「男はつらいよ お帰り寅さん」


長寿というと、漫画なら「ガラスの仮面」、アニメなら「サザエさん」だが、映画なら「男はつらいよ」が真っ先に思い浮かぶ。
今作は、第1作の公開から50周年かつ50作目というキリのいい作品。
テレビシリーズから始まった「男はつらいよ」は、主人公の寅さんがハブに噛まれて死んでしまい、一度終わっている。
しかし、ファンからの苦情と熱烈な要望を受けて寅さんは映画になって蘇り、それから50作である。
誰もが知る究極のマンネリ・シリーズ!
それはあたかも、「日本人の日常」そのものといっていい。
僕たちが「日本」と「日本人」を思い起こせる貴重なアーカイブである。

寅さんは、渥美清でなければならない。
渥美さんが存命のうちに撮られたのは、48作目まで。
49作目は、25作目「寅次郎ハイビスカスの花」に新録部分をたしてリメイクした特別編(97)になっている。
それから20年もの歳月が過ぎて、新作が誕生することとなった。
過去のフィルムをつなぎ合わせて1本の映画を作るというアイデアを山田監督は温めていたようである。
しかしながら、1つの物語にする難しさもあり、満男(吉岡秀隆)を通じで、現在と過去を結ぶ物語になったそうだ。
「面白いのは、過去パートだけ」、そんな意見も少なくない。
渥美清さんの存在感があまりに大きく、しかも、49作もの中から選りすぐりの名シーンばかりだから、
現代パートが色褪せて見えてしまうのも致し方ないと思う。
僕も、大笑いしたり、思わず涙ぐんだのは、すべて過去パートだった。
しかしながら、過去パートだけでよかったかといえば、否と思う。
山田監督が構成したように、過去を活かすために現代パートが必要だったのであり、
現在パートによって、過去からのメッセージが未来へ橋渡しできるように思えた。

渥美清さんは生前、「『男はつらいよ』こそ、真のシリアス・ドラマだと思っている」と語っている。
その真意は、よくわからない。
どちらかといえばシリアスとは正反対のコメディタッチの作品である。
美しいヒロインに一目惚れして、あれこれ世話を焼き、すったもんだの揚げ句に振られて旅に出る。
そんなワンパターンな展開に笑ってなんぼの作品ではなかったか。
しかし、それはあくまで表面的なところであって、
お決まりのドタバタ劇の中には、人情や人生の奥深さなどのかけがえのないエッセンスが
幾重にも織り込んであることを、我々は無意識のうちに感じとっていたのだろう。
メロン一切れに目くじら立てて大騒ぎし、乱闘騒ぎになる寅さんに笑いながらも、
その型破りな人間味あふれる姿に深い愛情と愛着を感じていたのだろう。

オープニングで、桑田佳祐さんが主題歌を歌うシーンがある。
寅さんに扮した桑田さんの歌声も味わい深く、悪くはなかった。
しかしながら、その同じ主題歌を渥美清が歌うエンディングを聴いたときに、
ぽろぽろと涙があふれてきたのは、何故だったのだろう。
チャップリンがそうであったように、物語の登場人物と現実の役者が50年という年月の中で完全に一体化してしまった。
「男はつらいよ」は、そんな奇跡を体感できる唯一無二の作品である。

最近、古い邦画をよく見ている。
「女経」(60)や「筑前竹人形」(63)、「穴」(57)などを見ていると、
今とはずいぶんと違う時代の空気を感じる。
おぼろげな幼少〜少年期にかけての記憶とも重なり合い、
懐かしい気持ちでいっぱいになる。
「男はつらいよ」にも同じような郷愁を感じる。
失われてしまった人情、懐かしい風景、昭和時代の活力がフィルムの中に記録されている。
それを見て、ただ懐かしんで空しい気持ちになったのでは不毛である。
そうではなく、日本人のよさ、日本の美を再認識したうえで、
新たな未来を創っていくチャレンジにこそ意味があり、楽しさがあると思いたい。
それが、今改めて「男はつらいよ お帰り寅さん」が創られた意義だと僕には思えた。


DATA
日本映画/2019年/116分/
監督(山田洋次)/脚本(山田洋次、朝原雄三)/製作担当(牧野内知行.)/音楽(山本直純、山本純ノ介)/
出演(渥美清、倍賞千恵子、吉岡秀隆、後藤久美子、夏木マリ、浅丘ルリ子、小林稔侍)
 

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