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「わが家の犬は世界一」
−Cala my dog!−
北京では、衛生問題や狂犬病予防のために、1994年から犬の飼育が厳しく規制されることになった。
無登録の犬は、公安(警察)に捕まって、一両日中に登録料を支払わないと処分されてしまうのだ。
もしかすると、明日には肉屋で売られているかも、しれない…。
ある晩、主人公ラオ(グォ・ヨウ)が可愛がっているカーラという犬も捕まってしまう。
登録料は5000元。ラオの2ヶ月半分の給料である。
登録料を払うか、払わないでなんとかするか、諦めるか?
タイムリミット18時間の間の物語。
犬一匹のことから夫婦関係、親子の絆、仕事、社会情勢、時代背景などが末広がりに見えてくる仕掛け。
実は、犬の話ではない。
1994年の北京には、「懐かしさ」と「今」が同時に感じられて不思議だった。
今や中国は、日進月歩の勢いで近代化が進んでいるが、路地裏に一歩足を踏み入れると、
「昔の日本」が垣間見えたりする。
ボロボロの集合住宅、汚れた公衆便所、古い路線バスなど、映画に登場する物は、どれも古い。
「今の日本はどうだろうか?」と我が身を振り返ってみると、
古い物が珍しくなって、アンチークな建物が新築されてたりする。
「100円ショップ」に行けば、結構な物が新品で買える。
古くなったら捨てる「使い捨て文化」がすっかり生活の中に染みついている。
リサイクルも盛んな昨今、でもリサイクル品を作るためには相当のエネルギーが消費されている。
石油を燃やし、二酸化炭素を放出し、空気や水も大なり小なり汚している。
昔の方が健全だった気もするが、日本も中国も他の国も進む道は、なぜか同じらしい。
犬を巡るこのドラマは、呆気ないエンディングで閉じる。
以前のボクだったら、「これで終わりにするなよ!」と怒ったか不満を感じたと思うが、
今回は、思わず心の中で拍手をしていた。
ルー監督に同感だった(ちなみに64年生まれのルー監督は、第6世代と呼ばれる監督である)。
「答なんてない」と思うから、無理矢理な解決はしなくてよいと思う。
なのに今の世の中は、妙に明快な言葉で溢れている。
細木数子、ギター侍…。ヒットの裏には訳がある、のだろう。
今朝の新聞に、「児童相談所の相談件数が急増」という記事があった。
もう驚かない、というか驚けないほどありふれてしまっている。
カタカナ表記も何かと多くなった。
育児放棄は「ネグレクト」というらしい。
「育児放棄」だと一応誰でも理解できるが、「ネグレクト」だとよくわからない。
これは専門家の領域だ、と言いたいのだろうか?
専門家に解説と対処法を教わろうという気持ちになる。
専門家が答を知っているような気になる。
映画を見終わって、チャップリンの「犬の生活」「独裁者」を思い出していた。
チャップリンは、社会の底辺を生きる浮浪者の姿を借りて、
人間らしさや社会の有り様を悲喜劇織り交ぜながら見事にあぶり出した。
この作品の主人公ラオもまた、安月給の夜勤労働者で、
職場でも家庭でもうだつのあがらぬ冴えない男である。
「犬の前でだけ自分は人並み。他のときは人以下だ」という台詞があるが、
それゆえにカーラを何よりも可愛がっていたのだった。
ラオの生き様を見ていると滑稽で可笑しいけれど、どこか共感して泣きたくもなる。
不器用で冴えないごく普通の庶民。
どうしていいかわからず右往左往してしまうし、全然明快ではないが、
正直に生きている主人公の好感度が、この作品をとても魅力的にしていた。
DATA
中国映画/2002年/監督・脚本(ルー・シュエチャン)/製作(ワン・チョンジュン)/製作総指揮(フォン・シャオガン)/
出演(グォ・ヨウ、ディン・ジャーリー、リー・ビン、リー・チンチン、シア・ユイ、フォン・シャオガン)
新宿武蔵野館
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