「サッド・ムービー」
−Sad Movie−
 
 
多くのラブストーリーが出逢いから愛が育まれていく過程を描くのに対し、
この映画では、いろいろな理由で別れていく様を描くことに主眼をおいている。
4組の男女が幸せを手放していく結末を見るのは、タイトル通り、とてもつらく悲しいことだった。
ただ、それだけではないはずである。
パンフレットにあったクミコさん(シャンソン歌手、作家)の解説は、今作のテーマをうまく表現していた。
曰く、「この映画は悲しみの映画ではなく、喜びと再生の映画だった」とある。
自分自身はそこまで前向きなものには感じられなかったが、
しかし、これ以上はないだろうという激しい悲しみを感じながら思うことは、
その別れまでには確実にある生命や当たり前の生活をちゃんとありがたく生きておこうということだった。
この映画の観客は、いずれ悲しい別れがあることを知りながら見ているから、
恋人同士、あるいは母と子が交わすほんの小さな会話や日常のやりとりなどに、
かけがえのない尊さを感じてしまう。
これは映画の中の話と思いつつ、心のどこかで観客自身の人生に重ね合わせていると思う。
遅かれ早かれいろいろな形で別れの瞬間が来るのだろう。
だから、「今」を大切にしようと思うのではないだろうか。
 
主人公の一人、消防士のジヌ(チョン・ウソン)がずっと先延ばしにしていたプロポーズを決意したその夜に、
駆けつけたビル火災の炎に包まれて死んでいくシーンがある。
その最期のシーンを録画されたビデオでみた恋人スジョン(イム・スジョン)は、
その後、「プロポーズを望んだことが、今では悔やまれるわ」と言う。
映画のラストシーンになるその言葉の意味が自分にはよくわからなかったが、
クミコさんは、次のように書いていた。
「愛は、お互いを縛るべきものでは決してない。この世に生まれ、巡り合い、愛し合う、
こんな奇跡はただ受け入れるべきものであること。
だからありのままの形で日々を重ねられなかった悔いが彼女を責めるのかもしれない。」
 
この映画に登場する4組の男女の物語は、ほぼ同程度の比率で同時に進んでいく。
話があっちこっちに行って散漫になりそうでならないのは、
非常に綿密に書かれたシナリオと演出がうまいせいだろうと思う。
4組8人の登場人物は、互いに少しだけ接点がある。
それは例えば、消防士ジヌがよく行くスーパーのレジ係がスッキョン(ソン・テヨン)だったり、
そのスッキョンの恋人ハソク(チャ・テヒョン)は、
たまたま公園のブランコで小学2年生のフィチャン(ヨ・ジング)と出会うという具合である。
そうしたつながりは、無関係のようでどこかでつながっているこの社会そのものである。
フィクションがリアリティをもつには、そういう部分が重要なのかもしれない。
 
クォン・ジョングァン監督(1972年生)は、まだ若く、長編映画は今作で2作目である。
洗練された映像とシンプルな物語は、泥臭さはないが、「今」を感じさせてくれる。
「愛はどうして終わる瞬間に一番輝くのだろう」というのが、映画のコピーにあった。
それはたぶん、その愛がこの世界にたった1つしかなく、
ある日なんとなく始まったのに、終わるときには2度と始まらないことがわかるから、
ではないだろうか。
悲しい映画というより、悲しい現実ではあるが、
そこから喜びと再生がはじまると前向きに考えていくしかないだろう。
人の道は、どこまで行っても一方通行路なのだから。
 
 
 
有楽座
   
DATA
韓国映画/2005年/109分/監督(クォン・ジョングァン)/原案(オム・ジュヨン)
脚本(ファン・ソング)/製作(パク・ソンフン)/音楽(ジョ・ドンイク)/
出演(チョン・ウソン、イム・スジョン、チャ・テヒョン、シン・ミナ、ソン・テヨン、イ・ギウ、ヨ・ジング)