「海洋天堂」
−Ocean Heaven−
ジェット・リー(本名、リー・リン・チェイ)のデビュー作「少林寺」(82)が大ヒットした当時、
小さな針1本でも割れてしまうくらい無防備に膨らんだ感受性を持て余しながら、
僕は、日々悩んでいた。
心が先か身体が先がわからないが、とにかく鍛錬しなければ、
とてもじゃないが生きてゆけない気がしていたのだ。
自己鍛錬を目的に始めた少林寺拳法の道院で「少林寺」の鑑賞チケットが販売され、
あの大きな中国での全国武術大会で5回の優勝経験のあるジェット・リーの美しい技に出会った。
ボタン1つで飛び出すミサイルでも、拳銃のような飛び道具でもなく、
ひたすら己の鍛錬によって作り上げた鋼の肉体と丈夫な精神で闘う姿は、
この上ない憧れとなった。
ジェット・リーの出演作でもう1つ印象深いのは、
チャン・イーモウ監督の「英雄/HERO」(02)である。
彼の役所は、10歩の距離まで近づけばどんな相手でも一撃で倒すことのできる
「十歩一殺」を体得した官吏、無名(ウーミン)。
秦王の命を狙う刺客3人を殺した功績で、秦王への拝謁を許され、
特別に30歩の距離まで近づくことを許される。
さらに10歩まで近づいたところで、無名の嘘が見抜かれるという手に汗握る展開なのだが、
その役柄を一言でいえば、自らの宿命に忠実な純粋で「無垢」な存在だった。
それは、ジェット・リーその人がもつ印象にも重なってたように映る。
その偽りなく透明で純朴な精神が、「海洋天堂」でも見事に生かされていた。
シュエ監督は、「北京ヴァイオリン」(02)の共同脚本家で今作が初監督作品である。
親子の絆を感動的に描いた秀作「北京ヴァイオリン」と似て、今作でも母親はすでに他界し、
男手一つで一人息子を育てていく物語である。
その息子、大福(ウェン・ジャン)は21歳になる自閉症児。
映画の冒頭、大福とその父、王心誠(ジェット・リー)が青島の美しい海上、ボートに並んで座っている。
水が好きな大福はニコニコと嬉しそうにしているのとは対照的に、
隣の父は物憂げな表情である。
カメラは、二人の足が太い綱で結ばれ、その先に大きな鉄の塊がつながっている状況をゆっくりと見せていく。
「わっ、心中するんだ…」
見ている観客は、にわかに緊張しただろう。
「さあ、そろそろ行こうか?」と父が言う。
その言葉が何ともいえぬ優しさに包まれていて、
父の深い愛情と決意とがしみじみと伝わってくる。
これがエンディングになるのだろうか、と思わせぶりに物語は始まっていくのだが…。
シュエ監督は、北京電影学院在学中から14年間に渡り、
自閉症の人たちへのボランティア活動をしてきたという。
自閉症児を社会がどう受け入れるかという問題とともに、
彼らの両親が死期を迎えたときの行く末が今作でも最大のテーマになっている。
ジェット・リー扮する父は、息子の身の回りの世話をしつつ、仕事を教え、
自分一人で生活できる術を伝授していく。
そして、自らが「海亀」になっていくラストは圧巻で、
この上なく美しく感動的である。
先日、「言論NPO」が毎年行っている日本と中国での世論調査結果が報道された。
双方ともに「よい印象」より「悪い印象」が高く、「どちらかといえば」を加えると、6〜7割を「悪い」が占める。
食品偽造や領海と資源に関わる問題、歴史問題などがお互いの印象を悪くしており、
政府間同士の関係改善とともに、民間レベルの交流が大切だとのコメントがあった。
ならば、この映画を見るのもいいだろう。
日本人の足と中国人の足もまた、太い綱で結ばれているのだから…。

DATA
中国映画/2010年/98分/脚本・監督(シュエ・シャオルー)/
エクゼクティブ・プロデューサー(ビル・コン、マ・ハェフン、ハオ・リー)/音楽(久石譲)/
出演(ジェット・リー、ウェン・ジャン、グイ・ルンメイ、ジュー・ユアンユアン)/字幕(益満久美子)