「小三治」
 
 
 
ふだん落語はきかないが、ふとしたことから「小三治」さんの名前が頭の片隅に残っていた。
そしたら、たまたま「小三治」さんのドキュメンタリー映画が公開されるというので、見た次第である。
十代目柳家小三治、本名郡山剛蔵氏は、1939年東京出身である。
以前、何かのテレビ番組で、喉のためにハチミツを持参している話を見たことがある。
それも、自家製ハチミツで、何種類か作っていつも持ち歩いているというエピソードが、
この人の「こだわり」を感じさせて面白かった。
映画の中でも、オートバイやスキー、歌など多趣味なうえに、
いずれも相当極めているところが紹介され、その人となりが伝わってくる。
 
劇中には、いくつか小三治さんの演目も登場する。
四季折々のあくびの仕方を教えてくれるという風変わりな「あくび指南所」の話やら、
泥棒に入られた貧乏人の主が、家賃滞納の理由にありもしない豪華な家財を盗られたと話しているのを、
縁の下に隠れていた泥棒に盗み聞きされる「出来心」という話やら、いずれもつい聞き入ってしまう。
「落語ってものは、どこにでもあるような人間の暮らしの一部分を切りとって、
それをありそうもないほど面白くお聴かせすることじゃないか」とは小三治さんの言葉。
特別大きな舞台装置があるわけでもなく、たった一人の人間が言葉と演技によって、
聴く者の想像力を駆り立てて初めて成立する物語。
それゆえに高度な芸を要求され、ごまかしがきかない世界でもある。
 
客を無理に笑わせない、というのも小三治さんのこだわりのようである。
近頃のバラエティ番組と対極にあるような話である。
派手な映像や過剰な効果音、大袈裟なコメントで「どうだ!」と見せつけてくる番組に辟易してる身にとって、
小三治さんの落語は、心がほぐれてとても気持ちいい。
 
客席からみて右手が上(かみ)、左手が下(しも)であり、
落語では「上下を切る」ことで、登場人物を使い分けるのだが、
小三治さんのそれは、まさに至芸だといわれる。
落語家はみな旦那、小僧を上下を切りつつ、その表情や言葉遣いで上手に演じ分けているわけだが、
小三治さんの場合、すでに上下を切った瞬間に登場人物が入れ替わっているという。
どうしてそんなことができるのか、ある種のインスピレーションではないかと思える。
また、「まくらの小三治」と云われ、落語の前にする小咄が相当長くかつとても面白いらしい。
今日は何を話そうと決めているでもなく、ふと思いついた話をしているそうである。
落語家小三治である前の、郡山剛蔵という一人の人間として在るまくらなのだろう。
 
「小三治が好きだね〜」とある人に聞いて、その名が自分の中にひっかかっていた。
その人も話好きで、多くのことを教わっているが、こうせいああせいと言う人ではない。
小三治さんも同じで、弟子に落語を教えることはないという。
劇中に2度ほど出てきた言葉があった。
「この仕事、俺には向いてないかもしれないな〜」
誰もが認める仕事をしてもまだ先を見つめているのだろう。
だから、後ろを向いてああしろとは言わず、背中をみて育ってくれたらいいと思っているのかもしれない。
一人の人間として範としたいような魅力を感じる人である。
 
ポレポレ東中野
 
DATA
日本映画/2009年/104分/監督・編集(康宇政)/プロデューサー(安西志麻、米山靖)/
語り(梅沢昌代)/出演(柳家小三治、柳家三三、入船亭扇橋、立川志の輔、桂米朝)