「神々のたそがれ」
−HARD TO BE A GOD−
「私はこの映画を四回見た。最初に見た時は、『こんな訳がわからん映画があるか』と思った。
映像美のかけらもなく、不潔と汚濁とおぞましさでいっぱいの『悪趣味極まりないB級映画か』と思った。
(中略)。その後三回目を見た。そしてやっとワカッタと思った。
これからしばらくの間、映画青年の間で、これを何回見てわかったかが最高の話題になるだろう。」
映画評論家、蓮實重彦氏のコメントにあるように、非常に汚らしく、訳のわからない、
しかしながら、きっと何かあるに違いないと関心を高ぶらせる作品である。
この映画には「説明」というものが極端に少ない。
自分のように、事前に予備知識を入れずに見ていると、
約3時間、ただ呆然としてしまう可能性大である。
舞台は、地球によく似た「或る惑星」。
未来の地球人らがこの惑星に調査団を送り込み、彼らのデータを収集する。
地球より800年進化が遅れ、社会は混沌としている。
調査団らはあくまで調査に徹し、惑星での悲劇、惨劇に立ち入らぬ決まりであったが、
様々な現実に直面するうち、この原則を逸脱してしまうのである。
惑星の住人からみると、調査団は「神」のような存在に映り、
その神の視点でみれば、神は神でいることもつらいのだという寓話である。
原作タイトルは、ずばり「神様はつらい」である。
一回しか見てないので、正直、よくわからない。
その惑星は、いつも天気が悪く、未整備の道は泥だらけで、
下水道もないから、汚物があちこちに溜まったままになっている。
権力者は、奴隷を保有し、被差別者の暮らしぶりは野蛮で不衛生で不健康である。
手鼻をしたり放尿するシーンが度々映し出され、見ていて不快である。
町の外れには処刑された死体がぶら下がったままで、その屍に何かドロドロした液体をかけるシーンがあるが、
全く意味がわからない。
カメラワークも独特で、主人公を映している枠の中に物語には直接関係ない人が映り込んだり、
様々なオブジェが視界を遮ったりする。
大抵が汗まみれ、泥まみれで、どこか障害を負ってるような人々も出てくる。
大抵がカメラ目線で、「こちら」を「意識的に」見ているから、
観客は奇妙な緊張感をもって作品と対峙しなければならない。
ゲルマン監督の友人でもあったイタリアの哲学者ウンベルト・エーコはこの作品について、
「神様でいることはつらい。そして、アレクセイ・ゲルマンが監督したこのぞっとするような映画に相対した場合、
観客でいることはつらい。(中略)。不寛容、狂信、言語に絶する残虐からなるこの地獄において、
観客はわれ関せずの態度を取ることなどできない。」と述べている。
ゲルマン監督は、1964年に発表された原作を元に68年には脚本第一稿を書き上げている。
しかしながら、その直後にソ連がチェコに軍事介入し、
物語に登場する「灰色隊」がチェコ侵攻に結びつくと判断され、検閲で不承認となってしまう。
それから年月が流れ、ペレストロイカ末期になってようやく映画化の芽が出てくる。
構想から約35年になる2000年に撮影が始まるが、こだわりの強い監督は全てのシーンを取り終えるのに
6年を費やし、さらに編集に5年を要している。
その間には老齢の俳優が亡くなったり、重要な撮影監督も亡くなってしまう。
そして、ついに監督自身が映画の完成を待たず他界してしまったのである。
幸い映画はほぼ出来上がっており、最終的なミキシングの作業を妻のスヴェトラーナと息子のゲルマン・ジュニアが行い、
「神々のたそがれ」はゲルマンの遺作として完成する。
正直、あまり面白くはなかった。
もう一度見たいという気持ちにもならない。
ただ、見てよかったとだけ思える唯一無二の作品である。
渋谷ユーロスペース
DATA
ロシア映画/2013年/177分/35ミリ/
監督・脚本(アレクセイ・ゲルマン)/脚本(スヴェトラーナ・カルマリータ)/原作(ストルガツキー兄弟)/
制作(マリーナ・ドヴラドベギャン)音楽(ヴィクトル・レーベデフ)/
出演(レオニード・ヤルモルニク、アレクサンドル・チュトゥコ、ユーリー・アレクセーヴィッチ・ツリーロ)/
字幕(太田直子)