイゼンバーグ)がフェイスブックを立ち上げ、
一夜にして億万長者になる一方、仲間から2つの訴訟を起こされてしまう顛末がスリリングに描かれる。
映画としての完成度は極めて高いと思うが、満足度に関する賛否は、分かれるようだ。
「登場人物の誰にも共感できないし、後味も最悪」といった感想もあった。
確かにマークは、自分をふったエリカ(ルーニー・マーラ)の誹謗中傷をブログに書いたり、
自分の言い分のみ一方的に主張するような苛つくところもあるのだが、
自分の夢の実現に向かって必死に生きていく姿には、共感するところもあった。
「この映画は、フェイスブックとマーク・ザッカーバーグに対する宣戦布告だと言及している人もいますが?」
というインタビューに対して、デヴィッド・フィンチャー監督は次のように答えている。
「僕にはマーク・ザッカーバーグもショーン・パーカーのどちらも悪いやつには見えない…(中略)。
未来のためには最良の友を犠牲にして自分の道を進んでいく。そこに僕は惹かれたんだ。
だからこの映画を僕は作ることにしたんだよ。」
たとえは変だが、天下統一のために他国を亡ぼし、
残虐な殺戮行為に及んだ秦の始皇帝や織田信長に似てなくもない。
フィンチャー監督は、次のようにもコメントしている。
「情報化社会において、アップルのスティーブ・ジョブズは彼の製品デザイナーとだけでなく、
彼の製品を競合製品よりも高い値段で買ってくれる人たちとも関係をもっている…(中略)。
マークがなりたいと望んでいるものはそれなんだと思う。ビル・ゲイツはそうではない。」
フェイスブックの共同創始者であり、マークの唯一の親友でもあった
エドゥアルド・サベリン(アンドリュー・ガーフィールド)が、
そろそろ広告を出して利益をあげるべきだと提案したとき、
「画面に広告が出たらクールじゃなくなる」と言って断るエピソードがある。
まさにマークがビル・ゲイツではなく、スティーブ・ジョブズだとわかるシーンだが、
彼は世の中を変革するテクノロジーを開発したかったのではなく、自分の分身ともいえるモノづくりを通じて、
利用者との間に新たな関係性を作りたかったように思える。
彼がそこまで心血を注いだ個人的な理由は、「孤独」である。
それが、脚本・アーロン・ソーキンの解釈だろう。
憧れのボート部には入れないし、彼女にはふられるし、心を割って話せる友人も少ない。
そこでマークは天才的なひらめきとプログラミングの才能を駆使して、
ネット上にユートピアを創ろうとしたのだ。
果たして、その結末がどうだったのか。
ネット上の世界は、あくまでネット以上でも以下でもないことを提示して終わる。
何でもできるという気にさせてはくれても、生身の人間に置き換わることはない。
後味が悪いということもなく、真実を象徴するすばらしいエンディングだと思えた。
MM109
DATA
米国映画/2010年/120分/
監督(デヴィッド・フィンチャー)/脚本(アーロン・ソーキン)/
原作(ベン・メズリック)/製作総指揮(ケビン・スペイシー)/
音楽(トレント・レズナー&アッティカス・ロス)/
出演(ジェシー・アイゼンバーグ、アンドリュー・ガーフィールド、ジャスティン・ティンバーレイク)
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