「セッション」
−WHIPLASH−
原題は、「むち打ち」の意。
その方が中身を端的に表しているが、観客は減るかも(笑)。
オープニング、ある青年がドラムの練習をしている。
そこへマッチョなスキンヘッドが来て、ほんの数秒聴いただけで立ち去ってしまう。
「こいつは見込みがない」という意思表示なのか?
無駄のない緊迫した描写にたちまち引き込まれてしまった。
舞台は、全米屈指の音楽学校。
青年は入学したばかり、19歳のニーマン(マイルズ・テラー)、そして強面のスキンヘッドが
伝説の教師、フレッシャー教授(J.K.シモンズ)である。
フレッシャー教授の脳裏には、常に「或る逸話」がある。
十代にしてすでにサックスの名手であったチャーリー・パーカーが、
ジャム・セッションで失敗し、ジョー・ジョーンズにシンバルを投げつけられ、
観客にも笑われてステージを降りた。
その後、彼は来る日も来る日も練習に没頭し、ついに伝説的なサックス奏者「バード」になる。
もし、あのセッションでジョーンズが「大丈夫、上出来だ」と言ってたら、
「バード」は生まれてなかっただろう…。
ということで、フレッシャー教授の凄まじいスパルタ教育が延々と続く。
見込みのない生徒は、容赦なく罵倒され、バンドメンバーから外されてしまう。
第二、第三の「バード」を発掘するための訓練なのだとわかっていても、
その凄まじさを見ていると、段々と教授が憎たらしくなってくる。
こういうやり方はどうなんだと疑問を感じるし、
感情移入先は、もっぱらニーマンの方になる。
彼女も諦め、すべてを音楽に捧ぐニーマン。
やがて血の滲むような努力が教授の目にとまり、
先輩を差し置いて主奏者に抜擢されるが、それも束の間、すぐに地獄へ叩き落とされる。
ふと、「愛と青春の旅立ち」(82)を思い出した。
海軍士官を目指すザック(リチャード・ギア)が、鬼軍曹(ルイス・コゼット・ジュニア)にしごかれまくる映画。
玉の輿をねらう町工場の娘(デブラ・ウィンガー)との恋の駆け引き。
ライバルと友情が交錯し、やがて士官学校を卒業する日を迎え、光り溢れる未来へと続くエンディング。
青年の挫折と成長を描く、王道的な作品である。
「セッション」もそれに似た物語ではあるが、少々違う。
もっと激しく、一筋縄ではいかない人間模様が描かれる。
まるで音楽の格闘技のような息をのむ展開に誰もが目を逸らすことができないだろう。
ちなみに、主役を演じたマイルズ・テラーは15の時からドラムを演奏し、教授役のJ.K.シモンズも若い頃に音楽を学んでいたそうで、
劇中の演奏シーンはとても迫力があり、十分見応えがある。
この物語はチャゼル監督自身の体験が基になっている。
高校生ドラマーだった監督は、地元の英雄的な指揮者によって、音楽が喜びから恐怖に変わったという。
「いかなる犠牲を払っても偉大であれ」
アメリカをアメリカたらしめるこの概念への疑問符。
答えではなく、そう疑問を投げかけてこの作品は終わる。
2009年、政権与党を担った民主党の事業仕分けで、蓮舫議員の発言が世間を騒がせたことがあった。
スパコン研究予算について、「世界一になる理由は何があるんでしょうか?2位じゃダメなんでしょうか?」という発言。
実は同じ質問を自民党政権時にもしていたようだが、文科省は明確に答弁できてなかったという話があり、
質問の背景には、「納得できる答弁を期待する」ねらいもなくはなかったようだ。
「1位になること」が金科玉条のよりどころになって、実は不要なものにまで税金が使われることがないよう見分けるのが
事業仕分けの本来の目的である。
1位である必要性がわかれば、予算をつけてよいのである。
しかしながら、「1位になる可能性」や「1位になることが国益になる」といった不確定要素の大きな話を、
どれほど考え抜いたところで、正確に判断することはほぼ不可能であろう。
この件で、蓮舫議員は科学や技術について全く無知といった批判を受けたが、
実際にはよくわからないことをさもわかっているように発言することの方が余程浅はかに見えてしまうのだが…。
「人間、万事塞翁が馬」
簡単に「答え」を口にするよりも、どうなんだろうと疑問を抱き続けるチャゼル監督のような姿勢に、共感を覚えた。
DATA
米国映画/2014年/107分/シネスコ/5.1chデジタル/
監督・脚本(デイミアン・チャゼル)/製作(ジェイソン・ブラム他)/製作総指揮(ジェイソン・ライトマン)/
音楽(ジャスティン・ハーウィッツ)/撮影(シャロン・メール)/
出演(マイルズ・テラー、J.K.シモンズ、メリッサ・ブノワ、ポール・ライザー)/
字幕(石田泰子)