「今宵、フィッツジェラルド劇場で」
−A PRAIRIE HOME COMPANION−
 
 
原題は、「プレイリー・ホーム・コンパニオン」。
30年以上も続いているラジオ番組の名前で、
世界各国550以上のラジオ局で放送されている実在の人気ラジオ番組だ。
番組は、毎週土曜日の午後に公開生放送されており、
そのホームグランドがミネソタ州セントポールにあるフィッツジェラルド劇場である。
この番組の司会者であり、台本作家でもあるギャリソン・キーラーが、
この映画の発案者で、脚本を書き、さらにキーラー本人を演じている?!
背が高くてとぼけた風貌だが、その声のよさはなかなかいい。
歌もうまいし、進行の見事さは、さすが熟練の味わい。
そんな名ホスト、キーラーの案内で、観客は、ラジオ番組製作の舞台裏へと入っていく。
折しもこの日は番組の最終回(これは映画での設定)である。
大企業に買収され、劇場の取り壊しと番組の終了が決まっているのだ。
長年、ともに番組を作ってきたミュージシャンたち、保安係、ステージマネージャーとその助手、サンドイッチ係、
それぞれ番組への想いはさまざまにある。
明日からの職が決まってない。
そんなことより、リスナーに感謝をいうべき。
いや、涙のさよならは言いたくない、など意見がぶつかり合う。
でも、みんなの気持ちはしっかり繋がっているのだ。
 
オープニングから、なかなか印象深い。
山々のシルエットが夕陽に照らされて美しく、右の方にアンテナのようなものも見える。
ラジオ番組が次々とチャンネルを変えて聞こえてくる。
ゆっくりと夜になるが、画面は固定したままである。
ハッとした!
耳は目よりも情報量が多いと聞いたことがあるが、
映像があるとそっちへ目が奪われ、意識もいく。
ところが映像が動かないせいで、俄然、音に対して敏感になる。
そう、この物語の主役は、音=ラジオなんだ!
さりげない演出だが、すごくいいなぁと思った。
 
つづくシーンは、いきなりフィルムノワール(暗いトーンの犯罪映画)風のタッチで、
物語の中にぐいぐい引き込まれてしまう。
保安係のその名もガイ・ノワール(ケヴィン・クライン)が、
劇場に現れる謎のブロンド美女のことをフィリップ・マーロウ気取りでこんな風に語る。
「雨が濡らすのをためらうほどの純白のトレンチコートを着ていた。
スカートはタイトで、下着のタグが読めたぞ。
”洗うときはぬるま湯で”そして”脱水は軽めに”だ。」
やはりラジオ番組の台本作家だけあって、キーラー氏の台詞は洒脱でなかなかだ。
そのガイがラスト近くで、取り壊されていく劇場の片隅で、中学校で習った歌を歌うシーンがある。
「バラのつぼみよ、早く咲いてくれ…時はどんどん過ぎてゆく…今日と明日咲き誇ってるバラもすぐに枯れる」。
人生って、こんな風に過ぎていくもの。
でも、いいもんだな〜って思えて、じーんときた。
 
ロバート・アルトマン監督は、ガンを患いながら今作を撮り終え、次作への意欲ももちつつ、
2006年11月20日、81歳で他界した。
「M★A★S★H」「ナッシュビル」「ビッグ・アメリカン」「ショート・カッツ」「ゴスフォード・パーク」など、
数々の秀作を世に送り出し、世界3大映画祭すべての最高賞を獲得している。
リチャード・ギアの追悼のメッセージを読んで、熱いものを感じた。
「彼は誰よりも、アメリカ人独特のバカバカしさを一番理解していた。
彼は大海のような深さと羽根のような軽さを同時に持ち合わせた人物で、
みんなは彼が大好きだった。」
 
アルトマン監督は、わかってるんだと思った。
人間の愚かな部分、哀しい部分、暗い部分、そして人生が短く儚いこと。
それを殊さら取り上げて、声高に批判したり、嘆いてどうなるのだろう?
そんなことより、この人間をありのまま愛し、人生を楽しんでいこう。
映画を通じて、そう語っているように思えた。
遺作だからそう感じるのか?
本人が遺作になる予感があったのか?
それはわからないが、すばらしいメッセージである。
 
 
         
銀座テアトルシネマ
   
DATA
米国映画/2006年/105分/監督・製作(ロバート・アルトマン)/
脚本・原案(ギャリソン・キーラー)/音楽(リチャード・ドヴォスキー)
出演(メリル・ストリープ、リリー・トムリン、リンジー・ローハン、ギャリソン・キーラー、ケヴィン・クライン)