「パッション」
−Passion of the Christ−
 
 
 
痛々しい映画である。
アメリカでは上映中に心臓発作で亡くなった人もいるほど、
「鞭打ち」や「磔(はりつけ)」のシーンはショッキングである。
いっそ一思いに殺せば終わるものを、人間というのは、どうしてこうもいたぶるのが好きなのか。
「サディスティックな残虐行為から得るものとは、何なのだろうか?」
 
イエスの公開処刑を取り囲む人々の表情は、一様ではない。
イエスの弟子や慕う民衆たち、そして、母マリアの表情は、あまりの悲しみに痛々しい。
自分のすべてを捧げて育ててきた我が子への処刑が目前で繰り広げられるその有り様を、
カメラは冷徹に捉え続けていく。
その一方、処刑を命じた権力者たちの薄ら笑いや満足げな表情、
そして、僅かに垣間見える後ろめたさ。
刑を執行する者たちの狂気に満ちた笑い。
ほぼ全編にわたり、こうした処刑シーンが延々と続く。
 
誰もが一度ならず見聞きしたことのある「キリストの受難」。
メル・ギブソンが自らの私産(27億円)を投じてまでも、世に問うた理由は何であろう?
「久しぶりに救いのない映画を見てしまった」と感想をもらすカップルが劇場にいた。
確かに、救いようのない話で悲惨極まりないが、
それでも、これは「2000年前の受難」と同時に「今」の世界を描いたものに違いなく、
メル・ギブソンが怒りと悲しみに満ちた想いでメガホンを取ったのだろう、と私は想像する。
 
原作は、新約聖書。
マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの4つの福音書を基に構成されている。
キリスト生誕後に書かれた新約聖書に対し、生前に書かれた書物を集めたのが旧約聖書。
その旧約聖書の中に、紀元前700年頃に書かれたイザヤ書があり、
その53章でメシア(救い主)の誕生と処刑方法が具体的に記述(預言)されている。
その700年後、ユダヤのベツレヘムでイエスが誕生する。
このイエスこそがメシアであると信じるキリスト教徒に対して、
メシアはまだ来てないという信仰をもっているのがユダヤ教徒ということらしい。
ちなみにメル・ギブソン監督はカトリック信者なので、「メシア=イエス」という立場である。
こうした宗教観の違い、また作品中ユダヤ人が悪く描かれていると強く反発するユダヤ人団体も多く、
あちこちで物議を醸し出しているそうである。
イエスが「メシア」なのか、そもそも「神」は存在するのかということは置いといても、
人類が2000年も前から相も変わらず憎しみ合い、
今なおイラクやパレスチナ他で悲惨な殺戮を繰り返しているという「事実」と重なり合い涙が出た。
 
クライマックスにイエスの言葉として語られるのは、
「お互いを愛し合いなさい」
「この者達をお赦し下さい」であった。
皮膚が千切れ、血だらけに傷ついた身体、虚ろな瞳…。
その瞳の瞳孔がずぅ〜と大きくなり、神のもとへと昇っていく。
 
あまりに残酷なシーンに批判の声もあるようだが、私は是と思った。
これは、今なお人間が飽くことなく実行していることであり、
この事実から目を背けることなく向き合うことが「今」必要なのだと思う。
人の心は弱く、傷つきやすい。
傷つくことを強く恐れる者は、他人を傷つけ、いたぶることで一時の「安堵」を手に入れるのかもしれない。
まるで自分の弱さの身代わりとして生け贄にするように…。
「果たして、この先に救いはあるのか?」
メル・ギブソンの答えは、ラストシーンにある。
 
 
 
DATA
アメリカ映画/2004年/監督(メル・ギブソン)/
製作(メル・ギブソン、ブルース・デイヴィ、スティーブン・マクヴィーティ)/製作総指揮(エンゾ・システィ)
共同脚本(ベネディクト・フィッツジェラルド、メル・ギブソン)/音楽(ジョン・デブニー)
出演(ジム・カヴィーゼル、モニカ・ベルッチ、マヤ・モルゲンステルン)