「ル・アーヴルの靴みがき」
−Le Havre−
 
 
 
渋谷駅の雑踏の中で起きた刺傷事件は、意外にも早く、2日後には犯人の男(32)が捕まった。
「肩がぶつかり頭にきた」という理由にも驚くが、
刃渡り30センチものサバイバル・ナイフを所持していた理由が「護身用」ということにも唖然とする。
何に対してそれほど身の危険を感じ、身構えているのか。
それともう1つ、犯人を捕まえたのが防犯カメラの映像だったということも少し気になった。
渋谷駅から乗り継ぎ駅にかけて120台以上のカメラが犯人の逃亡経路を克明に記録していた反面、
目撃した人は少なかったという。
「防犯カメラがあってよかった!今の社会には必須だよ」というのが大方の意見かもしれないが、
僕はジョージ・オーウェルの「1984年」に登場する監視カメラを想起し、複雑な心境にもなった。
確かに役立っているのだが、人がやるべきことを機械にゆだね過ぎているような気がしてならない。
プラスが大きくなればなるほど、反対側にあるマイナスが気になってくるのだが…。
渋谷のような混み合った場所でもケータイを見ながら歩いている人は少なくない。
周囲に気を配る気遣いも振る舞いもなく、ネットを通じて自分の仲間や興味とつながりながら、
目の前にいる他者の存在は無視している。
相手の方がぶつからないように道を空けてくれていることにも気付かず自己完結している感覚は、
自分にぶつかってきた「他者」の首へ刃物を突きつける感覚とどこかでつながっている気がしてしまう。
 
この事件とは何の関係もない映画の話なのに、前振りが長くなってしまった。
ル・アーヴルは、フランス北西部ノルマンディー地方にある美しい港町の名前。
この町で靴みがきをしている元芸術家のマルセル(アンドレ・ウィルム)は、
小さな家で、献身的な妻アルレッティ(カティ・オウティネン)と
愛犬ライカ(監督の愛犬ライカ)と共に慎ましやかに暮らしている。
皮靴を履く人も少なくなり、わずかな日銭での暮らしは決して豊かとはいえない。
1本の煙草、1杯のワイン、隣人との語らい…。
にこりともしない無表情な登場人物たちは、しかし、不幸ではないようだ。
そんな静かな日常に、「事件」は起きる。
アフリカからの不法難民が漂着し、一斉逮捕される中、一人の少年が逃げ出したのだ。
その少年イドリッサ(ブロンダン・ミゲル)と偶然、出くわしたマルセルとの交流を軸に物語は進んでいく…。
派手なアクションもなく、台詞も少ないにもかかわらず、スリルもあるし、
いつの間にやら登場人物たちに感情移入していて、とても引き込まれてしまっていた。
何よりも見終えたときの静かな幸福感がアキ・カウリスマキ作品最大の魅力であろう。
 
この作品の題材になっている不法難民問題は、EUでも大きな懸案になっている。
監督自身、答えをもっているわけではないと語っているが、
この非現実的映画で取り上げたかったというメッセージを残している。
主人公マルセルは、迷うことなく少年を助けようとする。
僅かな家計費を削ってである。
また一方のアルレッティは、不治の病に倒れるが、夫を気遣って隠している。
少年もまた、マルセルを頼りながらも自ら靴みがきを手伝ったり健気である。
この他にも八百屋の店主やバーのママさん、そして少年を追い続けるモネ警視まで、
登場人物らはみな他者とのつながりを大切にしながら、自らの意志で行動していく。
人として当然といわんばかりに、その行為はさり気なく優しく、美しい。
 
「ル・アーブルに暮らす人々を結ぶ『博愛』は、もはや現実には存在しないのでは?」と
インタビューで問われたアキ監督は、次のように答えている。
「私はもちろん、まだ存在していると信じています。でなければ我々は既に、
イングマール・ベイルマンが到来を予言していた『蟻の社会』に生きていることになってしまう」。
防犯カメラに守られた社会が、監視カメラがなければ維持できない社会にまでなってしまったら、
それが「蟻の社会」なのかもしれない。
 
冒頭に書いた渋谷の事件では、たまたま居合わせた医師の迅速な応急処置によって
被害者の一命が救われたのだった。
この国にもまだたくさんの「博愛」が残っているのだと、
思うことにしよう。
 
 
新宿武蔵野館
 
DATA
フィンランド・フランス・ドイツ映画/2011年/93分/35mmDCP/
脚本・監督・プロデューサー(アキ・カウリスマキ)/
製作総指揮(ファビエンヌ・ヴォニエ、レインハード・ブランディグ)/撮影(ティモ・サルミネン)/
出演(アンドレ・ウィルム、カティ・オウティネン、ジャン=ピエール・ダルッサン)/字幕(寺尾次郎)