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「ピエロの赤い鼻」
−Effroyables jardins−
1960年代のフランス、田舎町。
小学校の先生ジャック(ジャック・ヴィユレ)は、日曜日になると赤い鼻をつけたピエロになって、
町の人たちを笑わせている。
そのピエロ姿を冷めた目で見ているのが、息子のリュシアン(ダミアン・ジュイユロ)だった。
自分の父親が道化となって笑い者になっているのが、素直に楽しめないのだ。
リュシアンの様子に気付いたジャックの親友、アンドレ(アンドレ・デュソリエ)は、
リュシアンをそっと外に連れ出し、「こういう話を知ってるか?」と昔の出来事について語りはじめる。
第二次世界大戦末期、ドイツに侵攻されていたフランスのとある町で…。
当時も親友のジャックとアンドレは、ある「不純な動機」から自分たちもレジスタンスをやろうと計画を立てていた。
ドイツ軍の輸送ポイントを爆破する作戦はなんとか成功するが、
ひょんなことから「爆破犯の身代わり」として捕虜になってしまい、
ドイツ軍のつくった大穴に閉じこめられてしまう。
そこで出逢うのが、赤い鼻のピエロ=ドイツ兵だった。
物語は、ジャックとアンドレという平凡で愛すべき主人公を軸に、ユーモアと悲哀を織り交ぜながら展開していく。
「男同士の友情」「男と女の愛情」「人間同士の友愛」「親子の絆」などいろいろな面が描かれているが、
私が個人的に感銘を受けるのは、「人間の品位」についてだった。
ジャン・ベッケル監督の言葉どおり、
「命に関わるような出来事に置かれたとき、人間として品位を守り抜くのは容易くない」。
ピエロの赤い鼻をつけたドイツ兵は、そういう意味では「至高の人」であり、人間美に溢れている。
そこまではできなくても、その人なりに彼の意志を受け継いでいこうというのが、
この映画の主人公たちであり、人の生きる道だと思う。
この世界は、すべて競争の世界である。
人間だけがそうなのではなく、すべての生物(バイ菌でさえ)は、
生存競争しながら生き死にを繰り返している。
その過程が人間界では、受験競争だったり、出世競争だったり、恋愛競争(?)だったり、
その延長線上に大した隔たりもなく戦争があるのだと思う。
そう、「大した隔たりはない」と思う。
だから、日常の小さな競争のなかで、己のエゴや虚栄心などに負けてしまっている現実をみると、
いざとなったときに「敵をぶっ潰せ!」と叫んでいる可能性はあると思ってしまう。
人間は、強くなければと思う。
そして、人間としての品位を保ってゆける自分なりの美学をもっていなければと思う。
生きていることは奇蹟なのかもしれない。
生きているつもりが、生かされているのかもしれない。
そういうことをこの映画は思い出させてくれる。
DATA
フランス映画/2003年/監督(ジャン・ベッケル)/製作(ルイ・ベッケル)/
脚本&台詞(ジャン・コスモ、ギョーム・ローラン、ジャン・ベッケル)/
原作(ミシェル・カン)/音楽(ズビグニエフ・プレイスネル)/
出演(ジャック・ヴィユレ、アンドレ・デュソリエ、シュザンヌ・フロン、イザベル・カンドリエ)
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