「海を飛ぶ夢」
−MAR ADENTRO−
 
 
 
「尊厳死」を題材にしたスペイン・フランス合作の映画。
死は、誰でも1回だけ経験するとても身近で、あまり考えたくない人生のフィナーレである。
この映画は、真正面から死と向き合った作品ではあるが、
「確実にラブ・ストーリー」と弱冠33歳の若き巨匠アメナーバル監督は言う。
実話がベースになっていて、主人公のラモン・サンペドロ(ハビエル・バルデム)は、
19で船乗りになるが、25のとき海での事故で首から下が不随になる。
重苦しいテーマでありながら、主人公ラモンの頭のよさ、心の温かさ、ユーモア溢れる人柄によって、
とても軽妙で楽しげな雰囲気に包まれている。
 
「尊厳死」と「自殺」。
似たような言葉だが、その違いは何だろう?
「尊厳死なんて言わず、自殺と言ったらどうだ?」という台詞がでてくるが、
言葉のもつニュアンスはずいぶん違う。
医療の発達によって、たとえ植物状態でも心臓を動かし続けて延命できる世の中である。
「もうそろそろ死なせましょうか?」「そうですね。家族として同意します。」
そんな風に自分の死が他人によって決められるのが「尊厳死」ならば、
最近、日本で増えている「ネット自殺」はどうかというと、
「ねぇ、誰か一緒に死なない?」「いいよ。私もちょうど生きるの嫌になってたの!」
という気軽さで、まさに自分独りの意志で死を選ぶのが「自殺」である。
このくらい両極端であれば区別もできるが、実際の線引きはかなり難しいはずである。
また、仮に線引きができても、「尊厳死」はいいが、「自殺」はいけないといえるだろうか?
 
「生きることは、義務なのか、権利なのか?」ということも考えてしまう。
幸せなときは権利のように思うが、苦しいときは義務のように感じる。
ラモンのように目と口、顔の一部しか動かないと、きっと苦しい。
生活の大部分を他人の世話になって生きなければならない苦痛は、相当なものだと思う。
「わずか1メートル。そこに君がいる。ぼくにとって、その距離は無限だ。」
まるで詞のように美しいラモンの言葉も、この場合はとても痛々しい。
 
ラモンの死を巡って、周囲のさまざまな人間模様が丁寧に描かれている。
変な例えになるが、太陽から生まれた太陽系の惑星たちが集まって、
太陽の存続の是非について話し合っているような感じがした。
太陽のことを本心から気遣っている惑星もいれば、
太陽がなくなると困るなぁと自分の心配ばかりしている惑星もいたりして、
当の太陽はというと、自分のことのような、他人事のような気分で聞いているのだ。
一番、無責任な発言者として描かれていたのが、フランシスコ牧師(ホセ・マポウ)だろう。
「死ぬのはよくない。生きることは素晴らしい」とラモンを説得しようと試みるが、
自分本位で一方的な説教は、逆にラモンや家族を傷つけ、怒らせてしまう。
一番共感するのは、ラモンの兄の妻マヌエラ(マベル・リベラ)だった。
30年もラモンの身の回りの世話をしながら、静かに見守ってきたマヌエラは、
誰よりもラモンの死への願望を理解し、そのことを深く悲しんでいた。
いろいろな女性が登場する中で、ロサ(ロラ・ドゥエニャス)は、
「愛されたいから愛する」というタイプの女性だった。
最期の場面で重要な役割を担うロサは、
「相手が望むことをすることが本当の愛だ」と言うが、ボクは嫌だった。
ラモンを理解しているようで、本当はわかってないように見えた。
しかし、本当に理解できるかというと、実際は不可能かもしれないとも思う。
かといって本人の意志を尊重すればいいと言い切れないところに、
「尊厳死」や「自殺」の難しさがあるのだろう。
 
もともと生命体のDNAに、自ら死を選ぶプログラムがあるだろうか?
ひたすら生きるようになっているのではないだろうか?
もっと「自然」に還る必要があるのかもしれない。
ラモンが心の中で「海」を飛んだように、
自然に生き、自然に死ねるようでありたい。
 
 
 
DATA
スペイン・仏映画/2004年/監督・製作・脚本・音楽(アレハンドロ・アメナーバル)/
製作(フェルナンド・ボバイラ)/脚本(マテオ・ヒル)/音楽スペシャル・コラボレーション(カルロス・ヌニェス)/
出演(ハビエル・バルデム、ベレン・ルエダ、ロラ・ドゥエニャス、マベル・リベラ)
                       
シャンテ・シネ