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「風立ちぬ」
-THE WIND RISES-
「この映画は戦争を糾弾しようというものではない。」
宮ア駿監督は、企画書の中でそう明言している。
零戦を設計した堀越二郎と文学者・堀辰雄をモチーフに、
二郎(庵野秀明)という主人公を創作した宮ア監督がこの映画で伝えたかったことは、何か?
「崖の上のポニョ」(08)から5年ぶりとなる監督作品とあって、
入念な宣伝活動が行われている。
意地でもヒットさせるという力の入れようだが、評価は二分している印象だ。
「子供向きではない」「深みが足りない」「主役の声が平板」「戦争を美化している」といった批判もある。
そうかもしれないと思う部分も確かにあったが、
明確に言い切れないモヤモヤ感が残る。
作家・高橋源一郎氏の評を新聞で読んで、少し理解が深まった。
以下、要約である。
「戦争の被害者は、同時に加害者でもあった。
善きものと悪しきものを区別することはできないし、それはいまでも変わらない。
そのことを知って、なお前向きに生きていくことを、映画は告げているようだった。
原子力発電が夢の技術であると同時に、悪夢を呼び覚ます技術であるように、
零戦も同じ存在だということを、哲学的で、エモーショナルに問いかけてくるこの映画は、
時を超えた『ダークツーリズム』ではないだろうか。」
※「ダークツーリズム」とは、戦争や災害といった人類の負の足跡をたどりつつ、
死者に悼みを捧げるとともに、地球の悲しみを共有しようとする観光(朝日新聞より引用)。
近頃、気になること。
それは、FacebookなどのSNSの乱用、暴走ぶりである。
6月にはLINEでの口論が昂じて、女子生徒が友人グループに連れ出され、
集団暴行のうえ山中に遺棄される事件があった。
四六時中スマホを手放せないネット依存症も社会問題になりつつある。
この映画に対する評価やコメントもネット上でたくさん見られるが、
とても読むに耐えぬような短絡的批判、誹謗中傷、差別的発言も少なくない。
少なからぬ汗を流し、精一杯の努力の末にできあがったであろう作品やその作者に対して、
敬意の欠片も払わず、一方的に自己の思いを吐き捨てるかのような発言には、
嫌悪感しか感じられないと同時に、この国は大丈夫だろうかと心配になる。
高橋氏の評にあったように、人間も技術もいい面、悪い面があって、
自分に見えないところにも何かあるのかもしれないと想像力を働かせることで、
視野が広がり、少しでも豊かな世界観をもてるようになると思うのだが、
そういう可能性を端から放棄したかのような安直なものの見方に流されている風潮が、
たとえ極一部の人に限ってのことだとしても、何か薄く冷たい感覚を抱いてしまう。
冒頭で紹介した企画書は、次のように続く。
「自分の夢に忠実にまっすぐ進んだ人物を描きたいのである。
夢は狂気をはらむ、その毒もかくしてはならない。
美しすぎるものへの憬れは、人生の罠でもある。
美に傾く代償は少なくない。
二郎は独創性と才能においてもっとも抜きんでていた人間である。
それを描こうというのである。」
子供向きでないどころか、大人でも監督が言わんとするところがハッキリとはわからない。
しかし、わからない=駄作だろうか?
頭で理解できなくても、今はわからなくても、心に残るものはあったと思う。
「二郎が生きた時代は、今日の日本にただよう閉塞感のもっと激しい時代だった」と、監督はいう。
結核に犯された菜穂子(瀧本美織)の最期の言葉「あなたは生きて」に託された監督の想いは、
一人ひとりが時間をかけて考えればよいのではないか。
これは、生きたくても生き続けることが叶わなかった人々から、
生き残った者たちへのメッセージなのかもしれない。
ふと今、そう思えた。
DATA
日本映画/2013年/126分/ビスタ/モノラル/
原作・脚本・監督(宮ア駿)/プロデューサー(鈴木敏夫)/音楽(久石譲)/
声の出演(庵野秀明、瀧本美織、西島秀俊、西村雅彦、スティーブン・アルパート、風間杜夫、竹下景子)/
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