「モールス」
−LET ME IN−
 
 
 

最も残虐なシーンで、涙がでた。
最近多用されすぎ感のある「号泣」ではなく、じんわり滲む程度の涙。
「ここで泣く?!」っていうくらい残酷でおぞましいシーンにもかかわらず、
何か根源的で生々しい「生命」そのものに触れたような不思議な感覚があった。

この作品は、スウェーデン映画「ぼくのエリ 200歳の少女」(08)のリメイク版である。
ハリウッド版になって恐怖とスリルを倍増させたという宣伝文句や評論もみられるが、
個人的にはあまり大きな差を感じなかった。
確かにCGや派手な音響効果により迫力が増したが、
スリルはむしろ原版の方が強いように感じられた。
原版の方が不気味で、猟奇的な雰囲気が漂っていた。

この作品の最大の魅力は、ストーリーそのものにある。
元来、ヴァンパイア映画など好んで見ようとは思わないのだが、
この作品は、単なるホラーという枠には収まらない魅力を有している。
1つの鍵は、主人公が12歳という設定にあるかもしれない。
名作「小さな恋のメロディ」に通ずる子供たちの純粋な交流が瑞々しく描かれている。
とはいえ、主人公たちの境遇は、生易しいものではない。
少年オーウェン(コディ・スミット=マクフィー)は学校で執拗ないじめにあっているうえ、
両親は離婚の危機にあり、一緒に暮らしてる母親も我が子の内面に寄り添う余裕がない。
一方の少女アビー(クロエ・グレース・モレッツ)に至ってはヴァンパイアである。
年齢は「12歳くらい」のまま、長い間、生き続けている。
二人とも、極めて孤独な身の上なのだ。
こうした境遇があたかも雑音のようにまとわりついてくればくるほど、
二人の関係はよりピュアなものに研ぎ澄まされていく。
マット・リーヴス監督が本作を「「子供の視線」で描いたねらいは、ここにあるのだろう。
劇中にも登場するが、「ロミオとジュリエット」にも重なる運命的な悲哀が
見る者に強烈なカタルシスをもたらす。

それにしても、「ヴァンパイア」は、なぜ、創造されたのだろう?
人間社会における何かしらのシンボルとして創作され、長きにわたり、
人々の心の片隅で生存し続けているのは、なぜか?
「ここに留まって死ぬか、どこかで生き続けるか」という台詞があった。
ヴァンパイアは生きるために生血を必要とする。
人間社会にとっては受け入れがたい魔物であるが、
ヴァンパイアにしてみれば、人が家畜を殺して食べるのと何ら変わらない。
自分の血と他者の血。
血がなければ生きてゆけないのは、実は、人間も同じなのだ。
人間が生きていく代償として他者の血が流されていること、
そのことを忘れないようにという戒めとしてヴァンパイアは生存しているようにも思えてくる。

この物語は、イニシエーションをも描いている。
家族崩壊やいじめに象徴されるように、この世の中には、致し方ない不条理が存在する。
3.11の東日本大震災のような自然災害も含め、誰もが諸々の十字架を背負い、
折り合いをつけて生きざるを得ない。
冒頭に書いた最も残虐なシーンでは、たくさんの血が流れ、プールが真っ赤に染まっていく。
それは、ある意味では、「出産」のようでもあった。
水(羊水)の中にいるオーウェンには、何が起こっているのかよくわからない。
大きな叫び声や鮮血に染まっていく様子が水を介してぼんやり伝わってくるだけだ。
そして外の世界に出てくると、息を吸い込み、新たな道が始まる。
その瞬間がどれほど喜びに満ちたものであっても、その先に平安ばかりが続くわけではない。
ヘソの緒を断ち切るがごとく、これまでのつながりを絶ち、
血まみれになりながら新たな世界へ踏み出していく主人公たち。
この壮絶なイニシエーションの顛末に、しみじみとした深い感動を受け、
滲んだ涙だったのかもしれない。

とにかく、印象に残る作品である。




 
DATA
米国映画/2010年/116分/監督・脚本(マット・リーヴス)/
原作(ヨン・アイヴィデ・リンドクヴィスト)/撮影(グレッグ・フレイザー)/
音楽(マイケル・ジアッキノ)/
出演(クロエ・グレース・モレッツ、コディ・スミット=マクフィー、リチャード・ジェンキンス、イライアス・コティーズ)/
スコープサイズ/字幕(松浦美奈)