「謝罪の王様」
-King-of-gomennasai-
 
 
 
ジブリの教科書シリーズの第2弾「天空の城ラピュタ」の中の一文。
「『ラピュタ』では「活劇」であることを徹底することを選択した。
それは「批評」を捨てたのではない。
「活劇」であることでまず、「受け手」に正面から映画を届けるチャンネルを開こうとしたのだ。」
まんが原作者で批評家でもある大塚英志氏のこの文章を読んだとき、
「謝罪の王様」も同じだなと思った。
1890年代、フランスのリュミエール兄弟がシネマトグラフを発明してから約120年、
映画の世界はテーマも表現方法も出尽くした感もある中で、
「謝罪」をテーマにするとは実に斬新ではないか!
 
何しろ「謝罪師」である。
これが、ちゃんとしたビジネスとして成立している、風に見えてしまうところが面白い!
CASE1「恐い人達に謝りたい!」からCASE6「???」まで様々な依頼人の問題を解決するプロの謝罪師を
オムニバスで見せていく形式は、タランティーノ監督の「キル・ビル」(03)を彷彿とさせる。
脚本は、NHK朝ドラ「あまちゃん」を歴史的名作にした宮藤官九郎。
今まさに「時の人」といっていいだろう。
究極の言葉遊びとあり得ないエピソードが織り成す6つの物語に笑いが絶えない。
さらに、それぞれの話が後々つながり合っていく展開に溜飲が下がってスッとする。
東京謝罪センター所長・黒島(阿部サダヲ)の仕事ぶりは、案外、真剣である。
依頼人の方が実はちょっとおかしくて、おかしな謝罪をしている黒島は意外と真っ当。
この辺のちぐはぐ感も、クスクス可笑しい。
とりわけ、下着メーカーの中堅サラリーマン・沼田が凄かった。
セクハラで訴えられているのに、謝罪すればするほど度を超したセクハラに発展していく滑稽さを
岡田将生が熱演していて、本当に笑いが止まらなかった。
 
徹頭徹尾バカバカしくて可笑しい作品である。
が、本当にそれだけであれば、それほど興味は感じないかもしれない。
水田監督は、「国の全体所得が上がれば人が幸せになると思っている国のシステムや
政治に憤りも疑問もあって」風刺劇を作ろうと考えたそうだ。
エンターテイメントに徹したコメディ映画でありながら、
実は、今日の日本社会に対する「批評」が込められた作品なのである。
 
例えば、最近とみに目につく食品パッケージの「これはイメージです」や
「これは食べられません」という注意書きを見ると、ついつい笑ってしまう。
本当に間違える人がいる可能性も100%否定はできないが、
実のところは、これをネタにしたクレーム対策に過ぎない。
こうした微妙な違和感は、アンデルセン童話の「裸の王様」に少し似ているように思える。
外見と中身不一致のまま、「立派な衣装をまとった王様」として行進していく姿に、
誰も異を唱えず、戸惑いながらも表向きは賛同し、賞賛する者さえ現れる。
真実を理解できないわけではないが、それを口に出せない空気と諦念に支配された社会。
良識とか常識といった理性よりも、注意書きや契約書の方が上位にある社会。
相手を思いやる気持ちがあるかどうかではなく、
不祥事を起こしてしまったから、
クレームが来てしまったから、
トップの立場だから、
何はともあれ記者会見を開いて謝って、処罰しよう。
「この人は誰に何を謝っているんだっけ?」
と、テレビを見ていたクドカンが疑問に思ったのは、
まさに、こういう瞬間だったに違いない。
謝罪しにくい社会って、一体、何なのだろう?
思わず笑ったその後で、色々考えさせられる作品である。
 
本編終了後のエンドムービー、謝罪ダンスパフォーマンスも格好良く、
最後の最後まで楽しめる傑作でした!
 
 
 
DATA
日本映画/2013年/128分/シネスコ/ドルビーデジタル
監督(水田伸生)/脚本(宮藤官九郎)/
プロデューサー(飯沼信之ほか)/音楽制作(三宅一徳)/
出演(阿部サダヲ、井上真央、竹野内豊、岡田将生、尾野真千子、高橋克実、松雪泰子)